ドレス・コード

  満員電車に乗ると「この暑いのにネクタイにスーツは何とかしてほしい。」というサラリーマンの悲鳴が聞こえてくるようです。法律で決まっているわけでもなく、流行でもないのに一部の企業を除いてはビジネスマンの制服がワイシャツにネクタイ、スーツです。何にでも疑問を持つ私としては、なぜこのスタイルがビジネスマンに定着しているのか知りたくてたまりません。女性のように襟のないジャケットや半袖(かつて首相自ら省エネルックとして着用されていた方がありましたが誰も真似しませんでした。)もありません。万人に似合いやすく、オフィスでの機能性と品格をそなえたのがあの形なのだろうと勝手に解釈をしております。

 ドレス・コード、英語で「服装規定」のことです。米国ではオフィスのドレス・コードがとても厳しかったと聞きます。多民族国家で価値観も違うため自由裁量にゆだねると仕事にふさわしくない格好をしてくる人もいるからという理由でした。また、キャリア・ウーマンはミニスカート、フリルのついたブラウス、大ぶりなアクセサリーもだめという時代もありました。ベンチャー・ビジネス花盛りの時代へ入ると、堅苦しい衣服では自由な発想が生まれない、とオフィスへのカジュアル・ウェアの導入がすすみ、そして最近はまた行き過ぎたカジュアル化、つまりオフィスはリゾートではない、という風潮も出てきています。

 小泉内閣のベスト・ドレッサーは?というニュースを耳にし、案の定扇大臣がトップで何となくがっかりしました。確かに扇さんは若々しく美しい、一般中高年女性の目標にはなりますが、国会議員や行政の長としては髪形といい洋服といい、外見が人間性を押し殺してしまっている気がします。田中大臣のスーツ姿にはきりりと好感が持てるものもありますが、ある日はおばさん丸出しのカーディガン姿で国会に現れたりしてがっかりさせられます。私の理想は英国のサッチャー元首相のさりげないスーツ姿で、どんな服だったか強烈な印象はないけれども個性と一体感をともなっているという点にあります。しかも年を重ねるごとにエレガントで美しくなる点も努力の積み重ねと自信のあらわれでしょうか。

 キャンプ・デービッドでの小泉首相のカジュアル・ウェアも注目の的となりましたが、着慣れていないというかはしゃぎ過ぎの感もありました。一方、ブッシュ大統領は落ち着いたトーンですっきりまとめ、適度なフォーマルさも兼ね備えていました。私の祖母は普段はまったく着るものにかまわなかった人ですが、他人を訪問するときやお客様を迎えるとき相手のことを配慮しながら和服の格や柄行など大変気をつかっていたのをよく覚えています。これがドレス・コードの真髄のような気がします。

 就職活動用にリクルート・スーツというのがあります。私が面接担当なら非常識でない限りその人に似合った服装をしている人を採用します。会社訪問をするときだけ無難な格好をしてうけを狙うなどという魂胆が嫌いだからです。日本人は洋服文化の歴史が浅いせいか、冠婚葬祭がよい例ですが制服のように型にはまった着こなしを選んでしまいがちです。また、ブランドにも頼りがちです。人間性こそ一番のおしゃれであることに早く気づいてほしいものです。

2001.07.12

河口容子

侵入者

 私は都内の昔からある閑静な住宅街の一戸建てに住んでいます。子どもの頃は昼間玄関に鍵をかけることなんて考えられませんでした。ご近所や友達が自由にやって来ましたし、こちらも出かけて行って「玄関の戸が空いているから近所に買い物にでも行ったのだろう。」と庭先で待っていたりもしたものです。ところが、今では玄関に鍵をかけていないと不安でたまりません。

 バブルの頃からでしょうか、訪問販売、宗教団体の勧誘など見知らぬ侵入者が増加しました。あとで事件になった業者などは母ひとりの所へ数人でやって来たり、こわいので庭先で対応しようとすると「机のある所でないと話ができない。」とすごまれ、通りがかった近所の人に助けを求めたということもありました。

 また、昨年起業したばかり、法人登記が終わってしばらくした時のことです。「ご開業おめでとうございます」とある経営コンサルタント会社からDMが送られ、また違うコンサルタント会社の人はいきなりオフィスに現れました。私の正式な起業を知っている人といえば、公証人役場、法務局、税務署、銀行くらいしかいません。彼らはどうやって情報を得たのでしょう。それが不思議で恐怖感をおぼえました。

 電話によるセールスもそうです。最近は昼間不在の家庭がふえたせいか夜であろうと日曜であろうとじゃんじゃん電話がかかってきます。大半は昔ながらの押し売り口調で「私のいう事を聞かないとあなたは損をする。そんなお金もないのか。」と言わんばかりです。だいたい電話というのは他人の行為をさえぎって呼び出すものです。それなりの礼儀があっていいと思います。しかも見ず知らずの人にモノなりサービスを買ってもらうのなら、なおさらです。

 ポスティング、いわゆるちらしの配布です。郵便局の人は制服で判別できますが、自宅のポストの前で老若男女の不審人物、と思いきやポストにすばやくちらしを入れて立ち去って行きます。副業なのか深夜に現れる人もいます。

 もちろん、皆仕事として一生懸命やっておられることは理解できますが、相手への配慮がうかがわれれば少なくとも不愉快な気分にさせられたり、不信感をいだいたりはしません。いろいろな情報やサービスがあることは便利であるとともにわずらわしくなったことも事実です。

 宅配便。最近は宅配便を装った事件もふえていると聞いてうかつに対応できません。圧巻は「空き巣、犯人は行動パターンを熟知している近所の人だった」という話を知人に聞いてからは、自分のスケジュールを必要な人以外には話さないようになりました。留守電もセットしておくと留守であることを証明しているようなもので危ないと友人に注意されました。

 とにかく、家にいるだけで間接、直接に人のみでなく、モノや情報が侵入してくるわけで、これを自分にとって有利であったり快適であるものとそうでないものと見分けるだけでも神経をすり減らしてしまいます。これが人々が求めてきた文化的なくらしや現代文明がもたらした結果です。

2001.07.05

河口容子