組織に生きる

私の知人友人には中小企業の経営者がたくさんいます。口をそろえて言うには「就職難の世の中なのにうちには応募してくる人がいない。たまに来てもろくな人が来ない。」一方、中小企業はもちろんのこと、日本を代表するような企業に勤務している人ですら「もっと良い仕事があれば転職したい。」と言っているのに不思議な現象です。転職希望者は大企業にしか興味がないのでしょうか。

 大変動の時代、不良債権すらなければ身軽な中小企業の方がドラマチックに変身できるような気がします。それだけ人材に対する期待も強いのでしょうが、高い能力を有する人間がぜひ仕事をしたいと思うような魅力ある企業かつ、経営者なのかをまず問うべきです。買い手市場なのだからと、ふんぞり返ってこきつかおうなどと考えているようではとんでもないことです。

 また、転職希望者にとって今いる会社の愚痴をこぼすのは簡単です。私が聞きたいのは「あなたは会社という組織に対してどんな働きかけをしたのですか?」「問題点を掘り起こし、改善しようと努力しましたか?」毎日言われたことだけやって給料をもらい、不満があるから転職するだけなら、アルバイト社員とどこが違うのでしょうか。そういう人が増えればますます正社員のポストが減り、非正社員のニーズが増し、自分の首をしめているだけであることに早く気づくべきです。

 私自身は正社員として24年間過ごしましたが、いろいろな組織形態に所属し、管理もし、創造もして来ました。まずは通常の部とか課という正式な組織、縦型の上下関係、しかもいろいろなルールに従って運営されるものです。私のいた会社には横断組織という形でのタスク・フォースがいくつもあり、自分も所属したり、事務局を務めるという経験を何度もしています。これはある目的のために辞令は出ないものの公式に編成される短期的な組織でふだんの業務の流れでは得がたい情報や人脈の宝庫です。

 労働組合の人事制度諮問委員というのもやりましたが、女性の総合職制度の制定はもちろんのこと、男子社員も含めての人事評価制度の見直しなど不平等をできるだけなくすことに成功しました。こういう事はふだんの職場では当然できませんし、個人ではなおさら何もできません。組合という組織を動かすことによりはじめて実現できたものです。

私的な組織としては、社外セミナーにいくつか属し、また社内でも有志を集めて勉強会をふたつほど主宰したことがあります。いずれも当時ユニークな運営方法でひとつは新聞にも紹介されました。もうひとつは役員まで動かすことができました。

こうした公私、内外、縦横といろいろな組織を通して学んだことは「組織を生かし、組織に生かされる」ということです。最初の話に戻りますが、経営者も働く側も自分の都合だけ優先しているのでは有機的な組織は作れません。私の会社はとても小さくフレキシブルです。しかしながら案件に応じ海外も含めてビジネス・パートナーたちが必要な体制を臨機応変に作ります。ここでは上下関係はありませんが、甘えもない。それが今の私の理想の組織です。

2001.11.15

河口容子

パラサイトな人生

 かつて「都会のOLの南北問題」という言葉を聞いたことがあります。親元から通勤してくるため給料がまるまる小遣いとして使えるOLと衣食住をすべて自分でまかなわなければいけないOLとの貧富の差を南北問題にたとえて呼んだものです。私が会社員になった頃、大企業の女子社員は親元から通勤できるのが採用の原則でしたが、同じ親元から通勤していても、社会勉強、結婚までの腰かけのOLと家族にとって働き手になっているOLとではライフスタイルに格段の差がありました。

 私の周囲にはブランドもの、海外旅行、はてはお稽古事の月謝まで親に払ってもらい、毎日弁当まで作ってもらう「大きなぜいたくな子供」が結構勤務していましたが、結婚するまでの気ままと自他ともに許していた気がします。ところが、少子化により親も手放すのはさびしい、子供の側も親の家から通えば衣食住の最低限の保証はあるばかりか、適当に仕事をしていれば収入はあるし大義名分もたつという絶妙のバランスが成り立ちます。下手に結婚するよりは快適な生活が送れるため晩婚化が進み、そのうち親が退職したり、片親になってしまうと非婚率も上昇するという按配です。当然、女性のみならず、男性にまでこの波は押し寄せ「パラサイト・シングル」族が出現ていると思います。

 最近よく聞く話は、パラサイト・シングルしていた子供が、結婚して出て行ったきょうだいの逆襲にあい追い出されるというパターンです。終身雇用制の崩壊した今では扶養家族を養い、住宅ローンを払うというリスキーな事はできません。そこで家族を連れて親の元に帰り、家だけ建て替えて一緒に住むという方法です。子供夫婦が働いてローンは返すというので承諾した親は孫の保育園の送り迎えから大家族となった食事のしたくと休む暇もなくなるというケースもあります。

 また、親の年金や資産を目当てに同居し、自分たち夫婦や子供が使い果たすと今度は配偶者の親の所に転がりこむというケースやなんと80歳台の母親が60歳にもなろうとする息子の女性問題解決の資金を出してあげた、などなどパラサイトする層はどんどん拡がっているような気がします。

 昔は、成人すれば親を養うのが当たり前とされていたのに、いつの間にか老後は自己責任と福祉行政でという考えに変わりつつあります。これも高齢化社会の悲しい図式といえましょう。親から見ても子供は昔は労働力だったのが、いつまでたってもお金のかかるものとなり少子化はますます進みます。

 パラサイトできる親を持つ者とそうでない者に格差が生じ、またパラサイトさせられる親には目的は何であれ子供が寄ってきて一応大事にされ、そうでない親は放置されたり子供に邪険にされるという格差も生じます。こんな世の中になってしまうと、上手にパラサイトできる人間は豊かで賢く、独立心がありこつこつ自分で努力するタイプや貧しくても親孝行な人は要領の悪い人間に見えてきたりもします。

 パラサイトな人生は不況や大失業時代を難なく乗り越えます。ただし、「いつまでもあると思うな親と金。」

2001.11.08

河口容子