[214]千年を越える思い

 先週号で書かせていただいたように「急遽APECのハノイへ」やって来た私たちの最初の仕事はベトナム商業省貿易促進庁への表敬訪問と打ち合わせです。副長官と部長は昨年のセミナー以来何度もお会いしているので、雑談もまじえながら和やかに時間が過ぎました。
 次は農業・農村地域開発省傘下の農産物販売促進展示館で開催されている手工芸品見本市の視察です。館長を表敬訪問して記念撮影をした後、副館長に案内されて中をまわりました。ベトナム戦争が終わって約30年ですが、30代、40代の人の中堅層が異様に少ないのに気がつきます。館長は50歳前後でしょうが、副館長は日本では信じられないほど若い男性です。
 ベトナムの手工芸品は、竹、草、絹、木、土(陶器)、漆など自然素材を用いたものが多く農業分野に区別されるのは十分理解できます。また、手工芸品の「村」というのが各地域にあります。近代化、豊かさというとすぐ工業化を思い浮かべますが、急速な工業化は農村の荒廃と自然破壊や貧富の差を生み出しかねません。私自身の社会人生活では農業とはまったく縁がなかっただけに、このような大切な分野でお役にたてる事にうれしさを感じました。
 翌日行なわれるセミナーの出席者の太宗がここの出展者と聞き、視察にも気合が入ります。ベトナムにはドンホーという民芸版画がありますが、実演コーナーがあり、日本なら作務衣といったところでしょうか、そんな格好に鉢巻をしめた美青年が最後の一色の黒の版を刷って「あなたのご繁栄とお幸せをお祈りいたします。」と下さいました。ドンホーによくある豚の親子の絵です。私がべトナム語で「シン・カムオン(どうもありがとうございます。カムオンは感恩。)」と言うと青年もにっこり笑い「シン・カムオン」。
 次のコーナーには金属細工の会社。浅黒く皺の刻み込まれた初老の男性が自分の作品だと自慢げに説明をしてくれました。帰ろうとすると急ににっこり笑い手招きをしては違う作品の説明をし始めます。それを何回か繰り返した後、私は彼と作品の写真を撮らせてもらいました。半袖の白ワイシャツにノーネクタイで何の飾り気もない細い方でしたが、深みのある表情が何とも素敵でした。
 ベトナム料理をいただいてから、午後は旧市街の手工芸品のお店まわりです。夕方はベトナム商社の女性の管理職の友人と夕食。彼女は国内出張から帰ったばかりなのにいつもの明るい笑顔で同行のデザイナー先生と私をもてなしてくれました。夜 9時近くにホテルに戻ると車寄せの下にライフルを持ったベトナム兵が警備についているのに気づきました。これも APECならではの光景です。
 翌日のセミナーは朝 8時半スタート。160社約 250名が参加してくれました。大盛況です。講演直前にテレビのインタビューが入ったのが番狂わせでしたが、私のセミナーの締めくくりは10月にベトナムのズン首相が来日されたときに出された「ベトナムと日本はアジアの平和と繁栄のための戦略的パートナー」という言葉と雅楽についてです。雅楽のルーツのひとつはベトナムにあります。日本人は千年以上も前のベトナム音楽をそのままずっと大切に保存していること、この長い交流の歴史が互いの好感、呼応する気持ちにつながっていることを話しました。千年を越える思いは聴講者にも届き、会場から割れんばかりの拍手をいただきました。
 実は偶然にもセミナーの話をいただく 3日前に宮内庁楽部の秋の演奏会に行き「陪櫨(ばいろ、ろはツキヘン)」という楽曲を聞きました。聖武天皇(724-749年) の時代にベトナムから伝えられたものです。また、日本軍の仏印進駐により 200万人のベトナム人を餓死させた歴史がありますが、ベトナムは外交上その事に一度も触れたことがありません。実に品格ある国家だと思います。
河口容子