最近の起業家像

 私が起業した昨年の5月ごろはITバブルたけなわで起業ブームでした。そのバブルもはじけ、世は一気に転職ブームになった気がします。企業の倒産率もふえていますが、開業率も減っているとのことです。昨年夏に開催された税務署主催の新設法人の税務講習会にはあふれるほどの参加者でしたが、年末調整、そして3月度の決算説明会とどんどん参加者が減っていくのを目のあたりにし、自分の会社が何とか持ちこたえているのが不思議な気がしたものです。

最近、ある起業家むけの雑誌からの取材を受けました。編集者によると、過去のような派手なITバブル長者をめざしての起業は減ったものの雇用状況が良くないため、自分の特技を生かして地道に起業しようとする人は相変わらず多いとのことでした。

 取材に来られたライターさんが最後におっしゃいましたが「自由でタフな生き方ですね。」まさにその通りで、会社員であれば否応なしに仕事を探してくれますが独立すればぼんやりしていればいつまでたっても収入はありません。その代わり、会社員時代ならしぶしぶ引き受けていたような仕事も嫌と思えばはっきりお断りできます。あまり利益がなくても興味のある仕事なら積極的にアプローチすることもできます。この「自由と責任」を思う存分味わっています。

 起業した時に香港人の知人からこんなメッセージをもらいました。「大企業に長年勤務したので自分の力を試したくなったのだろう。」それまでは会社の看板で仕事ができたというのもさることながら、忘れがちなのは「その会社にいるから友達をしてくれている」人も多いことです。退職したとたん、誰も電話もしてくれない、相談にものってくれないという人の話はよく聞きます。特にSOHOや小さな企業を起こす人に必要なのは、精神的な面でのよき理解者、相談相手の存在です。この香港人もそうですが、外国人の友人たちが「仕事では関係なくなっても友達であることは変わりないからいつでも連絡して。」と励ましてくれたのがどんなに力になったかわかりません。

 東南アジアの華僑のビジネスマンたちもSOHO的発想です。大企業に勤めた経験を生かし、自分の資金でビジネスを始めるケースが多いようです。会社が小さいということはあまり気にせず、自分にとって仕事がおもしろく利益があがればいい。ある程度規模が大きくなって社員がふえてもオーナー自らが営業も企画も財務もやってしまう。その辺が、旧来の日本の会社の概念、資本を出す人がいて、組織を作って、仕事を使用人にやらせるという考えとは根本から違う気がします。

 起業をめざす人にとって意外に何もないのが特典です。これが開業率の低下と倒産率を高めている気がします。人手がないから業容を伸ばしきれないという起業家もあるでしょう。私が思いついたのは失業保険の受給者を開業したての企業に雇用してもらうことです。たとえば開業したばかりの企業は半額で人を雇える、そうすれば失業保険の原資は半分で済みますし、開業したての企業にも無理なく人が雇え支援策となるのではないでしょうか。失業者(厳密に言えば失業者ではなくなりますが)も受給金額が減るわけでもなく、次の就職、いや役員や共同経営者の道だって開けるかも知れません。

2001.09.07

河口容子

外相というお仕事

 田中外相の出現により一躍話題になったのが「外相というお仕事」についてです。外務省内の連続不祥事をめぐる人事問題については、めまぐるしく動く国際情勢の中にあって内向き過ぎるのではないか、本来やるべき事はもっとあるべきなのではないかとの批判もかなりありました。

 私は外相の仕事というのは営業の管理職や責任者と立場が似ているとふと思いました。営業という仕事は外部から利益を獲得するのが仕事です。しかし、営業で売上や利益を上げるには、サポート体制の強化が必要です。豪腕の営業マンは売上を上げるためには社内の伝票担当者や物流担当者に無理難題をふっかけ、てんてこまいさせるものの、その部署の成績はいいので皆おとなしく従わざるを得ないというのがよくあるパターンではないでしょうか。気配りのできる営業マンであるなら、社内のサポート体制を強化し、味方につけることにより、自分の営業活動をやり易くするということも考えるでしょう。そういう意味から田中外相の内部に手をつけるというのは誤った手法ではないと思いました。

 女性がトップに座ったときの問題点は豪腕で引っ張るという手法が使えないことにあります。「豪放磊落」は男性にはほめ言葉として使われますが、女性には通用しません。自分自身の経験からでもありますが、女性である以上「きめの細かさ、他人への配慮、粘り強さ」を売り物にできなければ通用しません。たたきあげの女性トップなら自ずと身につけていますが田中外相は宰相の娘という恵まれた立場に生まれたがゆえに理解しておらず、人前で部下を叱りつける、嫌味を言うなどという横暴な態度が不快感を呼んだものと思われます。

 大企業もそうであるように、男性社会というのは保守的で「今まで問題がなかったのだからやり方を変える必要性はない。」という合理主義、つまり改善されるかも知れないがリスクもあるのならやらない方がましだ、問題があれば変えればいいという発想と、「辛くても仕事なんだからやれ、自分だって大変なんだから。」という他人に対する冷たい割り切りと「まあ、そのくらい大目に見てやるよ。役得なんだから。」という寛容さがミックスしているような気がします。その辺は社会進出の歴史が浅い女性には、あるいは性差から来るものかも知れませんが、なかなか理解できない構図になっています。

 私が思うに女性の方がどんな些細なことでも向上心を持っており、他人への同情心や公平さに対する希求も男性よりは強い気がします。しかし、生真面目さだけで世の中は渡れないということを知りません。女性が男性社会で対等に働く、あるいはトップに就く場合、注意しなければいけないのは「パンドラの箱」にしないことです。やる気満々、能力もある、何か変えてやろうと禁断の箱を開けてしまうと次から次へとこの世の悪と災いが箱の中から飛び出し収拾がつかなくなってしまい、最後に希望だけが箱の中に閉じ込められたというこのギリシア神話のようにならないことを祈ります。

 経済力がある割にはなぜか国際社会で存在感を認められない日本。天然資源に乏しく、地理的にも翻弄されがちなこの島国をどうしたら上手に生かすか、思えば外相のお仕事とは国家の存亡を左右するものかも知れません。

2001.08.31

河口容子