[232]女性と都市の美しさ

 その昔、化粧品メーカーCMのコピーに「女性の美しさは都市の美しさです」というのがあり、ずっと印象に残っています。かつて文化大革命の頃中国を訪れた日本の著名ビジネスマンが「最初ここには女性はいないと思った」と感想を述べたのともオーバーラップします。当時中国では女性もマオカラーの上着にズボンという紅衛兵ルックで化粧っ気ひとつなかったからです。
 バブル経済の始まった頃ニューヨークに出張しました。ブティックの女性店員に「あなたは日本人でしょう?」と聞かれ、国籍不明を自負する私としてはちょっとがっかりして理由をたずねました。「だってそんなきれいな洋服を着てメイクもばっちりしているのは日本人しかいないわ。ちょっと触ってみてもいいですか?」当時のニューヨークはお世辞にも治安は良いと言えず、同性であっても触られるのはこわい気がしましたが、職業柄どうしても私の着ている洋服に関心があったようです。それから10年ほど経て、日本のバブルがはじけ米国の景気が良くなってまたニューヨークに出張すると街は見違えるように清潔で安全になり、行き交う女性たちもぐっと美しく見えました。
 都市を人間の生活する器、大きな家と見立てれば女性が美しければ都市も美しく見えるのは当然です。ただし、経済と安全が確保されなければ女性は美しくならないと思います。私自身は第2次オイルショック後の大就職難の年に社会人の第一歩を踏み出し、バブルもバブルの崩壊も経験しているだけに実感としてよくわかるのですが、景気が良ければ女性というのは放っておいてもおしゃれをする生き物です。景気が悪ければ女性には良い職がありませんし、父親、夫の収入も減り、おしゃれができなくなります。景気と連動する部分もありますが、治安が悪ければ女性が外出を控えたり、目立たないような格好となります。景気や治安が悪ければ女性は美しくなれず、都市も美しくない、というわけでこれは海外のほとんどの国にもあてはめて言えるのではないでしょうか。
 その実、バブル時代の女性の服装は今よりも華やかでしたし、街全体も活気にあふれて見えました。バブルの崩壊以降は女性のファッションはカジュアル化が進み、色も落ち着いたものが中心となりました。カジュアル衣料は単価が低いし、着まわしを考えると華やかすぎる色は敬遠されます。財布のひもがしまると自然こうなるのか、逆に節約が生み出したトレンドなのか私にはわかりません。メーカー側の立場からするとカジュアル衣料で無難な色をそろえればより多くの購買層をカバーできるというメリットもあります。ところが最近、ガーリーな(少女っぽい)アイテムが復活してきたところを見ると、景気の良さを感じ取れますし、春の到来とともに日本の街はフリルやシャーリング(ひだをつけるのに縫い縮めること)で色づくのかも知れません。
 1昨年にハノイに行ったときは一般女性の服装が白、グレー、黒が多いような印象を受けましたが、昨年11月にはずいぶんカラフルになった気がしました。そして衝撃的だったもの、それは生ゴミを回収している若い女性の長い茶髪でした。東南アジアは黒髪自慢の女性が多く、茶髪率が低い、つまり髪を染めるコストは割高のはずです。作業服でもくもくと仕事をする彼女のおしゃれのポイントなのかも知れませんが、こんな所にもベトナムの経済成長を感じることができました。
河口容子
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~日傘をさす女~

[229]アジアを狙うオペラ・ビジネス

 香港のビジネス・パートナーは実にいろいろな人との出会いを作ってくれます。今回は知人の香港女性 J女史が音楽プロデューサーをしており、サンフランシスコ・オペラの総監督たちを連れて東京に行くので世話をしてやってほしい、というものです。「私は一体何をお手伝いしたら良いのでしょう?音楽のビジネスなんてまったくの門外漢ですけれど。」と聞くと「彼女は日本のことをよく知らないし、不安だからついていてくれればいいだけさ。あなただってオペラ好きでしょう?著名な音楽家と会えるかも知れないよ。」いつもこんな調子です。
 その後、 J女史と直接話したところ、そもそもサンフランシスコ・オペラの一行はシンガポール、香港、上海、北京、東京とオペラ・ハウスの視察旅行を行い、彼女は彼らのアジアのエージェントに指名されたようです。経済成長著しいアジアにオペラの新市場を開拓ということでしょう。彼女は40代の半ばに見えますが、最近同業のご主人と結婚したらしく、ご主人は米国人であることからニューヨークと香港の両方に家を持っています。西洋文化の華であるオペラと東洋の架け橋に彼女が選ばれたのも不思議ではありません。
 彼女の両親が私のビジネス・パートナーと親しいことから、彼女はビジネス・パートナーのことを「叔父さん」と呼びます。「叔父さんがね、日本は英語が通じないし、ビジネス文化も違うから、ヨーコのようなちゃんとしたビジネス・パーソンについて行ってもらわないとだめだって言うのよ。オペラの総監督は文化人だから、ヨーコみたいな教養人じゃないと失礼にあたるって。お忙しいのにごめんなさいね。でもオペラはお好きと伺ったので舞台裏なども見れますので楽しんでいただけると良いのですけれど。」彼女は実に大らかでよく配慮の行き届く女性です。
 一行は東京でオペラを上演できるホールを 4ケ所まわりましたが、このアレンジをしてくれたのが日本人女性の音楽プロデューサーで、聞けば大学の先輩にあたり、すっかり親しくなりました。通常、コンサートなどでホールに入っても聴衆がいるためきょろきょろ見回す事ができませんが、上から下まで好きなところを歩き放題、座り放題。ステージに立ったり、楽屋を見せてもらったり、リハーサル・ルームの見学などと社会科見学の子どものように新しい知識をぐんぐん吸い込むと同時にくたくたになりました。
 予期せぬ収穫は世界のマエストロ小澤征爾が振る「タンホイザー」のリハーサルを見ることができたことです。マエストロは非常に華奢な方ですが、指揮をされる後ろ姿からは感性があふれ出ていて、楽屋口ではキャストやスタッフに気を遣われる素敵な紳士である事を発見し、私も大きな癒しと元気をいただきました。
 サンフランシスコ・オペラの総監督のアシスタントをしている30歳くらいの男性はイギリス人です。日本に来るのが初めてだという彼のために空き時間を使って J女史と一緒に浅草に行ってみました。ガール・フレンドが日本の木版画をお土産にほしいと言ったらしく、浅草寺の帰りに創業百数十年になる和紙の専門店へ。あいにく定休日でしたが、お店の人が出て来ていて恨めしげに中をのぞいている私たちを気の毒に思ったのか特別に中に入れてくれました。下町ならではの人情でしょう。 J女史と私が彼にアドバイスをしながら最終的に彼が選んだのはおよそ80年前のオリジナル・プリントで広重のような色使いのものです。「彼女の写真持ってる?」と J女史。彼が財布から静々と取り出した写真を見て「オッケー。気に入る、大丈夫。」と J女史と私。理由は簡単で写真を見て知的で優しそうな女性に見えたからです。万が一気にいらなくても彼が選んでくれた版画を喜んで受け取ることでしょう。
たった 2日間の滞在でしたが、米国人の総監督にイギリス人のアシスタント、米国人を夫に持つ香港女性のプロデューサー、そして日本人の先輩と私、お互いに共鳴しあうものを感じました。そして異文化に橋を架ける仕事をしているのが女性たちであることが嬉しく、また私の励みともなりました。
河口容子