[039]バサバシと階級社会

 インドネシアとブルネイの出張から無事帰って来ました。留守中、たくさんのお便りを読者の方からいただきました。普段ならおひとりずつお礼のメールを書くのですが、今回は失礼させていただきます。ここでお詫びを兼ねお礼を申し上げておきます。
 さて、インドネシアというと赤道をはさんだたくさんの島からなる国というのは皆様よくご存知だと思いますが、人口は 2億人を超え、面積は日本の約 5倍というと結構びっくりされる方もあるでしょう。また、イスラム教国と思われていますが、確かに太宗はイスラム教徒ですが、宗教は自由でクリスマスもちゃんと休日になります。世界のリゾート、バリ島はヒンズー文化ですし、世界遺産のボロブドゥールは世界最大の仏教建築であることからも多様な文化が混在していることがわかります。
 今回の私の出張は国際機関のお仕事で、現地での相手はインドネシアの政府機関です。つまり、私はインドネシアのお役人にアテンドされるわけです。インドネシアは大官僚国家です。民間企業でもそうですが、人口が多く、それも都市集中型であるがゆえに、実に整然とした階級社会になっています。たとえば、政府機関に行けば態度だけで上下関係がはっきりわかります。ホテルに私を迎えに来てくれるのはだいたい下級管理職ですが、遅れることはあり得ません。遅れたと私が彼あるいは彼女の上司に一言言えば大変なことになるからです。ですから、最大のほめ言葉は本人に言うのではなく、上司に言ってあげることにしています。
 これは民間企業においてもそうです。友人たちが経営している会社の運転手さんたちにはよくお世話になりますし、顔も知っていますが、彼らが直接私に話しかけたり、挨拶することはあまりありません。私のために休日出勤してもらう時などはちょっとしたお菓子などをお礼にあげるのですが、だいたい雇い主経由渡してもらいます。ある日友人のオフィスでサンプルを見たあと片付けていたら、友人に「何をしているのか、持って帰りたいのか。」とたずねられました。片付けているだけ、と答えると「そんなことをしてはいけない。彼女の仕事がなくなるから。」と社員を指してそう言われてしまったことがあります。この国ではお茶くみはたいてい若い男性が専門に雇われていますが、彼を遊ばさないようにお茶を何杯も飲まなければならないのもなかなか辛いものです。
 また、現地の人たちは苗字を見ただけで出身地がわかるらしく、都会っ子、田舎者のような区別や地域ごとに民族や言語が異なり、日本でいうところの県民性のような地域ごとの特性があるようです。


 そして、インドネシア語で言うところのバサバシ、いわゆる社交辞令とかお世辞、お愛想という習慣がインドネシアにはあります。人によれば、個人の家に招かれてお茶はいただいてもいいが、食事を誘われたらそれはバサバシだから断らなければいけない、と言う人もいます。確かにこの国では、日本のように商談後成り行きで「こんな時間ですから食事でもしましょうか。」とはなりません。だいたい事前に打診があります。
 政府機関の部長職の方に「インドネシアは初めてですか」と聞かれ「何度も来ております。ジャカルタは私の第二の故郷です。」「それはどうもありがとうございます。」というやり取りが今回ありましたが、これは典型的なバサバシ会話です。ちょっと一言加えてほめる、それに対してお礼を言う、馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでですが、何だか人間関係にゆとりが生まれるような気がして私は好きです。ところが、バサバシか本気かで困ることがしばしばあります。バサバシならお断りせねばなりませんし、本気なら断ったら失礼にあたるからです。本当に親しければ形式的なバサバシは言わなくなりますので、こういう状況はちょっと親しくなりかけたときに起こります。
 きびしい上下関係とバサバシ。これらは多様性かつ人口の多い国家ならでは、そしてイスラム教の精神から来る共存と良き人間関係のために必然的に生まれたものだと思います。
河口容子