起業家時代

 起業ブームです。リストラや就職難で乾ききった社会に彗星のごとく現れたベンチャー企業、そしてビル・ゲイツのように若くして巨万の富を得る人々。彼らは実に個性的で新しい産業をクリエイトし世の流れを作っていきます。そして彼らは一流大学―一流企業―終身雇用といったワンパターンの価値観をも変えていきつつあります。  私も5月から起業家のはしくれとして自宅の一角にオフィスをかまえました。前述の華々しい起業家とは月とスッポンですが、24年間の会社員生活をもってしてもわかり得なかった緊張感や学べきことを毎日得ております。

 会社員時代は夏休みもろくに取れないほどまじめで責任感がある社員だと思っていましたが、やはり自分の会社を持ってみるとそれでもいかに甘かったかを反省させられました。日本の大企業の経営陣はほとんどサラリーマンです。相次ぐ不祥事というのもどこかに「波風立てずにいい人だったと言われて任期を終えたい。」というサラリーマン根性が残っているからかも知れません。

 会社員時代から内外のさまざまな女性起業家とお会いしてきました。米国のカリスマ女性起業家であるコロンビア・スポーツウェアのガートルード・ボイル会長、ハナ・アンダーソンのグン・デンハート会長をはじめ、ほとんどが経営や特殊な技能の教育を受けたスーパー・エリートではなく、家庭人としても立派な方がたです。女性特有の生活感や合理性を生かしながら、地道に自分の夢をつみあげていく姿に感動し、尊敬の念をいだいたものです。女性の起業家がふえれば、男性中心のビジネス社会にも新風を送りこめるような気がします。

 母とふたり暮らし、独身、一人っ子の私はライフプランを母の老後にあわせて設計せざるを得ませんでした。仕事本位の発想ではありませんが、自宅で起業すれば時間も自由に使えるし、もうかれば人も雇える、良い企業にすれば他人が後継者となってくれる、というのが楽観的なシナリオです。家庭事情や健康上の理由で通勤できない人のやる気や能力を引き出すためにSOHOももちろんですが、起業というのもひとつの方法でしょう。自分の例を見て、高齢化社会、少子化、非婚時代を実感しています。

 先日、仲間うちのパーティであるIT企業の経営者のかたが「日本で起業するには大変だ。米国なら資金はベンチャー・キャピタルから調達、経営陣も一流企業から来てもらえるが、日本では人材、資金、ノウハウすべて大企業が握って放さない。」と嘆いておられました。起業、起業と口で騒がれるほどインフラは整っていません。起業が新しい産業や雇用をきちんと創出できるようなしくみにしないと雇用問題は永遠に片付かない気がします。

 最後に「アイデアも技能も資金もないが起業してみたい」という困った人々の出現です。そういう人のための本やセミナーまで出てきています。資金はないが、事業アイデアでよそから資金を引き出せる、あるいは自己資金でまかなえる事業を考えられる、という状態でないと長続きしませんし、他人にも迷惑をかけ、ひいては自分をもだめにしてしまいます。起業というのは急に思いついたり、無理やり始めるものではなく、長い間かかって意識もせずに自分の中で花開く時を待っているものなのかも知れません。

2000.12.14

河口容子

裸足族の逆襲

 子供の頃にキュリー夫人の伝記を読んで感動しました。何に感動したかというと女性に理科系の勉強をさせた親が偉いという点にです。当時の日本には普通の家庭では女の子に理科系の教育をさせようという親はごくまれでした。大学に行く頃になっても女の子だから短大で十分とか4大でも女子大の方が良いという親御さんもたくさんいらっしゃいました。私自身は、女性というだけで、男性と対等に能力を伸ばせなかったら、人類が大きな損失をする、といつの間にかそう思うようになりました。 

 24年間続けたサラリーマン生活でも「仕事は自分のためにするもの」と後輩に言いつづけて来ました。本人が実力さえあれば、雇っている企業にも利をもたらすし、リストラの嵐が吹いてもおびえずにすむからです。「会社のため、会社のため」と言っている人ほど大した業績をあげていないケースがほとんどではないでしょうか。会社にしがみつくために自分をすてて来た恨みが染み付いた発言のように聞こえます。

 雑巾がけ、お茶くみ、コピー取りの3点セットからスタートしたサラリーマン生活も、雇用機会均等法の施行もあって初の総合職になることができました。社会の眼の変化とバブル・エコノミーの勢いのおかげと感謝しています。しかしながら、漫然と機会が与えられるのを待ったわけではなく、労働組合の人事諮問委員をやったり、外部セミナーで女性どうしエールを送りあったりの結果でした。「君は自分で制度を勝ち取ったんだから一生誇りに思っていいよ。後に続くただ制度を選ぶだけの女性とは違うんだから。」という同期入社の男性のひとことに、キュリー夫人の伝記の思い出や外部セミナーの先生の「女性だからという理由であきらめることは何もありません。特別な能力だけではなく、継続することも能力のひとつです。」の言葉がオーバーラップしました。

 その後の総合職としての生活も厳密に言えば、社内、取引先で良くも悪くも差別されてきた気がします。ビジネスパーソンを戦士にたとえるなら、女性の場合は体力測定も訓練も十分にしてもらえず裸足で戦争に行くようなものです。一方、男性なら新入社員でもわらじかスリッパくらいは履かせてもらっているというのに。裸足であるがゆえに時代をするどく素肌で感じ成功させている人もいるし、怪我をしてリタイアせざるをえない人もいます。「危ないからおぶっていって。」と最初から甘えている人もいます。男性の方は昇進するにつれて厚底サンダル、竹馬と履物が変わって下界から遠のいていきます。背は高くなって格好は良いけれど、だんだん早くは歩けないし、転倒の危険性すらあります。

 4年前に(財)経済広報センターから出された「2010年のかいしゃのひと」という本に「女性は男性ほど保証がなかったため職業観、労働市場ともよりフレキシブルであり、年功よりも実力主義である。案外、新時代への対応は女性のほうが早いかもしれない。」というコメントを書かせてもらいました。新卒女子の就職状況はきびしいようですが、あらゆる方面で最近の女性の活躍には目覚しいものがあります。男性の専売特許と思われていたような職場にも着実に女性は進出しています。社会の急激な変化について行けなかった厚底サンダル族に対する裸足族のひそかな逆襲です。

 厚底サンダルを脱いで裸足になりましょう。等身大でものが見え、肌で直接喜びや痛みを知ることは恥ずかしいことでもこわいことではありません。 

2000.12.07

河口容子