有名人家族の不祥事

 三田佳子の次男、川中美幸の夫と覚せい剤がらみの逮捕が続き、犯罪とは無関係な円満そうな家庭にも覚せい剤が忍び寄っていることに驚くと同時に、有名人の家族の辛さを垣間見たような気がします。

 私自身は有名人でも何でもありませんので、有名人になった気分や有名人の家族の気持ちというのは推測の域を出ないのですが、「大きい木ほど影も大きい」といわれるように、皆に注目される、有名であるがゆえに優先してもらえる、ぜいたくな生活ができるなどといいことづくめではなく、他人の目を常に気にして暮らさなければならない、一般人より社会的責任が重い、人気商売であるがゆえに無理をしてでもつきあうというような辛さもあるのではないかと思います。

 本人の気の持ちようですが、恵まれていると言ったらこの上ないし、ストレスがたまると言ったら辛くてしかたのない立場でしょう。私が会社員の頃、役員が「こんな時期に役員になって大変だ。事業の詳細な見直しをせねばならないし、早期退職の勧告や異動を部下にさせねばならない。損な役回りだ。」とぼやいていました。私は「それでは平社員になられてはどうですか?組合員ですから解雇もされないし、責任もありません。」と冗談で言いましたが、誰も平社員になりたいとは言いません。人間とは都合の良いものです。役得の方はすっかり忘れて、嫌なところだけがやけに重荷になってのしかかってくるものです。

 特に女性(つまり母であったり、妻であったり)が有名人であった場合、家族の男性(息子や夫)はどこか劣等感や嫉妬心のようなものを持ちやすいのではないかとも思います。本人はそう思ってはいなくても日本の社会習慣がそうさせてしまう部分があります。私の米国人の知り合いには奥さんの方がポストも収入もはるかに上のカップルが何組かいます。中には専業主夫でご主人が家事・育児をされているカップルもいます。しかも「私の妻は良い仕事を持っている。」と心から自慢し尊敬しています。また、奥さんの転職と引越しのためにご主人が会社を辞めた例もあります。男性だから女性だからというのではなく、能力や経済効率を重視する「自由」や「大らかさ」がまだまだ日本の社会にはたらない気がします。

 最後に日本人のバッシング癖について。「一事が万事」という諺があるように事件がおきると昨日までは「近所でも評判の良い人」、犯人と呼ばれた瞬間から「生まれた時から極悪人」であるかのような報道をされます。ただ家族というだけの理由で、三田佳子は母としての責任、川中美幸は妻としての責任を取らされ、家族が犯罪に走る原因さがしを勝手に世間がやってしまう。家族関係というのは千差万別で、たとえ劣悪な状況におかれても善人はたくさんいるし、理想的な家庭でも犯罪者は生まれます。基本的には犯罪をおかした本人の問題として捉えるべきだと思います。ただ、少年犯罪については家庭の影響力、家族の責任は大きいと感じています。「良い生活習慣を身に付けさせる」のは家庭教育であるべきですし、子ども自身が環境を変える力を持たないからです。

 ワイドショーの「有名人家族の不祥事」として覗き見的に興味を持つ、有名人のお詫びで終わらせるのではなく、これを機に覚せい剤・麻薬問題やその対処法などもっと一般社会の問題としての視点を忘れてはならないと思います。 
 
2001.01.12

河口容子

名刺の文化

 読者の皆様、あけましておめでとうございます。新しい世紀の始まりです。この1年のご健康とご活躍をお祈り申しあげます。

 新年の挨拶まわり、懇親会などで名刺を交換される方も多いことと思います。昨年は長野県庁での名刺折り曲げ事件が世間を騒がせ、友人からこのテーマをとのりクエストがありました。藤井局長の進退問題については内部でのやり取りが公表されておりませんのでここでは触れないことにしますが、放映された名刺交換のマナーに関しては私には田中県知事と藤井局長のお二人とも奇妙に映りました。

 私は何千人も社員がおり、何百という組織のある会社に勤務していました。当然見知らぬ社員もたくさんいるのですが、社内では名刺交換はしません。ましてや社長や役員が部下に名刺を出すなどという事はあり得ません。会社の名刺というのは一種の身分証明です。同じ社名の名刺を持つということは、すべて身元のわかっている人間どうしであり、たとえ面識がなくても名刺を交換する必要はないのです。正式組織名や社内電話番号を知らなくても調べる印刷物(今は電子化されていますが)があります。ただ、子会社の場合は住所、職制が異なったりしますので確認のため交換することはありました。

田中知事は「私の流儀ですから。インターネットのアドレスも入っているので…」というようなことをおっしゃっていたと記憶します。自費で作られた個人用の名刺なのかも知れませんが、それをいきなり公式の場で出すのはおかしいし、県庁内でインターネットを使って連絡する方法があるのなら、公式のアドレスはお互いにわかっているのが常識です。知事は名刺を出すより、まずは県庁の組織とその幹部職員の名前を勉強しておくのが普通ですし、またその資料を用意する職員もいるはずです。わざとそうしているなら組織内の不協和音を感じざるを得ませんし、誰も気づかなかったのならそれはそれで問題です。

 仕事の名刺はただの印刷物ではありません。両手で丁寧に扱うのが普通です。よく商談の間、テーブルの上に相手の名刺をのせておきますが、うっかり落とした場合は「申し訳ございません。」とか「失礼しました。」と謝ります。この時点で名刺はすでに「人」なのです。相手の名刺の上にお茶をこぼしたという人の話も聞きません。公の場で相手の名刺をへし折るなどは相手の頭をなぐるに等しい行為です。以上は私のビジネスマンとしての経験から得た「名刺の文化」ですが、作家や公務員のかたがたは異なる文化をお持ちなのでしょうか。

 不思議なもので名刺をいただいた時はお顔やその時どんな会話をしたかなどいつまでもよく覚えています。それだけお互いに心がこめやすい小道具です。また、会話につまっても社名の由来や組織のことなど小さな紙1枚に刷られている情報だけで十分話題が作れます。

 「ビジネスマンにとって名刺は財産」とよく言われますが、仕事でお会いしていただいた方の名刺はのちにご縁がなくなっても捨てたことがありません。10年前、いやそれ以上の名刺でも何かの役にたつことが年に数回あります。整理は大変ですが、正月休みを利用して毎年インデックスのつけかえなどをやっております。これが仕事のヒントになることもありますし、思い出したようにご無沙汰おわびのお便りを出すこともあります。これは住所録の文字の羅列を見るだけではなかなかできないことだと思います。

最近は、学生や主婦、ビジネスマンも会社の名刺とは別に個人の名刺を持っている人がふえました。名刺を差し出す時背筋がピンと伸びますが、なんだか快い緊張感、自信や誇りも生まれてきます。たがが名刺、されど名刺、この小さな紙は実にすばらしいパワーを秘めて心と心をつないでくれます。この1年どうか上手に大切に使って良い思い出をたくさん残してください。

2001.01.05

河口容子