[307]晋江への旅(1)時には任侠映画のように

中国福建省晋江(ジンジャン)へ行って来ました。2008年 8月 7日号「クリエイターたちの暑い夏」で触れた通り、日本の若手デザイナーのデザインを取り上げたいというスポーツ用品メーカー W社を訪問するためです。子どもの頃からひどい乗り物酔いでプライベートでは海外旅行に行ったこともないし、国内でドライブにすら行った記憶もありません。ところが海外での仕事となれば、いつでもどこでもたった一人ででも難なく行く気になるのが不思議です。
福建省は台湾に面しています。白い船を想わせる空港ビルを持つアモイの空港に降り立つと暑さと湿度の高さにびっくりです。快晴なのに湿度でかすみがかかっているように見えます。背中に W社のスローガンがプリントされたグリーンのポロシャツを着た運転手さんが迎えに来てくれました。しばらくアモイの市内をぐるぐるまわります。言葉が通じないのでなんとなく不安になります。おもしろいのは隣を走行している車に向かって運転手さんがほえるように問いかけると隣の車を運転している人が窓をあけてくれ、そこで道をたずね始めます。まず日本ではお目にかかれない光景です。
市内めぐりが終わるといきなり男性二人が車に乗り込んで来ました。一人は総経理(社長)の C氏。英語の達人で、いままで時々メールのやり取りをしていましたがまさか総経理とは思いませんでした。スレンダーで 180センチを超える長身、小顔の35才に届くかどうかの若い社長さんです。晋江は古くから、経済、軍事、文化の要衝で、海のシルクロードの起点だそうです。晋江の人口は 100万人あまりですが、海外在住の晋江人は 220万人ともいわれ華僑の故郷でもあります。晋江は中国でも靴産業の町として有名で周辺に 3,000社工場があると言います。まさに「世界の靴工場」といった感じです。
小1時間ほどしてホテルに到着。香港のコンサルタントの D氏からホテルは予約済みとだけ聞かされていたものの名前もどんな所かも情報がなかっただけに不安でしたが、不動産財閥系の5つ星で、小都市に不釣り合いなくらいのおしゃれなホテルです。部屋はそんなに広いとは言えませんが、大理石と鏡をふんだんに使っており、27インチ液晶TV、パソコンに FAXまで完備してあるのには驚きです。油絵が 3ケ所に掛けられており、電気ポットの中もとても清潔そう。クローゼットの中にはアイロンまで用意されており用意周到です。部屋の掃除を依頼するボタンを押さない限り誰も黙って部屋に入って来ない、これも私にはありがたいサービスです。
この日のハイライトは天津の問屋さんたちと W社の経営陣の宴会に招待されたことです。総勢10名強で円卓を囲みました。個室の設備は上述した通りですが、ホテル内のレストランのウエイトレスたちときたらお茶でもお酒でもテーブルクロスがびしょびしょになるくらいダイナミックにこぼしてくれます。悪びれていないところがいとも大らか。そのうちポロシャツの肩から腰までビールを浴びせられた男性もあり、これはさすがにウエイトレスがそそくさと着替えの新しいポロシャツを買いに行きました。
顔ぶれを見ると、中国では男性の髪は短いですし、まっ黒やら派手な色のTシャツやポロシャツ姿がずらり。スポーツ用品業界というのはファッション業界とは違いますので、いかつい顔をした男性も多く、何だか任侠映画の中にいるような気分でした。そのうち、テーブルの上に青いプラスチック製の蓋つきの湯飲みのようなものが 2個置かれました。「あれ、何だか知ってる?」とD氏、まさかウエイトレスを呼ぶベルじゃないでしょうね、と思っているうちに誰かが蓋をあけ、そこにはサイコロが 4つ。やっぱり、任侠映画じゃないですか。でも賭け事ではなく、ただの酒飲ませゲームなのです。テーブルにいる人を2班に分け、サイコロゲームで負けたほうがお酒を飲まされるという単純なものです。チーム対抗ですから、お酒が飲めなくてもチームメートが飲んでくれれば良いのです。
時間がたつにつれて、テンションは上がり、日本人から見れば怒鳴り合いのケンカにしか聞こえないほどです。顔を真っ赤にして一番フィーバーしていたのが税務署のおじさん。女性は天津チームの中年女性と私だけでしたが、酔っぱらって女性にからむ男性ゼロ、お酒を飲めと無理じいする男性ゼロ、案外マナーは良いと感じました。男性陣の中ではお酒を飲まないD氏とC総経理が覚めた目でサイコロゲームを見守っていました。C総経理いわく「私はここの生まれですが、香港に20年以上住んでいるのでこういうのにはなじめませんね。」「香港人はクール、本土の方はホットなんでしょう、きっと。」と私。「おっしゃる通りかも知れません。」
時計が9時をさす頃、いきなり全員が立ち上がって部屋から退出し始めました。サイコロゲームなどなかったかのような真面目な顔です。「何、何が起こったの?突然終わるなんて。」と私はD氏に聞きました。もめごとでもあったのでしょうか。「場所を変えて飲むんだよ。」「ああ。二次会ですか。日本でもあります。」これを機に私も部屋に戻ろうとするとD氏に引きとめられ「静かになったから打ち合わせをしよう。」その朝、4時半に起き、6時に家を出た私にその一言がこたえたのは言うまでもありません。
河口容子

