豊かさとは何か

 昨年ジャカルタに出張した時、華人のビジネスマンに日本の財政赤字の話をしました。彼には初耳だったらしく「日本が東南アジア諸国をいろいろ援助しているが、お金がないのにどうしてできるのか」と素朴な質問を投げかけてきました。「日本には資源がなく、工業製品を輸出している国だから外国と仲良くしていかねば生きていけない」というのが私の答えでした。そして「財政赤字は国民ひとりひとりが背負っていかねばならない」ことを。私の脳裏には自転車操業で今にも倒れそうな会社のイメージが浮かびました。

 日本から見ればインドネシアは貧しい国でしょう。実は私はそうは思いません。彼らは売るほど資源を持っています。国土も日本の5倍、人口も2億人を越しています。交差点で車が止まると一斉に新聞やフルーツを手に物売りの少年がかけよってきますが、彼らの収入は1日50セントほどだそうです。でも皆瞳を輝かせ、色鮮やかな衣服を熱帯特有の景色に溶け込ませながら毎日元気に暮らしています。寒さをしのぐ必要がない、自然の実りが食物として期待できるからでしょう。南国らしい楽天性という言葉だけでは片付けられないほど資源国の底力を私は感じました。

 一方、日本は現代文明の恩恵を享受しているかのように錯覚しますが、ひとたび輸入が止まれば電気やガスも使えない、食べるものすらほとんどなくなります。日本のお家芸であった製品輸出もアジア諸国の勢いに押されがちです。今さら自給自足の生活に戻ろうにも自然は崩壊し、人々には技術も根性もないといった有様です。私たちは脆弱な基盤の上に立っているということを忘れて「繁栄」の文字だけを追って突っ走ってきたのではないでしょうか。

 「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」とか「アメリカで流行ったものは何年か遅れて日本にやって来る」とよく言われますが、アメリカは世界の大国です。国土も広ければ人口も多い。世界有数の農業国でもあります。資源もあるし、貿易に頼らなくても自国だけで経済は成り立ちます。いわば質、量とも兼ね備えた人です。それに比べ、日本は自分のことはすっかり忘れて他人のことばかりきょろきょろと気にしている人のようです。良いものを素直にどんどん受け入れる姿勢は日本の長所でもありますが、最近は深みに欠けるきらいがあります。

 敗戦から見事に世界の目を驚かせるほどに立ち直った日本の原動力は、日本の脆弱さを認識した上での勤勉、謙虚、礼節といった美徳であったろうと思います。そしてこの繁栄を牽引してきた方々は現役を去っていきつつあります。成人式でサルのように暴れている青年たちを目の当たりにして、半世紀間の努力が実ったあとの奢りによる堕落の象徴にしか見えませんでした。

 ある大学教授は「いくら財政赤字がふえたところで国は会社のように倒産はしません。国土があり、国民がいる限りその国は存在するのです。」とおっしゃいました。倒産する心配はないものの、再就職も失業保険もないのです。日本国民として日本に居住する限りひとりひとりが責任を負っていくのです。世界の一員としてなすべきことは何か?という議論ももちろん大切ですが、自国がどんな国であるのかも見つめ直すべきです。

2001.01.26

河口容子

専業主婦論争

 「くたばれ専業主婦」なる本を書いたという女性と専業主婦たちの猛反撃をテレビで見ました。専業主婦が扶養家族として優遇されているのがけしからんと言うのなら、これは税制をはじめ社会保険などのしくみの問題であり、専業主婦が悪いわけではありません。また、有職主婦に対して、家事育児をおろそかにするな、と一方的に攻め立てるのも他人のあら捜しをして自分の行為を正当化するという手法も不愉快にしか思えませんでした。

 以前、キャリアウーマンの大先輩の講演で「専業主婦が出現したのは長い人間の歴史でごく短い期間だけ」という話を聞き、大変感銘を受けました。昔は農家であれ、商家であれ主婦は夫と一緒に働いていました。今でもそうでしょう。日本の近代化が進むにつれ、都市に住むサラリーマンがふえ核家族が出現します。サラリーマンでは使用人は雇えませんので主婦が家事育児を担当するのが合理的な方法として定着したのだと思います。

 ただ、様変わりしたのは家電の普及や各種サービスの発達により家事は楽にしようと思えばいくらでもできる、少子化、さまざまな才能をもつ女性がふえた、という環境下で広く社会で自分の力を試したいという女性がいてもこれはおかしくありません。

 私自身は一度も専業主婦になったことも、あこがれたこともありませんが、専業主婦はまじめにやればやるほど大変な役割ですし、それに意義を見出す人がもっといてもいいと思っています。むしろ、「仕事をしていないと無能よばわりされる」「暇だから」というような中途半端な気持ちで社会に出て来られる方がよっぽど迷惑です。

 こういう論争で一番嫌なのは10羽ひとからげ的な決めつけです。これはある意味では心ない発言です。たとえば、母子家庭で働きながら子どもを育てている人にとって「家事育児をおろそかにするな。」という意見は本当に辛いものですし、病弱だったり家庭の事情で才能も意欲もあるのに働けない主婦の人もいるわけです。以前にも書きましたが、百家族いれば百通りの家族事情があります。それを無視して勝手に「けしからん。」というのは僭越かつ浅はかな話に思えてなりません。

 4人のお子さんを産み育てながら会社員をしていた女性は残業もよくやっていたし、昼休みを活用して英語の勉強をし、また和服の着付けもマスターしました。英語は自分のため、着付けはお嬢さんに自分の手で和服を着せてあげるためだそうです。商社の駐在員の奥さんは専業主婦ですが、見知らぬ海外の町へ着いた日から家族の食事の世話、子どもの学校と生活全般を取り仕切っていかなければならないわけです。自宅で接待をする必要があるため50人分の食器をはるばる海の彼方へ運んで行った奥さんもいます。

 人間は一生懸命打ち込んでいる姿が一番美しいものです。世間の目におびえたり、他人を批判するのではなく、自分らしい生き方を与えられた環境の中で精一杯実現すれば家族はもちろんのこと他人をも感動させることができるのではないでしょうか。

2001.01.19