[155]ベトナム特集1 ハノイの夜の散歩

 観光もそうですが、ビジネスにおいてもベトナムがブームです。一時の中国ブームも人民元の切り上げ、人件費の値上がり、電力不足、反日感情といったマイナス要因を懸念し、生産拠点としては東南アジアへの分散、なかでも人件費が安く、手先が器用で勤勉、政治的にも安定しているベトナムが注目を浴びています。何よりもアジア1親日的な国家です。
そんなベトナムの貿易促進機関の発案で工芸品の日本市場向け輸出促進のためにマーケティング研究とデザイン教育をということで、マーケティング部分を私が、そして日本を代表する工業デザイナーの Y先生がデザイン教育を分担してセミナーを行なうことになりました。私たちはそれぞれアセアン諸国で講演やアドバイスを行なって来ましたが、この複合的な分野からのアプローチに約 1月前から準備やすり合わせを始めました。
早めに講演の準備ができたとひと安心したところに急に重い影を投げかけたのが台風でした。何と予報では出発時間ごろに関東付近を通るというではないですか。予定のフライトが飛ばなかったらどうするのかと聞けば、ベトナム側は出席者が 100名ほどおり、中には遠くから来る人もいる、貿易促進機関やハテイ県のトップも来賓で出席するから絶対時間通りに来なくては大変なことになる、というのです。いつも政府関係のお仕事はこんな感じでプレッシャーをかけられますが、相手が台風では努力のしようがありません。それでも前日出発案やら香港乗換え、ソウル乗換え、などありとあらゆる方策を探し、名古屋在の Y先生や秘書の方と連絡を取りながら、いざという時に備えました。
すっかり出発前に疲弊してしまった私ですが、どうやら予定どおりにハノイ直行便に乗ることができ、滑走路のむこうに薄日がさしているのを見たときには涙が出そうでした。成田空港から在日ベトナム通商代表部の商務官に予定どおり出発する旨電話で伝えましたが、商務官もよほどうれしかったのか「それではお気をつけて。」とハイテンションでの声で送り出してくださいました。
ハノイはベトナムの首都で、政治の中心であると同時に北部経済、工業の中心地です。ハノイは漢字で河内と書くそうです。ホン(紅)河に囲まれているからです。今の中国語でもホォネイという発音ですから、ベトナム語には随分中国音が残っています。ノイバイ空港からホテルまで車で約40分、沿道の空地にはどんどんビルや住宅群が建設中です。日本にはもはやこんな力強い風景は見かけなくなりました。
政府機関の職員に出迎えてもらった先生と私は日系の5ツ星ホテルに到着。夕食はベトナムの麺フォーにしようとホテルのアオザイ姿の日本人女性マネージャーにおすすめの店をたずねると、ベトナム人スタッフと相談した挙句、外国人がよく行くから間違いがないというお店で教えてくれました。実は地元の人たちが行くお店を紹介しようとしたのですが、私たちが政府機関の予約で泊まっていることを思い出したのか、あわてて無難なお店に切り替えたようです。政府機関の予約で泊まる場合は国にもよりますが、ホテルのスタッフが実によく気を遣ってくれます。部屋番号を言わずとも処理されたり、圧巻はフロントが私のスケジュール表のコピーまで持っていた事がありました。
お店までタウンウッチングがてら歩いて行くことにしました。ホテルはハノイ駅に近く、小さな湖の畔に建っています。このあたりは個人商店が多く、ヨーロッパ風の黄色や水色のしっくい壁で間口が狭い古い3階か4階建ての建物が長屋のように並んでいます。 1階が店舗で 2階以上は鎧戸風あり、丸窓であったりと日本の町並みとは文化がまったく違うことを感じさせてくれます。バイクの多く街だけあって、おしゃれなグラフィックを施したスクーターをディスプレイしているお店もありました。
 商店が多いせいか、歩道が原宿の表参道並みの広さがあります。日曜の夕方とあってそこへプラスチックの椅子を持ち出して中高年の人々が話をしていました。その周りを小さな子どもたちが飛びはねています。昔の日本の縁台での夕涼み風景と重なるものがありました。
 教えてもらったお店はオペラ座の近くにあり、いかにもオリエンタルな玄関にコロニアル・スタイルの豪邸といった感じのレストランです。オープン時間の 5時半ちょうどに着いた私たちはバーラウンジに招き入れられ、「これからスタッフ・ミーティングをするから15分ほど待ってほしい。」と言われました。こんな所に社会主義の顔がふとのぞきます。ベトナムのハリダ・ビールを飲みながら待つこと15分。
 今度は静々と別の建物に通されました。飲みかけのビールは裏の近道を通ってほとんど同時に運びこまれるという手際の良さです。フォーしかいらないと言う私たちにあきれ顔のウェイターが「ナマッ、ハールッマーッキー?」と生春巻をしつこく勧めるので 1皿注文。どうもこれがスタッフ・ミーティングの成果でしょう。
 外がすっかり暗くなった夜のハノイはバイクがいっぱい。翌日聞いたところ、エアコンもない家が多く、夜はバイクでぐるぐる街中を乗りまわすのがレジャーなのだそうです。あまり信号のない街ですが、信号があっても必ずしも守られているわけではなく、あうんの呼吸でお互いがすりぬけて行きます。私たちは帰りも歩いてみましたが、あちこちのタクシーの窓から運転手が手をあげて声をかけて来ます。日本では乗るほうが手をあげてタクシーを止めるのに、ハノイではタクシーの運転手のほうが手をあげているとY先生と大笑いしました。
 ある旅行記に「ベトナム女性はパジャマ姿で外を平気で歩く」を書いてあり、まさかハノイの中心にはいないだろうと思っていたのですが、老いも若きもパジャマ姿の女性をたくさん見かけました。それも日本でいう部屋着やワンマイルウェアというようなものではなく、量販店のパジャマ売場にある一目瞭然のパジャマです。パジャマでバイクに乗っている女性もいました。日本も昔は浴衣で寝たし、外着にもなったのでここでのパジャマは浴衣みたいなものだろうと変に納得してホテルに戻りました。
河口容子
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