[380]マダムをめざして

年賀状を機に久々にメールを交換した旧友に私のインタビュー記事を送ったところ「すっかりカッコいいマダムになられましたね。」と一言。彼女はプロのライターでシャープな頭脳から繰り出されるワーディングに昔から大いにインスパイアされてきました。しばらく会わないうちにお世辞という大技まで身につけたようです。彼女曰く「日本はオバサンの大量生産国家でマダムについては金型の作り方すらできていない。」と。

確かに日本では「女の子」から一気に「オバサン」になり果てる人が多く、「金持ちそうなオバサン」「きれいなオバサン」「インテリオバサン」「若づくりのオバサン」などはいても所詮オバサンである事には変わりないのです。国会議員やエリート官僚に登りつめたとしても、私利私欲にまみれたオバサンや高給にも拘わらず生活に疲れた顔のオバサンが多く、マダムとはほど遠い気がします。

先日、ラオス大使館主催のレセプションに招待された時の事です。スピーチに立ったラオス商工会議所会頭の中年女性、驚くほどの美人ではありませんが、知性と品性を兼ね備えた風情に思わず「マダム」の真髄を見たような気がしました。控えめながらも凛としたオーラが他のメイクばっちり、色鮮やかな民族衣装の若い女性たちを圧倒します。ラオスは日本の昔の着物を想い起させる絹織物が特産品ですが、黒地の長い絹織ストールの左端を首からそのまま左側の腰へたらし、右端は背中をたすきがけに通し右のウエストあたりから引きだしてひじを曲げた左腕の上にのせています。何とエレガントな姿でしょうか。

一方、日本人ゲストでは専門家仲間の O女史。シルバーグレイがかったブルー地に黄色の縞がアンシンメトリーに織り込まれたラオスの布で仕立てた和服がボブカットにしたグレイの髪に実によくお似合いです。彼女は会社経営者で西洋文化に囲まれて育ち、のちにアジア諸国での生産や輸入、文化も紹介するようになりました。強烈な信念と独特のセンス、コツコツと積み上げた経験やスキル、とても気さくで明るい方なのに、凡人がおいそれとは近づけない威厳は堂々たるマダムの証でしょう。

2月 4日号「日仏混合かしまし娘」に登場するフランス人女性社長の V女史も A女史も元祖マダム。女性ならではのやさしさや機転も持ってはいますが、それぞれ自分で会社を立ち上げ、世界を飛び回り、リスクに勇敢に立ち向かっていく凛々しさが少年系に見えたゆえんでもあります。彼女たちは良き家庭人でもありますが、仕事中はきりりとして一切生活の臭いを感じさせません。

2007年 3月15日号「アジアを狙うオペラ・ビジネス」に登場する大学の先輩である音楽プロデューサー M女史もオスカルのような巻き髪の美しいヨーロッパ仕込みのマダムです。お金や地位だけを追うのではなく、見識やプライド、文化レベルの高さがマダムには必要なのだと思います。

かつて総合商社に勤務していた時、50代の男性が一番素敵に見えました。修羅場をくぐりぬけてきた自信と余裕。とっさの判断力や洞察力の深さ。なぜ女性がそうなれないのか。それは経験を積みキャリア・アップできる社会基盤が日本にはなかったからです。私は46歳で独立しましたが、男社会の総合商社よりももっと素敵な50代を送る方法はないかと模索した結果でもあったように今思えてなりません。そういう環境がなければ、自分で作れば良い、これが私流です。男女雇用機会均等法施行に関しても社内外でいろいろな活動を繰り広げてきました。次は冒頭の旧友がくれた視点「カッコいいマダム」への道をめざして頑張ってみようと思います。

河口容子

[367]日本女性と癒しグッズブーム

 相変わらず癒しグッズのブームが続いていますが日本のクライアントが20代から40代の働く女性 200名弱にアンケートを取りました。日常的に癒しを感じるものとして、動物、音楽、自然(植物や風景)、アロマ、ぬいぐるみ、人(家族や恋人)と言う順で、食事やお茶の時間という回答もありました。あまりにもささやかな、と言うべきか、正直何だか貧しいというという気もします。おそらくヨーロッパ女性なら人(家族や恋人)、快適な住空間という回答が来るような気がします。アセアン諸国でも同じような気がしますし、香港人なら仕事の後家族や友人と食事やお茶を飲みながら過ごすこと、かも知れません。
 また、20代の女性に対する「ストレス解消法」については、寝る、ごろごろする、しゃべる、入浴、買い物、ペット、という回答順です。50代なかばの私としてはあまりにも自己中心で安易な時間の過ごしかたに「ゆとりのなさ」を感じてしまいます。
 日本社会の特徴に「人間関係のむずかしさ」があります。日本人は殺人事件の大半が家族や交際相手などの一番近い相手によるものという恐るべき結果が出ているのもその証拠でしょう。また、お手伝いさんを雇いにくい風土というのも、「会社に使われても個人に使われたくない」という雇われる側のプライドや人にもよりますが「かえって気を遣う」雇い主側との感情がもつれるからでしょう。
 ビジネスにおいても昔は「和」、今は「空気を読む」。いつまでたってもイエスかノーかはっきりしませんし、論争を避けようとします。表でホンネが言えないから裏で愚痴る、あるいは遠まわしにそれとなく知らせるという文化がえんえんと続く。これらは日本の国際化をはばむ理由でもあり、上記の癒しの対象のランキングに「人」がなかなかあがって来ない理由なのでしょう。
 最近、女性側からの一方的な婚活ブームですが、ある記事によれば女性の平均年収は 291万円で男性の約半分です。しかも女性の年収のピークは30代前半でそれでも 299万円です。あとは年を重ねるごとに減って行きます。この年収では「お一人様」で世界一長寿の人生を終えるのは親からの遺産でもあてにできない限りいささか厳しいものがあります。一方、男性の独身率が伸びています。最近までは低収入の男性は結婚できないと言われていましたが、最近は高学歴、高収入の独身男性もふえています。女性向けの高額品市場がへこんでいるのに比べ、男性向けの高額品市場にスポットライトが当たっているのもそれを物語っているような気がします。
 私の世代の女性たちはほとんど結婚しており、独身でずっと仕事を続けている人たちはほとんど経営者や管理職、高等専門職です。特徴として見られるのは住空間の充実。定年を見据えてのマンションの買い替えや家のリフォームなどがよく話題となり、ギフトはインテリア用品やちょっと珍しいスキンケア化粧品だったりします。仕事がうまくいった場合は大きな癒しとなりますが、男性に自慢をすると妬まれたりいじめられたりするので、女性どうしで自慢をするという傾向にあるのが寂しい気もします。ただし、女性の社会進出に非常に制限があった時代から信念と覚悟を持って生き抜いて来たからこそ、腕を磨く事も含めライフ・プラニングもしっかりできたので若い世代より結果として恵まれたと言えるかも知れません。
河口容子
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