[191]書くことと話すことが違う日本人

 先週号で登場した東京に駐在中のシンガポール国際企業庁の女性管理職と話す機会がありました。彼女は外国人としての日本語力はかなりのレベルではないかと思います。シンガポール政府のプロジェクトの話になり、知人に適材がいるから紹介をしますと彼女に告げると、彼女曰く私にコーディネーターとして入っていてほしいと言うのです。やり取りは本国へ転送する必要上から英語で書く必要があるからというのが理由です。「日本人は話すのは苦手でも書ける人は多いと思いますが。。。」「日本人は書くことと話すことが違いますよ。メールもらってあとで話すと反対の事が多くてどうしようかとよく思います。」
 おそらく、「前向きに検討します。」「次の機会にお願いします。」などは婉曲な断りであることを知らなければ、本当に検討してくれているものと思いこみなぜ返事が来ないのかイライラするかも知れませんし、後者については「今は都合が悪いものの次回は大丈夫」と誤解してしまうかも知れません。日本人にとっても断りなのか本当にそうなのかは経緯やその場の雰囲気で感じ取るしか方法がありません。
 次に彼女が質問したのは「日本人はメールでやり取りをした上にまた電話をしてくるのはなぜ?メールならメールだけでいいじゃない?」そもそも日本人は相手に失礼な表現はしないよう教育されてきます。先に述べたような婉曲な表現やあいまいな表現が増える上に、特にフォーマルな意味あいを持つメールの書き言葉は記録に残るという配慮もあり、形式の整ったあまり中味の明確でないものになることが多い気がします。自分でもそのようなメールを出したあと、誤解があるかも知れないと不安になり電話で補足説明をすることがあります。「ホンネとタテマエという言葉をご存知ですか?」と彼女に聞くと「ああ、そういうことですか。」行間から真意を読み取るのは同じ日本人でも最近は難しくなっています。外国人には酷な話です。
 よく英文メールやレターを書くのに、まず日本語で原稿を書き、それを一気に英訳する方がいらっしゃいますが、それはやめたほうがいいと思います。文法の違いのみならず、発想もまったく違う言語だからです。英語はYes やNoが明確ですし、主語や動詞も必ず文の中にあるのでかなりストレートな表現になります。ときどき、英文を書いていて、これと同じ事を日本語で日本人に書いたら相手はびっくりするだろうなと笑ってしまうことがあります。逆に海外からのメールを日本人のために翻訳する際には、いかにソフトなニュアンスの言葉に置き換えるか非常に気を遣います。
 次に彼女が言い出したのは「日本はとにかく時間がかかるので大変です。1年たっても何の進行もないことがあります。」日本人は何事にも慎重ですし、ボトムアップ方式なので決済に時間がかかる、そのかわりいったん決まればどこの国よりも早いスピードが出ます。たとえば、香港人はきわめてせっかちでどんどん勝手に先に走って行ってしまいますが、日本人が態勢を作り上げる頃には息切れしているか、もうあきらめているかで、そこを日本人が猛スピードで追い越して行く、そんな感じです。彼女がぽつりと言いました。「日本人はマラソン・ランナーなんですね。」私の会社のような小さいところは香港よりも速いスプリンターになれます。それも強みかも知れません。
河口容子

[190]香港とシンガポール

 東京に駐在中のシンガポール国際企業庁の女性管理職から電話があり、今度同国の大手法律事務所が日本に進出することになりランチでもセットするので話を聞いてあげてもらえないかとの依頼を受けました。この弁護士事務所はアジア数ヶ国にオフィスを持っています。まるで一般企業の多国展開のようです。弁護士業というのは、海外案件は提携先の法律事務所で処理するのが普通と思っていただけにちょっとびっくりしました。東京にオフィスをかまえると言っても法律事務所の機能を持つのか、クライアントの開拓とお世話をする連絡事務所の機能なのかはまだわかりませんが、連絡事務所とすればますます日本の法律事務所のイメージとは異なります。
 これは私の勝手な推測ですが、中国、タイ、ベトナムへ向かう日本の投資家をシンガポールで待っていても来ない、だから東京まで出てきてつかまえようという発想であろうと思います。アセアン諸国の中で金融、物流、管理の拠点としてシンガポールがすぐれていることは誰もが認めます。また欧米諸国にとっては中国へのゲートウェイでもあります。ところが、日本人にとっては中国、タイ、ベトナムの3ヶ国はいずれもシンガポールより日本の手前にあり、わざわざシンガポールの法律事務所を利用するという気にはなりにくいものです。
 この動きについて興味深いのは、北東アジアの国、日本を筆頭に台湾も韓国も中国もそうですが、仕事のためには世界へどんどん出て行きます。一方、アセアン諸国は地元にいてお客さんが来るのを待っている傾向があります。欧米の支配下にあった国が多いため仕事は与えられるものという発想で、従順といえばそれまでですが、言われたことを大人しくやっていればいいという風土があるような気がします。
 香港とシンガポール、この似た者どうし、ある意味では日本よりも先進的なアジアの二つの都市に偶然ビジネス・パートナーを持つことになった私は「違い」に関心を持っています。まず広さはシンガポールが699km2で琵琶湖とほぼ同じ大きさです。香港は1103km2で東京の約半分。人口は前者が424万人、後者が 689万人です。前者の7-8 割は中華系ですがマレー人など他の血が混じっていることも多く、後者については95% が漢民族です。
 シンガポールが民族の融合により活力を引き出しているという点ではアメリカ的ドライさを感じさせますし、赤道直下という気候のせいか割と楽天的であっさりしているような気がし、頭は良くても老獪さはないような気がします。香港のほうは中国に返還されたとはいえ、本土と駆け引きをしながらそのアイデンティティを守ろうとあがいているようにも思えます。
 私からすれば親近感は距離に比例するのか香港のほうが圧倒的に強いものがあります。子どもの頃から香港人と多く接しているからかも知れません。シンガポールの人とは分かり合えなくても割り切れてしまう部分があるのに、香港の人とは分かってくれないと苛立ち、また妙に感情が一体化するときもあります。相手もそう思っているようです。お互いに知りすぎているがために嫌な部分も露呈してしまう、あるいは愛憎両面持った複雑な関係という感じもします。これが北東アジア人と東南アジア人の感性の差かも知れません。
河口容子