[255]女性と年齢

 女性に年齢を聞くのはマナー違反とされていますが、実際にはそうでもなく、外国人と少し親しくなれば「何歳ですか?」と聞かれることがしばしばあります。たとえば、韓国語は1歳でも年上なら敬語体を使わなければならないので相手の年齢を確認するのは珍しくないと言います。また、ベトナム語では、「チャオ アイン」と言えば年上の男性に対する「こんにちは」、「チャオ チ」は年上の女性に対して、男女関係なく年下なら「チャオ エム」と言いますから相手の年齢を見抜く術が必要です。いずれも年上の人を敬う精神や、ビジネスの会話ではどのくらいキャリアがあるのか知りたいなどという単純な理由で年齢を聞いているだけです。
 一方日本では、中高年の女性とわかれば若者からも小馬鹿にされ、詐欺商法の格好のターゲットとなるだけです。「女性は産む機械」と発言し物議をかもした大臣の発言に代表されるように、生産性重視、産まない年齢に達したら「女性にあらず」という国民性を当の女性たちも許してしまっているのはだらしない。人間は誰もが平等に年をとるわけで、「年齢の若さ」は何の自慢にもなりません。若い時は人それぞれに若さゆえに美しい。ところが、年を重ねるにつれ経験や精神的な成熟、日々の努力がなければ美しくは見えません。むしろ中高年になってからこそ個々人の真価が問われると思っています。
 自宅の近くにあるブティックの女性オーナーは私と同年齢の美人。お嬢さんは留学先のニューヨークで台湾系米国人と結婚しました。その結婚式はニューヨークで行なわれ、女性オーナーの82歳になる伯母さんも出席されたそうですが、社交ダンスが得意で華やかな装いのよく似合うこの老婦人は米国の若い男性招待客にモテモテだったそうです。外国人は年齢をたずねても、年齢を気にしないという良い例です。むしろ、彼女の日頃の努力の積み重ねやセンスの良さに魅了されエールを送ったとも言えます。
 日本では「その年になったら誕生日なんてもううれしくないでしょう?」と冷やかされる事がありますが、そんな事を思ったことは一度もありません。「10歳まで育てばあとは大丈夫ですよ。」と母が医師に励まされ、二度と子どもはほしくないと思ったくらい私は手のかかる弱い子どもでした。健康自慢だった父が40歳の誕生日を迎えて10数日で他界したのに比べ、病気も怪我も多かった私がこの年まで生きているだけでも奇跡、神様に恵んでいただいた命と思わざるを得ません。20歳や30歳の自分と比較しても私は今の自分のほうが好きです。なぜなら、経験なりノウハウが積みあがっているからです。若い頃はおしゃれをする余裕もありませんでしたが、今はありますし、年をとった分小綺麗にしなければと努力をする私がいるからです。
 目下最大の悩みは年齢よりはるかに若く見られることです。まず、仕事上では経験が不足していると見られて損をする事が多く、年齢からPRしなければなりません。健康保険証など写真のついていないもので本人確認をしようにも「ご本人ですか?」といぶかしがられる始末。相手が10歳以上年下なのに親しげな口を聞くので「失礼な男性」だと思っていたら、先方は先方で私のことを同世代と勘違いしており「生意気な女性」と思っている、というケースが時々あります。私に何かの用で来られた人が私を私の娘と勘違いしていたため、本人だと言ったところ、からかわれたと思い怒って帰ってしまった、などなど。
 実は48歳の時に広東で23歳と25歳の若者に「28歳くらいですか?」と聞かれたことがあります。一瞬、お世辞か目が悪いのではないかと疑ったくらいですが、そんなに若く見られて嬉しいというより、おそらく途上国では若さを保つための情報が少なく、意識的なゆとりも少ないのだろうと感じました。昨年、香港人の若い男性クルーに機内でナンパされかかりましたが、日本と同じ東アジアの人であっても、年齢は気にしないようです。健康管理や資産形成のために年齢を気にする必要性は認めますが、「年だから」をチャレンジしない理由にするのはやめましょう。
河口容子
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[245]ギフトは心の鏡

 中国から日本に帰化したビジネスウーマンJさんから面白い話を聞きました。ある日本人家族が親しい中国人にお土産を持って行くことになり、日本人の奥さんとお子さんで手作りをしたものを差し上げたところ、中国人は「自分で作ってくれたものをくれるなんて。何てケチな日本人!」 とJさんにこぼしたそうです。 Jさんが日本では手作りのほうが心がこもっており、オリジナリティがあるので特別な意味があると何度説明してもその中国人は納得しなかったとか。
 確かに途上国では手作り製品があふれており、工業製品のほうが有難がられる傾向にあります。また、相手がいくらお金を出してくれたかだけが評価基準の人も日本も含めてたくさんいる事は事実です。しかしながら、ギフトというものは本来感謝やお祝、励ましなどの気持ちを物に託したものであり、どのような気持ちでその商品をどんな風に選んだのかが大切であると思います。また、相手の喜ぶ顔や御礼の言葉が何よりのお返しであったりもします。ギフトはいわば双方の心を映す鏡とも言えます。
 2007年 7月 5日号「アセアン発の美と健康」の最後のほうで出てくるシンガポールのクライアントに差し上げたのはハロー・キティのネクタイです。日本から持って帰るのに荷物にならないこと、日本らしいお土産であること、賄賂ではありませんので負担にならない価格のものという枠で、華僑世界のセレブである彼らにふさわしいものを探すのに数日考えた結果です。40代の専務と30前後の部長に紺地と淡いピンク地のものを選び、好きなほうを取っていただくことにしました。シンガポールでもハロー・キティは大人気ですので、カジュアルなパーティにでも使っていただければ話題になること間違いなしです。軽装が多い東南アジアのビジネスマンの中でこの二人はスーツにネクタイ姿が実にダンディです。このネクタイはハロー・キティの顔の輪郭が水玉の変形パターンのように見える柄です。目鼻がついているわけではないので子どもっぽいものでもありません。
 専務からいただいたメールは「部長より年上の私にとって色選びは難しいものではありませんでした。こざっぱりとしていて、私のワードローブ(持ち衣装)にぴったりです。」紺地を選らんだこと、気に入ったので使います、という意味を実にエレガントに表現したものでした。
 中国や東南アジアに出張する際は、相手がわかっている場合はその方にあわせてお土産を準備して持って行きますが、思わぬところでお世話になる方もあり、そんな時用にスモール・ギフト(粗品)を余分にスーツケースに入れて行きます。ブランドものや日本モチーフのハンカチや美しい缶に入った小さなお菓子なら嵩張らず、だいたいの方が喜んでくださいます。日本でお会いしたことのある香港人のキャリアウーマンに広州でばったり再会、日本モチーフのハンカチを差し上げたところ「私は日本製品が大好き、ありがとうございます。」とハンカチを大事そうになでてからしばらく見つめていたのが印象的でした。実はこの準備するハンカチはすべて色や柄を変えて用意してあり、差し上げる方の雰囲気に最も合ったものをその場で選ぶことにしています。
河口容子
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