[101]情報に対する姿勢

 最近、おもしろい体験をしています。公的機関の貿易 B2Bサイトに案件を出したところ、日本企業むけの案件については被閲覧回数が 150回を越してもメールや電話の問い合わせはゼロなのです。ところが、海外企業向けの案件を出せば 150回の被閲覧回数があれば 50-60件の問い合わせが来ます。その中にはスパムやとんちんかん、全文中国語だけ、というのも含まれていますが。
 このように日本人は情報に対してとても消極的です。サイトに出ている情報を閲覧しただけで仕事をした気になってしまうのでしょうか、それとも「どうせだめだろう」と決めつけ、だめな理由をあれこれ考え出すのに忙しいに違いいありません。だめもとで問い合わせてもそんなに時間もコストもかからないし、ましてや噛みつかれるわけでもなく、そこから得る何かがあるはずです。
 公的機関が発表するデータや管理している情報、あるいは新聞やテレビから送り出される情報は公開されているものです。従って、誰もが平等に同じ情報を得ることができます。逆に自分にとって役立つ固有の情報になるかどうかは受け取り手のアイデアやアクション次第ということになります。
 よくセミナーなどで「自分の役に立たなかった」とおっしゃる受講者があります。私もときどき講師をさせていただくのでわかるのですが、講師というのは受講生がどんな方々なのか事前の打ち合わせで聞き、最大公約数の内容の講演をするのが仕事です。受講者個別の事情にあわせて内容を組み立てているのではありません。少しでも自分寄りの情報を得ようとすれば質疑応答の時間を活用すべきですが、日本では質問も非常に少ないばかりか、無言の沈黙の時間が流れることすらあります。


 クアラルンプールで昼食をはさんで、 6時間ばかり現地の輸出業者を対象にセミナーを行なったことがあります。昼食やコーヒー・ブレークとなると受講者が次々と名刺を持って私のところに押し寄せ、事務局の政府機関の職員たちが私をあわてて取り囲んで離れた所へ連れて行って休ませてくださいました。質疑応答の時間には、質問者へマイクを持って行く係が追いつかず、とうとう私が受講者の中を 1時間走りまわるという有様でしたが、こういう積極性、情報への貪欲なまでの姿勢が私は好きです。
 情報というのが聞いた話、それも不確かな話や偏った情報源の積み重ねになっている方をよく見かけます。いろいろな人から話を聞くことは大切ですが、データでの裏づけ、自分なりの分析や考えも必要です。また、本当に価値ある情報をもらおうとすれば対価が必要です。お金を払わなければならない場合もありますが、自分からも価値ある情報を相手に提示して対価とする場合もあります。他人が自分のためだけにほんとうに価値ある情報をタダでくれるわけがないではありませんか。
 今はインターネットでありとあらゆる情報をいろいろな角度から収集できます。私はよく、知人などに情報のありかをURLまで教えてあげるのですが、ただクリックするだけになっているにも拘らず見ようとしない人が日本には多く、自分が口をあければ食べられる状態にして持ってきてくれるのをただボケーッと待っているような印象を受けます。情報は料理のしかた次第です。実に奥が深く、才能と日々の努力を要するものです。
河口容子