[156]ベトナム特集2 堅実さと優雅さと

 ハノイの朝は早くから始まります。私たちのセミナーの聴講者の受付は朝の 8時から開始。会場は宿泊しているホテルから15km離れた別のホテルということで 7時15分の出発です。それでももう 7時前には通勤のバイクの音がひっきりなしにホテルの窓越しにも聞こえて来ます。私たちは車で向かいましたが、車道のほとんどはバイクと自転車です。排気ガスで空気が汚れているのかどんよりとした感じで、カラフルなマスクをかけた人がたくさんいます。
 会場のホテルに着くともう聴講者はかなり集まっていました。夕方から台風による大雨が予想されるのに120-140 名の参加があると聞かされ、心地良い緊張感が走ります。アセアン諸国での政府機関関係の仕事は現地の税金はもちろん、日本側からも支援を受けていることが多く、日本国民の税金も使われます。私はいつも納税者を代表するつもりで心をこめて、そして絶対無駄にはならない仕事をしようと決意して臨んでいます。商社に勤務している時代から思っていましたが、日本の外交や経済交流は私のような普通の民間人ひとりひとりが支えているのです。
 海外の講演はいつも英語で行なっているのですが、今回は聴講者のためにベトナム語が必要ということで日本語からベトナム語への通訳がつくということでした。自分で英語で話せば担当する時間を自在にコントロールできるのですが、通訳がつくとなると自分の話す時間は半分に減ってしまいます。また、通訳さんがどの程度の日本語力を持っているかも心配でした。ところが、この日の通訳は何とハノイ貿易大学の日本学部長の博士号を持つ女性でした。ベトナムにおける日本に関する研究の権威と言ってもいいでしょう。政府貿易機関の本部長とこの学部長が同級生ということらしいですが、彼女を呼んできたことでベトナム政府の力の入れ方の並々ならぬものを感じました。
 来賓の方々の挨拶をうかがうと、日本の台風のせいで私たちが来ることができないのではないかと心配したと口々におっしゃっていましたので、いかに皆さんが楽しみに待っていて下さったかが伝わって来ました。講演は私の「日本市場を知ろう」というテーマからスタートし、定刻どおり終了。皆さん熱心にノートを取ったり、笑ってくださったり、うなずいてくださったりと良い反応です。
  コーヒー・ブレイクに取材が 2件。その後は Y先生の講演です。ベトナムの菅笠ノン・ラーの素材(木の葉)を使った商品開発の例です。先生のデザイン会社で 100の商品案から20数個を絞りこみデザインされたものです。私もいくつかアイデアを出し採用していただいたのを大変嬉しく思いました。雑貨、家具、ガーデニング用品、簡易店舗など小さなものから大きなものまでひとつの素材からこれだけの発想ができるというのは途上国にはまねのできない事ですし、日本の得意とするところでもあります。
 午前の部が終了してランチタイムとなりました。参加者全員で立食ですが、講師と来賓、事務局にはテーブル席がセットされていました。食事をしながら赤ワインで何度も乾杯するのです。「よくおいでくださいました。」「講演をありがとう。」「みんなの健康を祈って。」などと言葉が見つかればその都度乾杯です。立って食事をしている人もタイミングを見てはワイングラス片手に挨拶に来てくれます。堅実そのものの出勤風景から一転して何と優雅な食事風景なことか。
 午後は聴講者がそれぞれ自社の製品を持ってきてのアドバイスです。日本の展示会でベトナムの大手商社の製品などを見ると、かなり完成度の高さを感じますが、今回のセミナーはハテイ県(ハノイ周辺)の中小企業が対象とあって、手先の器用さは認めるものの、まだまだ日本市場に対する知識や経験が足らないような気がしました。教えるほうにとってはその方がやりがいがありますし、真剣に聞いてくれる姿や感謝されるたびに「天職」である喜びを感じます。会社員時代にはこんなところに自分の「天職」があるとは思いもしませんでした。
 夕食は貿易機関主催のディナーで、私のリクエストを聞いて下さりシーフードで、中華風の華やか過ぎる電飾の大きな海鮮レストランに連れて行っていただきました。お料理の事を聞くと男性ばかりなのにすらすらと答えてくれるので「ベトナムでは男性は皆お料理をするのですか?」とたずねると「女性は出産や子育てがあるからここでは男性も料理をしますよ。女性より上手なくらいです。」と本部長が答えてくれました。
ベトナムは隣国の中国文化はもちろんのこと、宗主国であったフランス、そして社会主義のお手本として旧ソ連(ロシア)の文化が入り込んでいます。メニューにはウォッカやジャム入り紅茶などもあります。もちろん、ここでもビールやウォッカで何度も乾杯をしました。堅実だけれど実に豊かな文化背景を持っています。そしてアジアの中でも小柄な民族でありながら米国に勝った民族、その知恵や粘り強さは尊敬に値します。
食事を終える頃には台風のせいで風雨が強くなってきました。招待のお礼を述べ、明日北部の山岳地帯へ出張するという副長官に旅の安全をお祈りし、本部長やスタッフとは日本での再会を約束しました。ホテルに戻れば、「台風で停電になるおそれがあり、自家発電機があるものの切り替えには少し時間がかかる」旨のメッセージを受け取りました。日本を出発する前も台風で心配しましたが、なんとか予定どおりのフライトに乗れ、今度はベトナムで台風に遭遇しましたがセミナーの間は晴れ間もあり無事終えることができました。聴講者の皆さんの笑顔で帰っていく姿、主催者と並んでの記念撮影のざわめきなどは台風とともにベトナムの思い出として一生忘れないでしょう。
河口容子
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