失われたコミュニケーション

 先週は日本人の「所有欲」について勝手な考察をしました。この所有欲のおかげで新しいモノを次々と買うために日本人は勤勉に働いてきたし、メーカーも手かえ品かえ新製品を発明し、広告の手法もどんどん進化したので悪いことだと決めつけられませんが、何でもかんでも自分が所有してしまうと、何が起きるかを今週は考えてみたいと思います。モノを所有するといつでも好きな時に好きなように使えます。他人に気兼ねをする必要はないのです。

 昔、テレビが一家に一台しかなかった時代は「チャンネル争い」がつきものでした。子どもはアニメ、お母さんはドラマ、お父さんは野球と見たいものが違います。そこで話あいやルールぎめがなされます。電話にしてもそうでした。図書館で本を借りるには貸し出しの係りの人と会話をせねばなりませんし、ルールどおりに返却することや次に読む人のために本を汚さないことにも注意したものです。

 日本がだんだん豊かになり、いつしか一家にテレビは部屋の数ほどあり、電話も家庭の電話に子機、携帯とモノがあふれるようになると、もう遠慮はいりません。使うためのコミュニケーションもルールもなくなってしまいました。コミュニケーションがなくなると当然人間関係も希薄になってきます。これは家庭内のみならず、各人が所属しているコミュニティでも同様だと思います。昔なら家族の目が届かなくても近隣の人の目で犯罪の芽は摘み取られていたし、困ったときには必ず誰かが指導したり、面倒をみてくれていた気がします。

 何でも勝手にふるまえることに慣れてしまった現代人はがまんがきかなくなり、他人を気遣う心を忘れています。それが続発する幼児虐待やドメスティック・バイオレンスにつながっている気がします。

 都会に住んでいると何年も隣近所に住んでいるのに家族構成がわからない、職業も知らないといったことが普通です。こういった現象は家庭内にも及んでいます。このシリーズの第2回め「寒い家族」でも書かせていただきましたが、あるべき一言の会話がないために家族を死においやることもあります。一度希薄になった関係の修復はむずかしいものです。

 私が起業してから、ある雑誌の記事をご覧になった方々から起業の相談を電話で受けました。もちろん面識もない方々です。何らかのアドバイスをできればと思うもののその方のバックグラウンドは一切わかりません。家族や友人もいるはずなのになぜ見たこともない私に何度も電話をかけてまで相談したいのでしょう。確かに第三者の無責任なアドバイスが客観的な意見として参考になることはあります。ただ、ここに私は現代人の孤独を見た気がしました。家族や友人の見ているのはその人の肉体だけ、心の中までは見えていないと。

 通信手段のめざましい進歩で知りえなかった人とも交信できるというありがたい時代に生きながら、本来あるべきコミュニケーションが失われていくのはまったく皮肉なことです。

2001.02.23

河口容子

所有欲

 「中国人だったら海外でビジネスするのにホテルとかレストランのように毎日収入のあるものを選びます。危なくなってもお金持ってすぐ逃げられるし。なんで日本人は長い時間かかって工場を建てるようなビジネスを選ぶんでしょう?10年くらいかけないと回収できないですよ。」突然中国人にこう聞かれた私は返答に困りました。確かに日系企業の海外進出というと自動車、家電など製造業の大規模工場が思い浮かびます。現地の人を大勢雇用し、製品を日本に輸出したり、現地市場で販売したり、というパターンです。投下資本の回収には時間がかかり、政情が一変すればすべて失う可能性もあります。

 私が以前取引をしていた米国企業は典型的なファブレスでそのブランドの商品は世界約300ケ所の指定工場で製造されていました。米国の本社は原産国に駐在員事務所を置き、生産管理や船積みのアレンジをするだけです。各工場とは資本関係も人的関係もありません。より安いコストを求めてどこへでも生産地は移っていきます。資金があっても日本の専用物流倉庫は割高なリース契約でした。外国で資産を持ってもリスクが大きい、撤退時に邪魔になる、というのがその理由でした。

 米国、中国の例と重ね合わせると日本人はどうやら土地やら工場を「所有」することが好きな国民のようです。国土が狭く、大昔から陣取り合戦をしていたDNAがそうさせるのかも知れません。製造業を得意とする国で日本式の設備や技術を持ち込まなければ技術的にむずかしいという理由もあるでしょう。かつて未開の地に教会を建て布教していった宣教師のような精神構造に似たところがあるような気もします。工場を建ていつかこの国に自社製品を普及させてやるといった意気込みのようなものです。それがこの国のためにもなるんだ、というようなヒロイズムも。

それにしてもマイ・ホーム、マイ・カー、ウォークマンに携帯電話と大きなものから小さなものまでなぜ日本人は自分専用のものを持ちたがるのでしょうか。何かのクイズ番組でやっていましたが、自分専用の茶碗や箸を持っている日本のような文化は珍しいのだそうです。ローン返済完了時には建て替えなければならないような家を持つより、賃貸住宅にすれば嫌ならいつでも引っ越せるし、改築や建て替えの心配はありません。車にしても公共の乗り物の発達した都市部では必要な時だけタクシーに乗ったり、レンタカーを借りる方が合理的です。これはどうやら「所有する」というのが共通の価値観となっており、利便性という理由をはるかに超えて「持てる人」と「持てない人」の無意識の差別感が生まれる風土のせいのような気がしてなりません。「持てない人」になりたくないから、他の人の持っているものを自分も持ちたい、これが日本人の消費行動パターンです。

 会社にしても「社員」にこだわります。アウトソーシングの方が必要な時に必要な人材を調達できます。社員数を誇示したい、社員をたくさん集めて自分たちの「ムラ」を作れば安心という意識は古いのではないでしょうか。

 「所有欲」と「持ちすぎ」の問題がなければ企業もリストラに苦しむことなく、家の中もすっきり片付く気がします。

2001.02.16

河口容子