男も美しくあるべきだ――といえば世間の反応はまだ冷ややかだね。おそらく、「女みたい」「オカマじゃない?」――というところに落ち着くだろう。
女の場合、「強く、美しく」は今や当然であるが、男の場合は考えかたが遅れている。美しさを公然と目指すには抵抗があるようだ。
でもね。彼らも、女と同様に、強さだけでなく美しくなることに興味を持っている。持ってはいるが、それを目指すだけの環境になく、勇気がない。
香水などを使ったとしても、言い訳をしながら使用する人のなんと多いことだろうね。
どうして彼らが、こんな惨めな状況にあるかといえば、それはただ、堂々と自らの権利を主張しなかった、の一言に尽きる。
もちろん、なんら男が美しくある必要はないよ。好きなことを好きなようにやれればいいだけなんだから。主張だってしなくていい。
むしろ、美しくなく主張しないことこそ、美しいことかもしれないね。
だって、みてごらんよ。自分のことを主張する人々をね。彼らには争いが絶えないよ。
主張する人々のもとには、つねに怒りと悲しみのエネルギーが蔓延している。誰とやりあっているのかといえば、実は、自分自身とやりあっているに過ぎない。それらの不幸なエネルギーは、常にあなたとともにあったのだからね。
なんだったら保証してあげるよ。自己主張がつよすぎると幸せになれないとね。
ただしだよ、選択権をえることは大事だよ。やるやらないの選択権。
それに男が着飾ると、あなたは違和感を覚えるだろう。
それはいったいなぜかね。これまでのあなたに媚びれついた記憶が正体でないかね。
美的感覚にしても他のものにしても、人はこれまでの記憶から異質なものに拒絶をしめすからね。
男が着飾ると、これまでのあなたの習性が敏感に反応する。汚臭をかんじる。
人は習性に服従する生物だ。一度、ついた感覚とイメージはなかなか変えられないよ。
ただし、それもおおきな障害にはならないよ。時間はかかり、初めは苦労する。でも、年配の女は今では派手な服を着るようになった。昔では考えられず、異質であったことが、今ではおおきな抵抗はなくなった。
どちらにせよ、自分らしくありたいなら、避けたり誤魔化したりせず、しっかり主張するといい。まずはそれからだ。男も、「強く、美しく」を目指してもいいね。
これは逆に考えることだってできるよ。今なら、着飾る男は少ないから、希少価値がつく。となれば、それはおおきなチャンスにつながるとはおもえないかね。
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[28]男の精神解放 一.
男の精神解放――これは遅れているね。
現在のシーソーは、あきらかに女のサイドに傾いているからね。
今後も、ますますその傾向は強まるだろう。
女のサイドがますます重くなり、シーソーが一方に傾くとすると、男のサイドはますます惨めになる。放っておけば、男の価値はさがる一方になる。
ここでの話が、いずれ花開き、男の精神解放につながることは十分考えられる。どのみち、放っておいても起こることは起こるけどね。
自然は、男女のバランスを保つために作用する。もし、それがうまく働かなければ、破壊のちからが働くだけだ。
さて、女は男への不満がおおいが、男のほうでも女への不満がたかまりつつある。不満というものは、一方だけでは成立しないからね。
ただし、男というものはそれを表現しない。できないね。
そもそも、日本文化そのものが自己主張が得意でないよ。
昔の女は、黙って男のうしろを着いていくことが美徳とされた。
そして、これを打ち破ったのがウーマン・リブだった。
女はみずからを解放して、自らの性のために自己主張をしはじめた。女の柔軟性が発揮されたわけだ。
自分で、自分の性を解放するしかないからね。他に誰がやってくれる?
彼女たちのやったことは正当を帯びているよ。
男はいまだに自己主張をしない。できない。
すでにパワーは女にシフトしており、女にへつらい、萎縮すらしている。
男が男のために自己主張するのは、男らしさによれば格好悪いとなる。それによれば実に男らしくなく、潔くはないらしい。あるい
は、へつらうことに慣れきってしまったのかもしれない。
女が自己主張するなど、昔は醜いと蔑まされたり、冷ややかな視線をあびたようにね。だからウーマン・リブだって、当初は、きっと苦労しただろう。なにしろ当時は、女が自己主張するという発想そのものが、ほとんどの女になかったのだから。
時代は移り、現在、あなたがた男はどうなった?
主張すべきことを主張しないでどうなった?
毎年、三万人を越える自殺者のなかで、実に七割が男だよ。男だからしかたないというのが今の風潮だね。
え? 男だから?
私にいわせれば、性差によって、おおきな差ができている実態にこそ目をむけるべきだよ。そこに問題が潜んでいる。
確かに、中高年の男は、今の日本でもっともどうでもよい人々だ。
魅力がなく、価値がないので、どうなってもたかがしれている。
また、現在の日本は、男女のどちらの子供を欲しがっているかね?
男女の産み分けでは? 親の意識は?
私の知りうるかぎりでは、7、8割が女の子を欲しがっているよ。
日本の現状とはそういうものだよ。
男女どちらの子を欲しがるか? ――というのは、男女のパワーをもっとも象徴的にあらわす指標だよ。もし、あなたが生まれ変わるとしたら、どちらになりたいか? ――その答えが、そこに反映されている。
どちらの性が、精神的・社会的に優位であるかを、これ以上に物
語るものはないよ。
かつての日本では、実に男の子を欲しいと答えたほうが多数であったことは容易に想像できるよ。いずれ逆転するだろうが、現在でも男が優遇されている中国では男の子を欲しがるようにね。
あなたがたがいつまでも自己主張しないのならそれでいい。沈黙はいい。
けれど沈黙がすばらしいといえるのは、潔いといえるのは、自己主張を経験した人だからこそだよ。自己主張や表現を実践し、知りつくした後だからこそ、沈黙がすばらしいといえる。
自己主張ができないのと、やらないのとは訳が違うよ。
さて、どうしたものかね?
椎名蘭太郎