[302]北京オリンピック開会式を見て

 毎年10%台の経済成長を続ける中国です。やっかみ半分かも知れませんが、北京オリンピックまでは高成長も持たないだろうという噂は数年前からありました。そしてチベット問題、聖火リレーへの妨害行動、四川大地震、食の安全問題、爆破テロ、ものものしい警戒体制、大気汚染問題、北京市民の光と影など、それはパンドラの箱をあけたような大騒ぎの末、つつがなく圧倒的な迫力を見せつけて北京オリンピックの開会式が行われました。
 私の周りのビジネスマンたちに感想を聞くと異口同音に「お金をかけたね。」開会式の構成には賛否両論あるようですが、私はお金をかけすぎたゆえに「重くてくどい」と感じました。今はライトな感覚の時代ですから古くさい。仕事の途中で開会式を見てしまったおかげで夜中の 3時を過ぎても仕事が終わらなかったせいで余計そう感じたのかも知れません。
 まず、あの9万人を収容する鳥の巣スタジアム。出入りだけでも相当時間がかかりそうですし、双眼鏡どころか望遠鏡でも持って行かなければ観客しか見えないのではないでしょうか。そして、あの千人単位のマス・ゲーム。蒸し暑い中、重い衣装をまとい、あるいは箱の中に入って、機械のように動く人間たち。これまでの練習はただごとではないと思いました。少数民族の衣装を着た子供たちが国家に忠誠を誓って国歌を歌うシーンでは思わずぞっとしました。国家の威信にかけて国民を制御するぞ、といわんばかりです。
 衣装はインターナショナルなデザイナーの石岡暎子さんだそうです。私はそのことを後で知ったのですが、色合いといい、シルエットといい、日本人のデザインに違いないと即思いました。スペクタクル史劇かオペラの衣装のようです。外国人、特に西洋文明から見た中国のイメージ。なぜ、中国の昔のままのデザインではいけないのでしょう?西洋の先進国に馬鹿にされるとでも思ったのでしょうか。特に文化面においては「アジアはアジアらしく」が私には心地よく思えます。
 あの絵巻物アトラクションを見れば見るほど、孔子の教え、筆、火薬の発明、西洋より先に大航海時代を迎えるなど文化や科学技術に優れ、かつて日本の先生であった国が、長く眠れる獅子の時代を経て、やっと経済大国の仲間入りをしつつあるものの、どうしてお粗末な問題が多すぎるのか情けなくなります。
 開会式のかわいらしい少女の歌は「口パク」で他の少女の声であったことや巨人の足跡の形の花火の放映は昔の映像を使った、というようなニュースが後から聞こえて来ました。別に演出効果としては悪い事とは決めつけられませんが、フェアプレーのスポーツの祭典には後味の悪いものとなりました。
 比較するかのように思い出したのが1998年の長野の冬季オリンピックの開会式です。善光寺の鐘とともに御柱、関取衆も紋付袴で各国の行進に加わりました。圧巻は世界のマエストロ小沢征爾がタクトを振る 5大陸一斉のベートーベンの第九。どれもこれも日本の文化の代表であり、肩肘張ることなく人間の温もりを感じる演目ばかりでした。これはバブル崩壊後とはいえ先進国、経済大国日本だったからこそ追求できたシンプルさかも知れないと今改めて感じます。
河口容子
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