[011]「そんな生活」と言われた驚き

 3週間にわたって自分の海外出張記を書かせていただきました。特に先週号では、香港のお金持ちも知恵や努力の結果ということをおわかりいただけたと思います。また、華人社会については香港のみならず東南アジアに広がる華人社会とおつきあいされる方にはヒントになったのではないでしょうか。
 このような話を日本のビジネスマンにおもしろおかしく話したところ、「正直なところ、そんな生活って辛くないですか?」という質問を何人かからいただきました。「そんなというのはどういう意味ですか?」と驚いて聞き返した私です。「女性がひとりであちこち行って商売して、時差もあるだろうし、慣れない所でずっと英語しゃべって暮らして、自分の会社なら徹夜したり、休みも取れないこともあるでしょう。嫌じゃないですか?」「私はサラリーマンも24年やりましたが、夜討ち朝駆けの世界でしたし、平々凡々として暮らすより楽しいですけれど。」彼らは一様にがっかりした表情を見せます。
 彼らの質問から正直な人たちだとは思うものの、同時に起業家にも国際人にもなれないと瞬時に感じます。なぜなら、決められた時間だけ言われたことをして、それもなるべく楽なことをしてお金を稼ぎたい、という価値感から出ているサラリーマン的発想の持ち主だからです。また、自分の価値感を中心にして、違う価値観の人を不幸だとか、本当は嫌なんだろう、と勝手に決めつけるのは世界という舞台に出た場合、独善的であったり、失礼なことを平気で言ったりする日本人になりかねません。政治、社会、文化と日本の日常では想像もつかない国というのはたくさんあるからです。


 人生観、職業観などこれは他人に迷惑をかけない限りその人それぞれの考え方があっていいと私は思います。たとえば日本人なら、すぐ未婚か既婚かなどとたずねられますが、外国人からしつこく聞かれたのはふたりだけで、米国人の弁護士とデンマーク人の外交官だけです。理由はふたりとも独身の男性であったからです。あとはそんな事は話題にもなりません。もちろん、私から聞くこともありません。つきあううちに自然にわかってくる事です。
 中学の同級生だった商社マンが「イスラム教の国で取引するのは大変だろうね。僕は欧米ばかりだから。」というようなメールをいつかくれましたが、たぶん私がマレーシアやインドネシアとかかわりがある事をさしているのでしょうが、イスラム教徒でない国民もちゃんといますし、ビジネス上で困るというほどの事はありません。特にインドネシアでは人口のうちたった数パーセントの華人が8割の富を握っているという事実を知っているのでしょうか。日本を代表する商社マンでもこういう認識です。そして、言葉の端に欧米優位主義がのぞいているような気がして不快でもありました。
 私は「不思議大好き人間」です。海外で仕事をしていて、日本との違いに気づく時、それはどうしてなんだろうと歴史的あるいは地政学的な背景に思いを及ぼしたり、そこに住み仕事をする人たちにとってどんなメリットを与えているのかなど考えてみるのが好きです。そして、どこに行っても真剣なまなざしで日々暮らしている人たちに出会い、同じ地球を共有している不思議さに感動するのがうれしくてたまりません。
河口容子