ベトナムのハノイでの講演を終え、日本に戻って来ました。 5月に胆嚢の摘出手術をしてから初めての海外出張です。脂肪分摂取のコントロールと時々おこす胆石発作からは解放されたものの、小さいとはいえひとつの臓器がなくなるということは想像以上に問題がありました。消化が追いつかずすぐおなかをこわしてしまう、疲れやすい、胸にぽっかりと穴があいたような喪失感、 8月は猛暑のというのに 1月も風邪が治らず胸膜痛と戦わねばなりませんでした。 1食分を 1日でやっと食べられるかどうかという食欲の低下、人間というのは不思議なもので食べられないとうつ状態になって来るというのを初めて経験しました。
そのような中、ひとつの目標はベトナムでの講演でした。 1年前にお約束した仕事ですし、楽しみに待っていてくださる方々の顔を一人一人思い浮かべるとどんな事があっても行かなければならないと思いました。こんな体では行けないと寝る前に 20-30分間エクササイズを始め、たとえ夜中の 2時でも 3時でも毎日続けました。おかげで10月の終わりの術後 6ケ月検診では非常に良い検査数値が並びました。術後 2週間の検査では数値がめちゃくちゃで主治医もかなり心配したくらいですから、私のベトナムへ行きたいという熱意が神様に届いたのかも知れません。
上記のような経緯があっただけに11月初旬ベトナム大使館でのリハーサルの前日には涙がこぼれそうでした。よくここまで回復したものです。私は2005年、2006年とベトナムの政府機関の招聘で手工芸業者のためのセミナーとコンサルティングを行なっています。私が日本市場向けのマーケティングや日本の商習慣などを担当し、もう 1人工業デザイナーの先生がデザイン面での指導を行なうというプログラムになっています。今年は新規に日本から買い付けミッションも出すことにしました。ベトナムの政府機関主催のセミナーで日本人が講演を行うのはまだ年間10名以下との事ですので私としては 3年連続で大変名誉な事と感じてもいます。
初年度は日本のデザイン関係の財団法人がベトナム大使館との窓口業務をやってくださいましたが、昨年からは私がベトナム側と折衝、工業デザイナーの方へのお願いと現地でのアテンドとひとり何役もこなさなければなりません。おかげで出発前にはよく夢でうなされます。会社員の頃から夢でうなされるほどの仕事は必ず成功するのです。今年もこわい夢を見たし、準備も万端なので絶対大成功との確信を持って日本を後にしました。
成田18時10分発ハノイ行き。久々の夜間飛行です。飛行機は大阪、広島、福岡、上海、広東省の上空を飛びハノイのノイバイ空港に到着します。時差が 2時間ありますので到着したのは現地時間で22時25分。政府機関の若い運転手さんが出迎えてくれました。昨年もお世話になったので互いに顔を覚えており遠くから手を振りあいました。 1年ぶりですが、なんと彼はすらすら英語が話せるようになっているではありませんか。
ノイバイからハノイ市内へは約30km。以前は夜中にトラックやバイクがこんなにたくさん走ってはいませんでした。経済成長はうれしいけれど静かなハノイが好きだったので寂しい気持ちもしました。車はリートゥオンキエット通りにあるホテルへ。大使館の多いこの周辺はさすがに車や人通りはまばらです。いよいよ翌日はセミナーです。
河口容子
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