[238]エジソン6000回のチャレンジ

 日本のあるクライアントは「エジソンは電球を発明するのに6000回失敗した、当社はそれを失敗ではなく6000回のチャレンジと呼び評価する」理念を掲げています。天才は努力なくしてあり得ず、むしろ6000回チャレンジしたいほどの関心事を持ち、チャレンジし続けられる意志の強さが「能力」の正体ではないでしょうか。この能力は誰にでも何かしらあり、スポーツ選手のように有名になり高給を得たりするのは多少の運もありますが、その能力が希少価値であるかとどうかだけです。たとえば主婦が1日3回料理をすれば1年で1000回をこえます。これを惰性でやっていればそのまま一生を送り、毎回工夫をこらしている人なら料理研究家になれるかも知れません。本当にエジソンが6000回チャレンジしたかどうかはわかりませんが、短期間では達成できない数字だけに成功には「経験」「修練」も必要ということを示唆していると思います。
 最近ニュースをにぎわせているのが(財)日本青少年研究所が行なった「高校生の意欲に関する調査~日本・アメリカ・中国・韓国の比較~」です。日本の高校生には「責任が重くなり、自分の時間がなくなるから偉くなりたくない」と言い、「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」という傾向が他国に比べ強くあらわれています。
 各国の調査対象者の属性を見ると各国とも10以上の地域を対象としており大都市ばかりではありません。米国と中国は100%国公立校へ通う生徒が対象であり、日本と韓国では 3割強が私立校の生徒です。単純な考え方かも知れませんが、日本と韓国はある程度ゆとりのある家庭の子女が多い回答結果といえます。また、成績を5階層に分けて見ると米国が「上位からか中」までが 94%、中国が 75%、日本と韓国は 62%程度であり、米国と中国に関しては優等生の回答が多いと思って比較する必要があるかも知れません。
 お国柄が表れていると思うのは人生目標。日本「たくさんの友達を持つ」米国「円満な家庭を築く」中国「お金持ちになる」韓国「自分の趣味や興味をエンジョイする」。自分の周囲がそのようで幸福そうだから自分もなりたいと思う人もいるでしょうが、だいたいは現状の裏返しが多いはずで各国の社会事情を垣間見たような気がしました。
 日本の高校生を「意欲がなくてけしからん」と嘆く大人が多いですが、確かに強い野望はないもののある意味では達観していると私は思うのです。若者らしい夢を持てない社会環境になっているとも言えます。明治、大正、昭和といった激動期には波乱万丈の人生で生き抜いたサクセス・ストーリーの持ち主を多々輩出しましたが、私の世代にはもうそんな事はほとんどあり得ません。どんな家庭に育ちどんな教育を受けたかわかれば、だいたい一生を推察できます。ただ、今と違うのは幼いうちからふるい分けがなされる「学習塾」も「お受験」もない子どもらしい生活を送れたことです。「協調性」が尊重され、むしろひとりだけ特殊な教育を受けるのは卑怯とされていたくらいです。私は東京で中流家庭の子女に多く囲まれて育ちましたが、高校は公立が当たり前でしたし、親が学資を負担できなくても実家から通える場合なら学校の成績さえ良ければアルバイトや奨学金で大学進学は可能でした。教育イコールお金という風潮もまだ希薄で、機会均等は今よりも維持されていたと思います。
 各人が6000回チャレンジできる何かを見つけ、それを発揮できる機会を与え、たとえ失敗したとしてもチャレンジしたことを評価してあげる、そんな社会が実現すれば人にも社会にも無限の可能性が広がり、活性化するのではないでしょうか。減点主義ではなく、加点主義への転換が必要です。
河口容子
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[236]アジアと日本の働く女性たち

 厚生労働省の「女性労働白書」最新版によると起業希望者に対する実際の開業者の割合は女性が26.8%、男性が13.0%で、一方、廃業する割合は男性の11.8% に対し、女性は22.9%、つまり女性のほうが男性に比べ起業実現率も2倍そのかわり失敗する率も 2倍という数値が出ています。私自身も女性の起業家や希望者にお目にかかることも多いのでこの数値を自分なりに分析してみると、女性は小規模で自分の身近な発想からの起業、つまりネットショップであるとか、教室を開くといった起業の比率が多く、多額の投資を必要としないため起業に踏み切りやすいと言えます。また、親や配偶者に生活費を負担してもらえるケースも多いでしょう。
 起業というのはどんな規模であっても企画構想力、管理能力、交渉力を必要としますが、女性の場合はこれらを経験として持っていない場合が多く、そこが失敗の原因につながると思います。経験は成功から得られる自信そして失敗からの学習が積み重なって身についていくもので残念ながら熱心に起業塾に通ったり本で読んだところで習得できるものではありません。「趣味だから儲からなくてもいいのよ。」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、ビジネスは他人から必要とされる商品やサービスを提供して評価をしていただいて始めてお金を得られるわけですから自分の給与はおろか経費さえ出せないような起業はビジネスではないと言えます。「私が何何をしたい」という一人よがりの発想ではなく社会での存在意義を考えることも女性にはもっと必要だと思います。また、女性の起業にはセキュリティの問題もつきまといます。経験のなさも手伝ってか詐欺の被害に遭う人も少なくありません。
 マスターインデックス「女性の社会進出度調査」では日本、オーストラリア、中国、香港、インドネシア、韓国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、台湾、タイ、ベトナムの13ケ国で「雇用市場への参加」「学歴」「管理職の割合」「平均収入」の項目を男女で比較した指数を出しています。日本はこの中で最下位の 46.93ポイントで、ちなみにトップのニュージーランドは 89.85、男尊女卑のイメージの強い韓国でも 65.12です。この指数は 100が男性と同等という意味です。地球平均は 72.09で、上記の国でこの標準を下まわるのは韓国、インドネシア(61.09)、マレーシア(57.91)、そして日本だけです。日本の指数を押し下げているのは「管理職の割合」と「学歴」の低さです。ちなみに「学歴」についてはニュージーランド、フィリピン、タイ、オーストラリアが 100を越して男性よりも女性優位、「平均収入」については台湾が女性優位となっています。
 昔は日本の女性は社会進出などしなくても「三食昼寝付の専業主婦」という身分が確保されていましたが、今では「パートくらいしなくては」の時代。家事、育児、仕事に追い詰められた女性たちが起業で一旗あげたいという気持ちになるのも何となくうなずけます。
 私自身は国際機関や各国の政府機関のお仕事で東南アジアの中小企業を訪問することが多いのですが、女性の起業家、経営者、管理職が実に元気で、良き妻、たくさんのお子さんの母親でもあることが多く実に頼もしく見えます。彼女たちを支えている原動力は安価な労働力とスムーズな人間関係。家事負担が少ない上に日本のようなウェットな人間関係による悩みがありません。そして日本女性に足りないものは目先の事だけでなく長期でもものごとを考え実行していく力です。日本女性には多種多様の人生観や職業観が許されているわけですからしなやかに良い意味でしたたかにいつまでも輝き続けてほしいものです。
河口容子
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