急遽、APECのハノイに行ってきました。昨年の 9月に手工芸品の日本市場への輸出促進のセミナーがベトナム政府の貿易促進機関の主催で行なわれ、マーケティングの講師を務めさせていただきましたが、今年はAPEC期間に手工芸品の見本市が開催されるので、それにあわせてセミナーを、という依頼です。何とベトナム大使館から依頼を受けたのは出発の2週間ほど前です。大使館の商務官は日本語が不得手な事から、まずはデザイン教育を担当してくださる工業デザイナー探し、セミナーの内容の調整、契約条件の確認から私の仕事はスタートです。いくら2度目で傾向と対策はわかっているというものの、パワーポイントの作成、デザインの講師と内容を調整、自分の他の仕事の調整、ベトナム大使館でのリハーサルと打ち合わせ、荷造り、お土産の手配と飛ぶように時間は過ぎて行きました。
11月上旬にベトナムが WTOに加盟することが決まり、APEC開催ともあわせ今年はベトナムにとってまさに記念すべき年です。社会主義国であるベトナムがどんな警備体制を取るのか、国内は公安が目を光らせているので安全ですが、海外から入って来る人をどう制御するのか、自分の準備もさることながらそんな事も興味しんしんで出発しました。
成田空港発ハノイ行きのベトナム航空便はかなり空席が目立ちました。APEC取材のクルーも同じ便に乗っていましたが、ハノイはもともとホテルが少ないため開催期間中は予約が取れないところが多く観光客が少ないのでしょう。ハノイのノイバイ空港ではバゲージ・クレームが不思議なほど時間がかかりました。荷物がひとつずつゆっくり出て来る所を見ると再度X線でチェックしていたのではないかと思います。
空港から市内へ向かう途中、今年の4月には骨組みだった家々がすっかり建ちあがって大きな住宅群になっています。まさに「街ができる」という感じです。家々には赤に黄色の星のついた国旗がはためき、沿道にはAPECの垂れ幕がいっぱいです。市内に入っても幹線道路からシクロ(自転車の人力車)が消え、天秤棒の物売りが消え、自動車や真新しいバイクがふえ、いつものハノイではないようです。
ホテルはマレーシア系のハノイ唯一のブティックホテル(小型でインテリアなどに凝っている隠れ家的ホテル)です。何と私たちの前にジャーマン・シェパードを連れた大柄の黒人客がチェック・イン。このホテルは米国大使館が借り上げており、お犬様は警備要員のようです。米国は1,000 人以上をAPECに送りこんでおり3つのホテルに分散して投宿していました。私たちはいわばベトナム政府のお客さんですから怪しい者ではありませんが、気にせず泊めてくれる米国はさすがに余裕があります。予約をしてくれた政府機関の幹部によるとハノイにある日系のホテルには断わられたそうです。
到着は夕方近くで仕事もなくハノイの名所ホアン・キエム湖周辺を散歩。いたる所にイルミネーション。湖と森に囲まれ、ちょっとレトロな感じで薄暗いこの都市が好きな私としてはちょっとがっかり。疲れたのでタクシーでホテルまで戻りましたが、ちょっとぼったくられた気がします。もともとベトナムの通貨であるドンは桁数が多く、1万ドンで74円ほどです。慣れるまで、現地の物価とも考え合わせるとちょっと金銭感覚が麻痺します。APECのおのぼりさん目当てにぼったくるハノイっ子も出るかも知れない、と気を引き締めての初日スタートとなりました。
河口容子
【関連記事】
[155]ベトナム特集1 ハノイの夜の散歩
[182]ハノイふたたび
[210]ホーチミン 月餅に願いを
信頼できる取引先を得たという共通の思いが黙っていても私たち3人にはあり、帰りの車の中ではおしゃべりに花が咲きました。工場の運転手さんに申し訳ないとは思いつつ英語も通じません。それでも楽しそうな私たちも見ながら最初の微笑みを忘れずに彼は1時間半ハンドルを握り続けてくれました。無事ホテルの前に着いて一斉に差し出された握手の手をびっくりしたように順々に握りながら、うなずくように何度もお辞儀をしてまたドンナイへと戻って行きました。
