[208]東莞への旅 その2

 日程の都合で東莞の工場にはあまり滞在する時間がなかったため、予め私は到着日の夜一緒に食事でもしながら商談をしませんか、と申し入れておきました。接待していただくのをねだった形になりますが、初年度最低1億円の発注を準備していることと日本からわざわざ3人でやって来ることを考えれば相手も冷やかしではないと思ってくれるだろうとふんだわけです。
東莞駅に出迎えてくれた韓国人の担当者は小柄でにこにこしていて日本のどこにでもいそうな32歳の男性。「飛行機のスケジュールからしてこの列車に間に合うかどうか心配したのですが早かったですね。」「香港に飛行機がかなり早く着いたのです。」「そうでしたか、やっぱり。」彼は事前に列車の時刻表まで知らせてくれたりと非常に配慮が行き届いています。メールでは英語でやり取りをしていましたが、日本語もほとんど完璧に話せます。あとでわかるのですが10歳まで西宮の甲子園に住んでいたそうで、私も小学校 3年と 4年の半分を甲子園で過ごしています。最近までは私の元取引先の中国工場で仕事をしていたそうで、不思議なご縁でつながっていることがわかりました。
 「韓国料理でもいいですか?」と聞かれ、連れて行かれた韓国料理屋には彼の上司の製造責任者と販売責任者がきちんと待っていてくれました。私は辛いものが苦手なので内心びくびくしながらも、ここは一気に盛り上げねばと韓国ドラマの話などをしました。中国でも「チャングムの誓い」の大ヒットで韓国料理ブームなのだそうです。「冬のソナタ」に出てくるトッポッキをすかさずおねだり。マカロニ・サイズの餅を甘辛く煮付けたもので子どものおやつや軽食で、おかずにはならないと言います。「確かパリの恋人で海苔巻きのようなものを見た気がするのですが」というと海苔巻きも取ってくださり、これは中味がおしんこで外は韓国のりの胡麻油の香りがします。最後に日本人チームは水冷麺を食べ、韓国人チームはざるそばを食べていましたが、何となくおかしくもあり、うるわしい光景だと思いました。ビジネスマンたちはこうやって何の抵抗もなく友情を育んでいるのになぜ政治だけがわだかまっているのか不思議です。
 私のクライアントは株式上場を予定している事、リスク・マネジメントのために提携工場を分散しなければならない事を話すと、営業の責任者が冗談まじりに「それでは当社も投資をさせておいてもらわないと」私はすかさず「社長は義理人情の厚い方で良い製品を作ってくださり、利益をもたらしてくださる方を家族のように考える方です。もちろん御社も家族の一員となっていただくことを望んでおられます。」同席のクライアントの社長は目ぱちくり状態だったかも知れませんが、「家族」の一言に「おお」と韓国サイドが大きくうなずいてくださったのが印象的でした。韓国ドラマの見すぎもこんなところで役に立ちます。
 その後、夜の 8時から工場見学に行くことになりました。朝の 8時から夜の10時くらいまでは操業しているそうで「まだまだ十分時間がある」とのこと。お酒好きの韓国人があまり飲まなかったのは工場に戻るという計算があったようです。工場は 4階建てのエレベーターなしで、焼酎のストレートを 3杯でやめておいて良かったとほっとしました。
 日本で夜 8時の仕事場といえば、疲れのにじんだ感じがしますが、シフト制なのでしょうか、昼間とまったく変わらない仕事風景です。100%地方からの出稼ぎで、ミシンを踏む足のほとんどは裸足です。華南でまだ暑いとはいえ、ビーチサンダルかスリッパでも皆早くはけるようになることを密かに願いました。
 翌朝は 7時20分にホテルを出、始業開始と同時に工場でミーティング。おもしろい素材をいくつか見つけたのでサンプルとして送ってもらうようお願いし、11月にこの担当者と日本で再会することを約束しました。ホーチミン行きの飛行機に乗り遅れてはと担当者にせかされ、東莞をあとに一路香港へ、今度はベトナムのホーチミンへの旅です。
 帰りの車中で見たもの、中国では今だに建設現場の足場を竹で組んでいます。高層ビルだって竹です。ところが本土のみでなく、香港ですら竹の足場を見かけました。竹はどこにでも生えるのでタダなら何でも使えという発想でしょうが、危険であることは確かで相変わらず命の値段も安いという思いがしました。飛行機の中で見た新聞には足場が崩れてきて金融界の VIPのお嬢さんが怪我をしたというニュースが出ていました。そんな VIPが住む高級マンションでも足場は竹で組んでいるという証拠です。
河口容子