[002]悲しい現実

 小泉首相の訪朝とともにもたらされた拉致された方々のあまりにも多い死亡という情報に大きな悲しみと衝撃が列島を走りました。その後の一連の報道を見て日本人について次のように感じました。
 総論賛成、各論反対。これは会社員であった時も感じましたが、日本人というのは総論では実に前向きで立派な大人の判断をします。ところが、いざ自分の身に及んで来ると反対意見が多くなり、重箱の隅をつつくような議論となり、時には各論に感情が入り混じって総論まで吹き飛んでしまうことすらあります。総論という幹から各論という枝葉をつけて体系的に物事をとらえるという訓練がどうも足らない気がします。
 総論として日本と北朝鮮とは国交正常化に向けて努力すべきです。国交がなければ、何ごとも水面下、つまり闇取引でするしかなく、拉致された方々が本当に亡くなったのか、どんな暮らしをされていたのかは、わかるすべもなく、また嘘をつかれても抗議する手立てもないからです。ベールに包まれた独裁国家、それもかなり危険と思われている国を早く国際社会に引っ張り出し、国際ルールを守ってもらう、それが特に東アジアの安全にもつながり、困窮している北朝鮮の国民の生活の向上にもつながるのではないでしょうか。この総論の下、拉致された方々の消息をどうやってつかむかという方法論に早急に入っていくべきで、外務省が不親切だの昔警察は何もしてくれなかっただの、という感情論で騒ぐどころではない気もするのですが。

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[001]国際人しよう

「日本がわかる!」以来引き続きおつきあいして下さる読者の皆様、そして新しく読者になって下さった皆様、お待たせしました。今週からは「誰でもなれる国際人」というテーマで、日本と日本人は避けられぬ国際化時代をどう乗り切っていくのか、そして最近特にアジアの国々との交渉が増えてきた私自身の仕事の現場から感じたことを書いていこうと思っています。中国のめざましい発展を中心に地球の人口から見ても圧倒的に多いのは私たち日本人も含めてアジア人だからです。
まず、最近やたらに目にする「国際人」という言葉ですが、何だか日本語として変だと思われたことはないですか?「国際的に活躍している人」「国際的に通用する人」というのが正しい日本語のような気がするのですが。それに書き言葉としては頻繁に登場するものの話し言葉としては使われていない言葉でもあります。ふだん「あの人は国際人だもんね。」なんて言わないですから。
国際化、国際人などという話をすると「西洋かぶれはけしからん。日本には日本に合った良い風習や伝統があるではないか」とおっしゃる方も結構いらっしゃいます。でも、国際人と西洋かぶれや根無し草は違います。まず、きちんと日本人としてのアイデンティティを持つことが国際人の前提条件ではないでしょうか。いくら外国語がネイティブ並みで、その国の人と同じようにふるまえたところで、あなたは日本人としてしか見られていないのですから。その国の人に日本を語れなければ、ただの人間としての価値しかなくなります。言語的なことはもちろん、仕事のことでもいい、文化や風習でもいい、まずは日本を自分なりに説明できることです。

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