あなたは「日本人は働きすぎ」と信じていませんか?総合商社に勤務していた頃、ある大手米国企業の担当をしていて日本側の取引先はその会社の日本法人でした。社長以下上級管理職はほとんど米国人です。私は気力では負けない自信がありましたが、その体力にはついていけませんでした。朝5時に起き、ジョギングをしてから8時にはオフィスに到着、夜遅くまで元気に残業している人、また片道20キロくらいでもマウンテンバイクで通勤してしまう人など、1日くらい真似はできても決して続きはしないでしょう。そのかわり、長時間の通勤はないし、同僚と飲みにいくのが習い性にもなっていませんでしたが。
今から考えてみれば、私は日米の会社組織の違いにどっぷりとひたっていたわけで、いきなり米国人トップを相手に山のような資料をもとに論理的に説明をする一方、日本企業のボトムアップ方式のお伺いをたてるやり方も同時にやらねばなりませんでした。書類にしても日英両方必要ですから、同じような内容の事を米国方式と日本方式で処理せねばならないので単なる翻訳や通訳と違い、複雑な二度手間で、疲れるのも当たり前だったわけです。
ただし、教訓として得たのはこういう企業と「消耗戦」では戦えないことです。必ず負けます。また、現在おつきあいの多いアジアの華僑社会でもバイタリティやスピーディさでは日本人はあっという間に負けてしまいます。ビジネスのグローバル化を考えるときには日本人の良さをどう保つかどこで発揮するかがキイだと思います。それに従い、各人のマインドや組織のルールも手直しが必要だと思います。
小学生の低学年の頃は3学期になると欠席日数を数え落第しないように這ってでも学校に行かねばならないほど私は体力的には弱い子どもでした。「病は気から」で気だけでも丈夫にせねば、と38度くらいの熱では学校や会社は休まないなど荒療治を続け、会社員になってからも二度の入院生活を経験し退院後即残業生活に復帰したところ体力の衰えから今度は怪我をするなどという事はありましたが、今では毎日夜中の2時3時まで仕事をしていても取引先には「元気のかたまり」とからかわれています。おかげで多くの方が感じる「加齢による体力の衰え」はあまり感じず、「昔はできなかったのに今はできる事の多さ」にひとりで感動しています。
体力のなさは気力で補え、また体力がなかったために効率を考えるようになった、新しい事にチャレンジして活路を見出すなど、これは私自身が実践してきたことですが、企業や日本にもあてはまるのではないでしょうか。
河口容子