5年ほど前、まだ会社員の頃、ある米国ブランド商品の輸入オーダー・マネージメント・システム構築の責任者をおおせつかった事があります。私自身はSEではありませんので、システム全体の構想を練り、詳細なスケジュール作りと進捗状況のチェック、実務上不具合がないかテストを行い、ユーザー(自分の部下)に教育を行い、社内の関連部署やデータ伝送を行なう取引先3社との調整、専任で張り付いてくれているSEさん7人の管理です。コストと開発時間の短縮のため米国法人で使用しているシステムを改良して使うようにという上司の方針で、英語だけで動くシステム、しかもSEのリーダーはニューヨークのシステム部所属という珍しい仕事となりました。
この仕事を通じて、システムとは経営哲学であり思想であることを思い知らされました。まずこの米国式システムでは処理のステップごとに入力担当者が登録され、それ以外の人は勝手に入力ができません。前工程の人のうっかりミスを後工程の人が親切に訂正してあげることはあり得ないのです。後工程の人は前工程の人に訂正を依頼し、それが終わらないと後工程の人は仕事がストップするしくみになっています。
重要なデータの変更は担当者も一度確定させたら変更はできません。やむをえない場合は、管理者が判断を行なった上パスワードを打ってあげれば変更が可能なようになっています。もちろん、誰がいつ何をしたかの記録はすべて残り、管理者である私のパソコンからは一目瞭然です。おまけに毎朝担当者ごとの前日の処理結果がアウトプットされ、私はひとりひとりから報告を聞くまでもなく誰のところでどんな業務が停滞しているか把握することが可能です。
つまり、このシステムは性悪説、悪事を働く人間がいるかもしれない、人間はミスをするものだ、という前提にたってできており、犯人探しも簡単にできるようになっています。私のいた会社では、営業で入力した伝票データ処理のチェックは営業経理という別の部署が行い、実際の入出金は財務という別の部署が行う体制になっていました。営業の部署で、それも10数人の固定メンバーで仕事をしているのにそこまでの監視システムを持つことにかなり心理的な抵抗がありました。部下たちはいずれも優秀で忠誠心を誇りとしており、それがチーム全体の頑張りとなって向上心を生み、そしてある程度の判断を個々に任せることにより責任感や自主性を育てることができたからです。このように信じれば裏切られない、相手からの見返りを期待して何か行動を起こすという日本式のビジネススタイルは性善説に基いているといえます。
「中国人は自分以外をすべて敵と思っている」と聞いたことがありますが、私の知る限り嘘ではないと感じます。つまり自分を善とすれば相手はすべて悪になるわけで、これも性悪説といえます。米国であろうと中国であろうと性悪説の世界では隙あれば痛くもない腹をさぐられたり、親切が仇になることもあります。また、「泣き」で同情心をあおるなどもってのほかです。そんな不運な弱い立場なのかと切り捨てられるのが関の山です。性善説のほうが一見平和的な気もしますが、相手が思うように反応してくれなかった場合の恨みと失望は大きく、独善主義に陥る傾向があり、性悪説ではがっかりすることは少ないかも知れませんが、いつも緊張感を強いられ孤立化傾向にあります。
昨今、日本では詐欺事件が急増していますが、性善説を悪用したものともとれますし、性悪説的保身術が必要な時代になったとも言えます。
河口容子
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