先日、「インドネシア経済・投資セミナー」が経団連会館で開催されました。講演はユスフ・カラ副大統領をはじめ、ブディオノ経済担当調整大臣、イドリス工業大臣、パンゲストゥ商業大臣、ルトフィ投資調整庁長官という超豪華メンバーで、それも一般ビジネスマンに公開されたイベントであるという点もいかに同国が日本からの投資促進に力を入れているかがわかります。
インドネシアは世界有数の資源国で、マラッカ海峡を渡らなくてすむ安全な燃料の供給国であり、その他産品の輸出国として、日本の大切な貿易パートナーです。また、戦後の賠償から始まり、現地への投資も長い歴史を持っています。ところが、アジア通貨危機と時を同じくして中国の台頭があり、日本からの投資は中国へ向いてしまいました。最近、チャイナ・リスクをおそれてまたアセアン諸国への回帰が見られますが、さまざまな国が海外投資の優遇策を打ち出しており、特にベトナム、タイ、そしてアセアン外ですがインドへ投資は奪われており、インドネシアの出遅れ感はいなめません。
ユドヨノ政権誕生後、汚職の徹底排除や貧困層への援助などクリーンで安定した国家建設をめざしていますが、日本の 5倍の国土(18,110の島からなる島嶼国家ですのであまり広いというイメージはないかも知れません)を持ち、人口は 2億人以上という大国の安定はアセアン諸国の中にあっても、日本にとっても経済と安全保障上大切なことです。また、その人口の 9割近くがイスラム教徒で、世界一のイスラム教国家でもあります。
過去に 2年立て続けにインドネシアの貿易機関を訪問し、一緒に仕事をしたことがありましたが、 1年目と 2年目で大きな違いがありました。 1年目はごくごく普通の対応でしたが、 2年目はトップへの表敬訪問では大きなテーブルからこぼれんばかりのお菓子でもてなしてくれ、各部署でいろいろお土産をくださいました。また、ドライバーつきでの観光やディナーなどと申し訳ないような接待ぶりだったのです。帰国して前年との違いの理由を考えたところ、どうも原油高で政府がうるおったのではないかという結論に達しました。小国で資源貧乏国の日本人はあくせく働くしかなく、資源国というのは本当にうらやましいと思いました。今回来日されたのは副大統領以下閣僚ということもありますが、シンガポールやマレーシアのような先進国家的なリッチさを感じさせ、インドネシアの経済環境の改善をうかがい知ることができました。
もうひとつ、英語力です。カラ副大統領の講演はインドネシア語でしたので英語は不得手な方かと思いきや、聴講者からの質問には英語でどんどん答えておられ、閣僚にいたっては皆さんネイティブ並みの英語力です。もともとインドネシアはオランダ統治の歴史が長く、インドネシア語はアルファベット表記ですが、発音はオランダ語の影響を受けています。インドネシアの方の英語はどうしてもその癖が出ますが(ドイツ語を履修した方なら法則はわかります)来られた閣僚にいたってはまったくインドネシアなまりがありません。日本の閣僚がこれだけそろって英語で講演を行い、質疑応答にも答えられるかというとかなり厳しいものがあります。英語圏であるシンガポール、マレーシア、ブルネイ、フィリピンには無理としてもインドネシアにも負けるとは日本の国際化も前途多難のようです。
インドネシアに関しては聴講者からの歯に衣着せぬ質問が多く、いつもハラハラドキドキと笑いに満ちているのが特徴です。今回も「本当に汚職はなくせるのか」(なくさないと立ち遅れますよ、という親心的ニュアンスのあるものでした。)や「最近中国と急接近し、日本を向いていないんじゃないかという声があるがどう思うか」という質問には副大統領が「中国製品は品質が良くなくても安い。わが国は貧しいから中国製品を買わざるを得ない。でも常に安さが優先するわけではなく、高いけれどベストの品質である日本製品を私たちは好きです。」と答えられ、会場から大きな拍手がわきおこりました。
