[189]ジョグジャの思い出

 インドネシアのジャワ中部にあるムラピ火山に噴火の兆しがあり、住民が非難というニュースを聞いたのは 5月の13日頃だったと思います。世界遺産ボロブドゥールが近いだけに大丈夫だろうかと心配しました。(ボロブドゥールについては2003年 7月 4日号「インドネシアの歴史にふれる」をご参照ください。)そして27日には中部ジャワの古都ジョグジャカルタの沖合でM6.3の地震が発生、何千人もの犠牲者、被害者が出ました。
 ジョグジャカルタ(ジョグジャと呼ぶことも多いです)は、「平和の町」という意味でインドの古典、サンスクリット語で書かれた「ラマーヤナ」のラーマ王子の国、アヨーダィヤーにあやかってつけられたともいいます。インドネシアの地名や会社名はサンスリット語名を持つことが多く、会社訪問時に「社名の意味は何ですか?」と聞くと「サンスクリット語だからよくわからない。」と社長に答えられ苦笑してしまうことが時々あります。ガルーダ航空のガルーダもインド神話の神鳥「ガルダ」から来ており、インドネシア共和国の国章にもこのガルダが使われています。
 さて、被害状況ですが、インドネシアの日本語新聞によるとジョグジャカルタのアディスチプト空港のターミナルビルが倒壊、空港近くの世界遺産プランパナン寺院(ヒンドゥーの遺跡群)の一部が崩壊、ボロブドゥールは無事、市内の銀座通りにあたるマリオボロ通りは屋根が崩れたり、窓ガラスが割れたりしているとのことです。2003年に私が泊まったホテルはマリオボロ通りにありましたが、窓から見る景色は東南アジア一の大都会ジャカルタのそれとは大きく違い、昔にかえったかのような安らぎに満ちたものでした。この街には馬車が走っています。最初観光用と思っていたのですが、地元のお年寄りたちが乗っているのを何度も見かけました。車が十分普及している都市で馬車が一般の交通手段として共存するという不思議な光景でした。
 ジョグジャは上述の二大世界遺産のお膝元であり、今でもサルタンの住む王宮があり、またインドネシア最大の国立ガジェマダ大学のある街でもあります。私が訪れたときは、ジャカルタから同行してくれた政府機関の女性の管理職のお嬢さんがガジェマダ大学に在学中でした。お世話になったお礼にと母娘一緒にディナーに招待したところ、お嬢さんがいきなり女友達を二人連れて現れ、政府機関の女性はひたすら恐縮するのみで、エリート国家公務員から普通の母親の顔に戻ったのが今でも印象に残っています。
 日本の報道によれば、今回の地震は一昨年のスマトラ島沖地震(M9.0)、昨年のパキスタン大地震(M7.6)と同じく、インド・オーストラリア・プレートが他のプレートに沈み込む位置で、この地域は活動期に入っているのだそうです。また、火山災害でも過去 300年間で世界中の犠牲者の60%以上がインドネシアです。資源大国でもあり、自然災害大国ともいえるインドネシアですが、早く復旧してあの自然と溶け合い、五体にしみこんでくるような王宮ガムランの調べが似合う街に戻ってほしいものです。犠牲になられた方々のご冥福と被害に遭われた方々が一刻も早く日常生活を取り戻せるよう祈ります。
河口容子