「完全失業率」とは

 タクシーにはめったに乗らないのですが、運転手さんとは景気の話を必ずします。いわば、私にとってタクシーの混み具合はひとつの景気のバロメーターです。完全失業率が5%を超えたという話になって運転手さんいわく「その失業率つうのはどこまでほんとやら。だって、私の友人なんて娘3人とも就職しないでいばってますからねえ。最近の人って働きたがらない人も多いじゃないですか。」確かに私の周囲にも「就職しない子供」や「大企業に就職したがすぐ辞めた子供」を自慢している親たちがいます。さも、自分が甲斐性があるとでも言いたいのでしょうが、決して大金持ちではありません。

 失業率に出てくる完全失業者とはどういう状況なのか調べてみました。完全失業率とは労働力人口に占める失業者の割合。労働力人口は「満15歳以上の人口のうち学生・主婦・家事従事者・病弱者など職を持たず職を求めない非労働力人口を除いた、就業者・休業者・完全失業者の合計」、失業者は「毎月末日に終わる1週間中に収入をともなう仕事を1時間以上しなかった者のうち、就業が可能でこれを希望し、かつ求職活動をした場合」と定義される。月末の1週間、全国の約4万世帯、約10万人を標本調査して総務庁が算出。なお、「完全失業者」に対する「不完全失業者」の定義はないそうです。

 統計は比較をしていく以上、対象をころころ変えてはいけないと思いますが、上記の条件はちょっと感覚が古い気がします。ほとんど皆が定職をもつべきという前提にたっています。たとえば、現代では主婦で仕事を持っている人はざらにいるわけで、勤務先の都合でリストラにあった、不況で仕事も見つかりそうもない、じゃあしばらく専業主婦をやろうということになれば、いきなり労働人口から非労働力人口に入ってしまうわけで失業にはならない点です。

 また、いくら仕事をさがしても見つからない、やっと1日アルバイトに行った、それが統計の対象の1週間の中にあたり、失業者ではなくなることもあり得ます。

 あるいは、これは昔からあるパターンですが、失業保険ほしさに定年退職者や寿退職者が求職活動をしているケースです。統計上は失業者ですが、ご本人たちはその意識はないでしょう。

 最近見かける働きたがらない若者たちも正社員として固定化されていないというだけでアルバイトをしたり、遊んだりしているわけで、大人の目からすれば失業者のイメージですが、上記条件にあてはまれば立派な労働人口です。

 フリーランスで働く人の中には一定期間集中して仕事をするものの、仕事がない時もあるという人もいるでしょう。

 考えたらきりがないほど、労働感はもちろんのこと、仕事のしかた、待遇も千差万別です。たとえば、同じアルバイトやパートタイマーであっても正社員とほとんど同じ待遇の人もいれば、単発の不定期の雇用で終わってしまう場合もあります。完全失業者を減らすには新しい「労働」の定義がまず必要かも知れません。

2001.10.04

河口容子

新たな時代の戦い

 どうやら21世紀も戦争で始まりそうですが、米国ではNew War、つまり次の新しい戦争と言う意味と新種の戦争という意味でこの言葉を使っている気がします。何か新種かと言うと私にとってはオサマ・ビン・ラディン氏が本当に首謀者であるならば、個人の組織が世界の超大国を襲い、報復に軍事行動を起こさせることまでできてしまう、つまり個人が国家を相手に戦える時代になったと言うことです。ラディン氏はサウジアラビアの出身ですから、アフガニスタンもすでにほとんど乗っ取ったわけです。同氏の真の最終目的は何かわかりませんが、おそろしく頭のいい、すさまじいエネルギーの持ち主だと思います。

 また、世界各国の金融市場で稼ぎまくる投資家としての顔を持っているそうです。金融というのはウォ-ル街やシティといった近代的なシステムで支えられ、かつ世界の大都市を代表するようなビジネスですが、辺境の地アフガニスタンからでもそれらを利用して巨万の富を得るとはあの民族衣装姿からは想像もつきません。

 これらは従来の量であるとか、大都会の優位性などという価値感をまったくくつがえし、質の時代の始まりを示唆していると思います。私たちが常識として持っている質と量を兼ね備えているはずの米軍がタリバンには勝てないという下馬評もこれまた厳しい気候と経済条件に耐えた体力と士気の高さという異なる質の問題に結びつきます。過去の戦争は宗教、民族、領地争いなどをめぐっての戦争でした。今回はテロ撲滅という珍しい戦争となりますが、単なる犯罪者をつかまえるなら戦争とは呼ばないわけで、広義にわたっての価値感や質あるいは制度や主義といったものをかけての戦いとなり、長期化すれば出口の見えない世界戦争への危険をもはらんでいます。

 戦争への不安がつのるなかで、コンピュータ・ウィルスが蔓延しています。特に現代のビジネスはコンピュータで制御されているとも言えます。今までは情報を盗むという犯罪防止に注力されていましたが、ウィルスに感染したらその人のパソコンを通じてあっという間に関係者に広がり、ビジネスを中断せざるを得ない、この方が被害範囲がとめどもなく広がるという点では悪質ではないかと思います。しかも最近のウィルスは知人や取引先の名前をかたって添付ファイルの形でやって来ます。また、ホームページを見ただけで感染するものもあります。しかも犯人の顔も見えず動機もわかりません。殺されることはありませんが、企業が大損失を被ったり、場合によっては倒産することもあるのではないかと危惧します。これもテロに近いのではないでしょうか。

 確かにコンピュータの発達は誰にでも複雑な業務が簡単にできたり、コストを削減するという面で非常に貢献して来ました。また、大企業が設備投資をしたり、人材をそろえないとできなかったような仕事をも零細企業でも可能にしました。地方の企業にもビジネスチャンスはふえ、在宅で仕事をすることすら可能にしています。これも過去とは異なる質の時代の到来を告げています。

 一方、コンピュータがなかったら何もできない人間も大量に作り出しているわけで、もしコンピュータが止まったとしてもどのくらいサバイバル能力があるのか、人間として魅力があるのか、これも新たな人間の価値だと思います。

2001.09.28

河口容子