ある年配の男性が「私はスマラン(ジャワ島中部)の生まれです。ジャワの農業を忘れちゃだめだ。豊かな土地です。オランダにずっと支配され、華僑に絞り取られ、インドネシア人は何をしてきたのか。工業化だけでなく原点に帰って考えたほうがいい。」というような意見を述べられました。経済担当調整大臣は苦笑されて「プログラムを組んだのは私です。農業を取り上げず申し訳ありませんでした。」と答えられました。スマートなインドネシア閣僚とジャワの心を持った日本人。この対比がおもしろくもありましたが、 2国間の友好の歴史と素直に物を言える相手を持つ心地良さも同時に感じました。
河口容子
[164]続 アセアン横丁の人々
今年の 3月16日号に「アセアンから始まる春」というテーマで書かせていただいたのですが、ここのところ私の周囲はアセアンづいて、2004年 9月18日号「アセアン横丁の人々」風に続編を書いてみようと思います。まずは先週取り上げた BIMP-EAGAのセミナーでは、主催者の国際機関の部長をしているブルネイ人女性とまず挨拶。彼女はブルネイの政府機関からの出向ですが、 7人いるお子さんのうち 3人とメイドを帯同して東京に駐在しています。何とこの 3人は人も羨む某有名私立高のインターナショナルスクールに通っていますが、この春からひとり某有名私大に通うことになったとか。「まあ、優秀なお子様なんですね。」と言うとにやっと笑い、「下の二人はどうしようかしらね。」と普通の母親の顔に戻りました。
このセミナーでは、マレーシア工業開発庁の東京所長ともばったり。華人ですが、先日オフィスをお訪ねしたばかりです。「その後中小企業開発庁からは連絡がありましたか?」「ラマダン明けの休暇が終わり、オフィスに戻ったとの連絡がありただけです。」同所長は中小企業開発庁の反応の遅さに一瞬困った顔をし、コーヒー・ブレイクのコーナーでサラワク州の州計画局の局長を紹介してくれました。「こちらはミス・カワグチ、えーとファースト・ネームはヨーコでしたよね?」所長は実に素晴らしい記憶力の持ち主です。
セミナーの週には、家具の国際見本市もありました。 9月にベトナムでお世話になった政府機関の担当者がベトナム・ミッションを引き連れてやって来ました。ベトナムのコーナーにお客さんが多かったので上機嫌です。 9月の思い出話やベトナムも原油高で物価が上がったとか、座りこんでえんえんと話してしまいました。彼はまだ若いのですが、ずっと日本語でビジネス関係の雑談ができるほどの達人です。もちろん英語も堪能です。私がいくら頑張っても「こんにちは」と「ありがとう」しかベトナム語を覚えられないのとは大違いです。
ブルネイからは20代の政府機関職員が来日していました。こちらも昨年、私が同国でセミナーを行なったときお世話になりました。最終日に終了証をひとりひとり私から渡すのですが、大柄な彼女がかわいらしい色合いの民族服に眼鏡をかけ修了証を銀色のトレイにのせて私の横にかしこまって立っていたのが印象に残っています。私のターコイズ・ブルーのコートを見て「わぁ、すごい色」「青空みたいでしょう?」私はブルネイの青空を思い出しました。「じゃ、私はすごい曇り空。」彼女は自分のチャコール・グレーのジャケットを見下ろして笑いました。食品展のときにもいらしていたわね。」「今は日本の担当をしているんです。いつも同じ顔ばかりでごめんなさい。」「じゃあ、日本の専門家だから、講演もできるわね。」「そのうち、できたらいいですね。」と彼女はうれしそうに歩いて行きました。
私のある取引先は製品の70-80%を現在中国生産(契約工場)に頼っているのですが、 2-3年以内にベトナム生産に切り替えたいということでベトナムの商社と商談を開始しました。中国とは一味違った取り組みができるかも知れません。もうひとつの取引先は私の紹介したフィリピンのバッグ・メーカーで製品を作ろうとしています。こちらも中国に間接投資をした工場を持っているのですが、アセアンのメーカーも押さえておきたいようです。このフィリピンのメーカーを日本の展示会にデビューさせたのは私です。オーナーの奥さんが自分でデザインもするのですが、 2年ほど挑戦して落選、私が工房を視察に行った時はたしか 3度目の挑戦で、今回落ちるともう応募もできない、と不安そうな顔をしていたのを覚えています。努力のあとがうかがわれる商品をたくさん見せてもらいました。情にほだされたわけではないのですが、彼女を日本に呼んでもっと勉強させてあげたいと心のどこかで思ったのも事実です。
河口容子