こころの時代

年末に「しくみの崩壊」を書かせていただいた時、読者の方から「同感である。かなり痛い目にあわなければ克服はむずかしいであろう。」というコメントや「21世紀は今までの反動が来てこころの時代になるだろう。」というコメントをいただきました。

新世紀になって1ケ月目「こころの尊さ」を強くアピールした事件がありました。新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして犠牲になった日本人と韓国人のおふたりです。最近は正義感からケンカの仲裁をしたり、他人に注意をしたりしただけで怪我を負う、殺されるということがあまりにも多く、何が起ころうと「見て見ぬふりをすることが処世術」という風潮があっただけに、より感動的で痛ましい事故でもありました。

この事故を最初耳にした際、おふたりの勇気に感動するとともに不思議だったのが「その時駅員は何をしていたのか?」という素朴な疑問です。誰もいなかったそうです。私は私鉄のある駅でホームと電車の間隔が広いために何と1週間に2回も線路に人が転落するのを見たことがあります。そこは小さい駅ですが電車の発着時には必ず駅員がホームにいるので大した怪我にはなりませんでした。

東京は公共の交通機関の発達度、時間の正確性では世界に類を見ないほど優れた都市で通勤、通学の手段としての依存度も非常に高いはずです。昨年起きた地下鉄日比谷線の事故も振り返ると安全性に少し不安を覚えました。確かにふだんの事故は自然災害や飛び込み自殺、踏み切りを無視してトラックが突っ込んだりと「被害者」側にまわることが多く、自らの安全性に疑問を持っていないのかも知れません。

もうひとつ考えられるのは、リストラの悪影響です。鉄道のみならず、あらゆる業種でしじゅう体験しますが、自分の仕事に精一杯で他人を思いやるゆとりがない人が急増しています。ひとりでこなす仕事の量がふえているのか最低限の機械的な対応しかできない人が増えています。企業にとって人を減らして利益をあげるのは即効果があがりますが、仕事の内容ややり方もいっしょに見直さない限り時間がたつにつれ質の低下や信用の崩壊をまねきかねません。

新聞記事に出ていましたが、「昔は上司が飲みながら愚痴を聞いてくれたり、個人的な相談にものってくれた。今はそんないい人はもういない。」と。確かに私自身の会社員生活をふりかえってみても、まず「管理職の絞り込みや適性」という形で年功序列主義が崩れはじめ、ついで「リストラ」という形で終身雇用制度が消えていった気がします。これらの変化とともに確実に上司像は「ふだんは厳しいけれどいざとなれば頼りになる人」から「ハンコをもらう人」に変わっていきました。最近はロボットの開発競争がさかんですが、このままでは人間がロボット以下になってしまいそうです。

人間が人間らしくあるためには「こころの復権」が大切です。どうも邪悪なこころを見せつけられる事件が相次ぐ昨今ですが、新大久保駅の事故により多くの人が美しいこころを思い出してくれることを祈る毎日です。

2001.03.23

河口容子