[08]王様とタイ人

既にプミポン国王は王様に即位し61年が経っている。その間にクーデターが何度も起こっているが、最後に止めるのは王様で、その発言でいつもクーデターは収まる程皆が王様に賛同するのだ。

タイは仏教国であり、プミポン国王の地位は絶大なものがある。毎年12月5日は王様のお誕生日で街は王様の写真とイルミネーションで、ちょっと早いクリスマスのような感じになる。
駅などの公共の場所では毎朝8時と夕方6時に国歌が流れ、皆立ち止まる。日本人には考えられないほどの愛国心を持っている。
既にプミポン国王は王様に即位し61年が経っている。その間にクーデターが何度も起こっているが、最後に止めるのは王様で、その発言でいつもクーデターは収まる程皆が王様に賛同するのだ。
絶大な支持を得ている国王。映画館でも映画上映前に王様を称える歌が流れ、今までしてきたさまざまな実績が映画館に映し出される。当たり前のようにタイ人は皆起立しそれを観る。
初めてタイの映画館に入る外国人はそれに戸惑うようだが、タイ人に習って起立する人がほとんどだ。
ある夜に映画館に行ったときの出来事。
いつもの様に上映前の儀式を済ませ、映画が始まり、2時間後に映画は終了。帰ろうとタイ人の友達と映画館を出ようとしたときに、事件は起こった。
「お前、それでもタイ人か!!」
怒鳴り声が映画館に鳴り響き、タイ人の若者が、他の男に殴りかかっているではないか。殴られているほうも、早口で何か言い返しているが、いきなり殴られ挙動不審になっているのか、何を言ってるのかわからない。
原因は若者の前に座っていた男が、王様を称える歌が流れている際に、座ったままお菓子を食べていた様だ。
周りを取り囲んだ客たちもそうだそうだと言わんばかりに殴っている若者を応援。ケンカが起こると誰かしらが止めるのが普通だが、このときは誰も止めようとしなかった。
殴らせ続ける事1分弱。。。
警備のおじさんが来て、二人は離され事なきを得たが、殴られたほうは鼻血を出し、顔にボコボコになっていた。
マジ怖ぇ?ってその時思った。タイ人によく間違えられる程日本人離れした顔立ちの俺がもし立っていなかったら・・・
皆さん。タイの映画館で王様の歌が流れたら必ず立ちましょう。さっぱり訳わからなくても立って敬意を示しましょうね。それにしても恐るべしタイ人の愛国心。
カンチャナ タマサック

[01]あれから10年

当時ドンムアン空港からバンコク市内までは車で3,40分の距離だったが、バンコク名物の渋滞にはまると、2,3時間は覚悟しなければいけなかった。初めてタイを訪れた時もこの道は渋滞していた。

今からちょうど10年前の1998年。高校の卒業旅行7泊8日バンコク・パタヤツアーに参加したのがタイとの出会いだった。
今まで発展途上国には行った事がなかったが、凄まじい衝撃は空港を降りてすぐに起こった。
当時ドンムアン空港からバンコク市内までは車で3,40分の距離だったが、バンコク名物の渋滞にはまると、2,3時間は覚悟しなければいけなかった。
初めてタイを訪れた時もこの道は渋滞していた。
バスの中から知らない景色を興味深く見ていると、横には一台のおんぼろバイクがいて、なんと4人乗りをしているではないか!!
運転はお父さんらしき人で真ん中に2人子供がいて後ろから母親が子供を挟んでいる状態。しかも子供と母親は両手に袋を抱えていて、バイクにかかっている負担は200キロ以上だろう。
そんなバイクが、渋滞の中蛇のようにスルスルと前のほうに行ってしまった。
なんじゃこりゃ?とキョトンするオレ。
今度はバイクの横に無理やりリヤカーをつけたようなバイクが来て、バイクに3人リヤカーに4人乗せて(しかもノーヘルで)走っているではないか!!
この光景を見たときに、この国の熱いものを感じだ。
実際に街に出ても、驚く機会がたくさんあった。
物乞いや、子供が働く屋台、ボッタクリ、排気ガスがすごい車…
まさに自分の世代が体験したことの無い戦後の日本のような雰囲気なんだろうと自分なりに解釈していた。
ただこの国の人間は生ぬるい世界で育った日本人とは違い、一人一人の目がギラついていたのだ。
あれから10年何度タイを訪れただろう。
バックパックでの旅行、ホームステイを経て、とうとう大学までタイで出てしまった。
今でこそ10年前の熱い心を持ったタイ人は少なくなってしまったが、この10年間で体験したタイでの出来事をこれから書いていきたいと思う。
カンチャナ タマサック