午後3時。今回の出張もあとはホーチミンの街中を見て夕食を食べるだけとなりました。ホーチミンはバイクだらけの街です。ハノイに比べ大きな都市ですのでさすがに自転車の人はあまりいません。信号がほとんどないので通りを渡るには少々勇気と反射神経が必要です。「東京で自転車に乗りなれているので平気」とスタスタ走る私にクライアントのふたりが「私たちは田舎もので信号とクルマ社会に慣れていますから、こんなこと、ヒャーッ」っと奇声をあげながら走ってついてきます。
黄色い花をつけた街路樹を発見。ミモザの花でしょうか。すかさずデジカメ。「 5-6年前にホーチミンに来たことがあるのですが、乞食がいなくなりましたね。」とクライアントの社長。「今は外国からの投資ブームですから、失業者もほとんどないのではないでしょうか。」と私。「そのとき、小さな子どもの乞食がいてね、背中に赤ちゃんを背負っていたんですが、じっとしたままで、泣きもしないし、動きもしないんです、変でしょう?そのとき、案内してくれた人が言うには歯磨き剤を食べさせて神経をマヒさせて子どもの乞食に背負わせるのだそうです。もちろん、子どもの乞食のきょうだいなんかじゃありません。あわれっぽく見せるための小道具です。」「本当だとしたら悲しいお話ですね。香港の出発ロビーにアジア人の少女がいたのですが両親は西洋人だったのにお気づきでしたか。」「いえ、気づきませんでした。河口さんはそうやって僕たちが見過ごすものにたくさん気づいていろいろな事を考えるのでしょう?」「ええ、少女は本当に幸福なのだろうかと。」「もちろん幸福に決まっていますよ。」クライアントの社長は私の心配をかき消すように言いました。「そうですね。両親に大事にしてもらっていましたから。」会社員の頃にも取引先に「観察力と洞察力のおばけ」と言われたことがありますが、私の仕事にはこのふたつの力は不可欠ですし、リスクから守ってくれるものでもありますが、気づきすぎてやけに悲しいことや失望することが多いのも確かです。
主に外国人をターゲットとしたショッピングモールへ行くと品揃えの多さにびっくりします。案の定、日本人の女性の買い物客(仕入れかも知れませんが)の会話があちこちから聞こえてきます。モールの外に民族楽器を持った赤いアオザイ姿の女性がふたりいました。音楽はスピーカーから流れっ放しで彼女たちはモデルといったところですが、私のデジカメのためににっこり笑って楽器を弾いているふりをしてくれました。
夕食は朝から決めていたホテルの裏の海鮮料理店です。私の部屋からエレベーターにむかう廊下の窓から見つけたものです。締めくくりに月餅を食べようということになりました。ベトナムでも中国同様あちこちで月餅が売られていて食べずに帰るのは何となく惜しい気がします。ところが、英語でムーンケイクと言っても何か変なものを持って来られ「違います、違います。あれよ、あれ。」と月餅のコーナーを指差すと、今度はウェイターが手招きするのでついて行くと、キッチンからココナツを取り出し、この上にソースをかけ、などど違うものを売りつけようとします。月餅にこだわる私に根負けしたウエイターは月餅コーナーに私を連れて行き、中に入っている餡の説明をしてくれました。「じゃあ、これひとつお願いしますね。悪いけれど三つに切っていただけません?もうおなかがいっぱいなので。」ケチな外国人と思われたかも知れませんが、お店のスタッフ全員が見守る中でウエイトレスの若い女性が包丁で見事にパイ型に3等分したのは私たちもびっくりでした。
「満月にお祈りをすると願いごとがかなうと言いますよね。中秋のお祝いですから月餅に願いごとをしましょう。」と言うと「みんなの願い事がかなうといいね。」とクライアントの社長。「かなっても 1/3ずつですよ、きっと。」と私。
OEMメーカー探しを始めて早9ケ月。もちろん毎日こればかりやって来た訳ではありませんが、ホテルの自室に戻ると安堵で涙が出そうでした。不安と焦燥、良い相手が見つからなかったらクライアントに申し訳ないと思う日々の連続で、出発前にはひどく体調をこわし、出張中も夜中に何度も目が覚めるという毎日だっただけにこの夜は10時すぎに棒のようになって眠りにつきました。
河口容子