[369]パレスチナ人と語る

「先進国相手なら自信はありませんが、途上国レベルなら私でも務まるかも知れません。」などとコンサルタントや技術者の方が志願される事がありますが、とんでもない思い違いです。産業インフラが整っていない、教育水準が低い、天災地変が多い、政情が不安定と途上国には問題点がたくさんあります。ハンデを克服しながら先進国で通用するものを作っていただくには忍耐やありとあらゆる知恵が必要です。おまけに相手は必死なだけに評価も厳しいのです。
「ヨルダン イラク パレスチナ展」ではイラクは参考出品のみで業者は来日しませんでしたが、準備に JETROの課長がバグダッドに出張されました。公共の建物は厚いコンクリートの壁に守られているものの、市内で自動車爆弾が後を絶たず、防弾チョッキとヘルメットを着用されての外出だったそうです。そんな中、一般市民は早くも普通の生活を取り戻しているようです。
パレスチナのベッドリネンのメーカーの社長。とにかく勉強熱心で前向きです。「日本の来場者はどうして話しかけると逃げて行くんでしょうか?私はただ意見が聞きたいだけなのに。日本人は黙ってじっと見ているのが好きなんですか?」日本の展示会は見て知ってもらう場所で、そこではめったに商談はしない、と説明すると「文化の違いですね。私たちはビジネスにならなくても情報交換をどんどんしますよ。」次に日本はボトムアップ方式だから決済も遅い、だからビジネスの立ちあがりには時間がかかる事を説明すると「じゃあ、なぜ日本はそんなに早く経済大国になったのでしょうか。そのトリックを教えてください。」「トリック?それはすばらしいワーディングですね。そう、共産党によるものではない社会主義、つまり村であるとか会社であるとか組織で個々を管理したことではないかしら。」「なあるほど。そういえば JETROの方は上司に対しお辞儀をしたり、丁寧な態度を取りますね。パレスチナではそんな事はありません。皆対等です。」
饒舌なベッドリネン屋さんと正反対だったのがガラス器と陶器のメーカーの社長。職人肌なのかあまり感情を表情に表わしません。作りこんでいった資料をもとに商談用のテーブルを使ってミニ・レクチャーをしてもあまり反応がなく、質問もしないので、最初はやる気がないのかと思っていました。次の日、モロッコやチュニジアの製品を売っているネットショップをプリントアウトして持って行ってあげると、いきなり彼はコスト計算を始めました。やる気がないどころかなかなかの商売人。ブースに人が集まって来ると丁寧に応対をしていたし、何に興味を示すのか黙ってじっと観察をしているのです。その実、最終日、彼はお礼にと展示してあったハンドメイドのガラスの花瓶を私にくれました。セピア色のガラスに銀色の絵付けがしてあるアラビアン・スタイルのものです。私がそれを一番気にっていたのをどうやって彼は知ったのでしょうか。
会場にアラビア語の堪能な日本女性の二人組が現れました。聞けば一人はパレスチナに留学していた経験があり、もう一人はボランティアでパレスチナへ行ったのがきっかけでパレスチナ人と結婚しているそうです。彼女によればガザと西岸(地図で確認されればおわかりでしょうが、離れています。)は派閥抗争で仲が悪く、ガザー西岸間では銀行送金もままならないと言っていました。彼女はガザに住んでいましたが、今は日本人には危険で夫を現地に残し里帰りをしているのだとか。彼女には子どもはなく、ご主人の亡くなった兄弟のお子さんたち、つまり甥や姪を育てていると言います。彼女はアラビア語でパレスチナの陶器を少しばかり買い付けました。日本で売ってみようと思ったようです。「えっ?私なんかに教えていただけるのですか?」と驚く彼女にアドバイスをしながら、一家が一緒に幸せに暮らせる日が早く来ることを祈りました。

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河口容子

[368]ぐっと身近になった中東

先々週号で取り上げた「ヨルダン イラク パレスチナ展」が無事幕を閉じました。実は新入社員の頃先輩のアシスタントとして初めて担当したのがギリシャ系レバノン人のお客さんで仕向地はサウジアラビアでした。周囲にも中東の駐在経験者が数多くいましたので一般の日本人よりは中東になじみはあると思います。また、イスラム教についてはマレーシア、インドネシア、ブルネイの仕事で慣れています。それでも初めて担当する国ばかりで快い緊張感と好奇心があふれ出しました。
初日は開会式があったのですが、要人警護の目的で金属探知機と手荷物検査を経てから会場入りです。この時間は一般公開されておらず、しかも閉ざされた空間で行うにもかかわらずこの警備というのは、やはりこの地域のかかえている問題の深さの表れでしょう。それよりも驚いたのはスピーチに立った外務省大臣政務官、何と会社員の頃の後輩ではありませんか。10年くらい前、ニューヨークへ出張した際、駐在員であった彼も含めて 4人、韓国料理屋でお昼を一緒に食べた記憶がよみがえりました。起業以来思い出すゆとりもなかった記憶です。美しいニューヨークの秋、それに比べ、開会式の東京は何と冷たい雨。
テープカットの後、レセプションがあり、レバノン人の作るアラブ料理をいただきました。見た目は美しくないけれど、お味はなかなか。辛いものが苦手な私は慣れない食事はおっかなびっくりですが大丈夫でした。アラビアンコーヒーをコンサルタント仲間が持って来てくれました。日本酒のお猪口のような小さなカップに入っています。一見、ジンジャー・ティー、紅茶のように澄んでいますし、生姜味がします。後で調べるとコーヒーを淹れた上澄み液のみ使い、カルダモン(スパイスでショウガ科)を入れ、消化を助けるのだとか。
一息入れている所へ大柄なアラブ人中年男性が現れました。「インタビューしてもいいですか?」あっという間にカメラまでセッティングされます。周囲にいた日本人たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなります。「アラブ料理をよく知っていますか?」「いいえ、初めていただきました。」「どうでしたか?」「おいしかったです。ほとんどの日本人は好むと思います。」「料理と産物とどちらに興味がありますか?」「私はコンサルタントなのでもちろん産物に興味があります。これらの産物は日本ではあまり知られていないのでこの展示会が日本人に認知してもらう機会になればと期待しています。」これが私の中東メディアへのデビューとなりました。過去に中国、ベトナム、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ブルネイのメディアに取り上げてきていただきましたが、私の場合海外クライアントが多いもの海外メディアのおかげのような気がします。
来賓の方々の順覧が終了すると展示会の一般公開です。入口に控えていた 4人のコンサルタントたちは一斉に担当する企業の所へ散って行きます。イラクは参考出展のみで企業は来日していませんが、ヨルダンとパレスチナの方々は皆堂々たる体躯です。メタボに一喜一憂する日本人が漫画のようです。顔も大作りで、「立派」の一語に尽きます。ここの来られた方々は皆お金持ちで地元の有力者と聞きましたが、かわいそうなどころか、日本人のほうがよっぽど頼りなく哀れに見えます。さて、次回はそんな彼らと語った日本の経済や文化の話を取り上げたいと思います。
河口容子