ダイエーの凋落に想う

 流通業界の覇者だったダイエーの不祥事、リストラの立て役者として鳴り物入りで登場した鳥羽社長の辞任、創業者として君臨してきた中内会長まで最高顧問に退くというニュースがありました。期せずして、元祖コンビニのセブンイレブンがダイエーを抜き小売業売上トップに踊り出るというダブルショックもありました。このニュースでいろいろな観点から感じたことがあります。

 ひとつは時代の変化です。ダイエーの関係者から聞いた話ですが、年収500万円台の家庭を基準にした品ぞろえをしているそうです。バブル時期まで日本経済を支えてきた「中流」の層と重なります。中内さんの説く「流通革命」や「エブリデイ・ロープライス」というスローガンに消費者の立場にたった小売業という庶民性を強く感じたものです。また、相次ぐ輸入品の規制緩和にあわせ、牛肉やオレンジジュースといった一点絞込みのディスカウント商品もささやかなぜいたくの実現という中内さんのやさしさの現れだったかも知れません。

 ところが、売れなくなったということは、消費者そのものが変わってきたのではないかということです。同じような消費性向を示していたはずの圧倒的多数の「中流」がなくなってきた。二極分化とよく言われますが、貧富の差が激しくなったというより、かたまっていた「中流」がばらけて上の層や下の層にぶれていっている気がします。それと同時に消費者の嗜好が多様化しています。

 コンビニという業態が売上トップに踊り出たということも象徴的です。コンビには主として個人が自分のために買い物をする所です。ということは家族であってもそれぞれが、好きなものを好きな時間に勝手に自分で買いに行くという消費行動がふえた現れでしょう。

 また、「モノ離れ」。貧しいうちは買える喜び、持つ喜びを感じますが、今の日本人はたいていのものは持っているし、買えます。モノはいつでもどこでもふんだんに供給されていますから安いからといってまとめて買ったりしません。むしろ鮮度を気にしてくれるコンビニを冷蔵庫や押入れ代わりにして、必要なモノを必要な分だけ定価であっても買うということに価値を見出したのでしょう。   もうひとつは中内さん自身の生き方です。昔ダイエーが小さかった頃そばで一緒に仕事をした人は「仕事中煙草を吸うな。片手を遊ばすな、わしは両手を雇うてんやで。」と中内さんに叱られたとか。この浪速の商人道を地でいくような発言に創業者としての苦労、オーナーとしての自負心がにじみ出ているような気がしますが、巨大な企業になってもその精神が社員のすみずみにまで通用するものかどうか疑問に思います。むしろ米国あたりではファミリー・ビジネスから急成長した場合は、大企業から経営者を迎え経営はそのプロに任せ、創業者は会長などに退いて歩く広告塔になっていたりします。

 もし、中内さんがそういう方法を選び、もっと早く次の時代を担う人にバトンタッチしていたら、戦後の日本の流通業のカリスマ経営者としてあがめたてまつられ、気楽な人生を歩んでいたかも知れません。「人間は引き際が大切」という美学めいた言葉がありますが、一方、創業者であるだけにできるだけ自分で掌握していたい、という気持ちもよくわかります。私自身は「万事塞翁が馬」という諺が好きで、何事も最後まで幸か不幸かわからないとは思いますが、日本の流通業の歴史に残る人物と企業であるだけに「禍転じて福となす」ようなストーリーを残してほしいと思います。

2000.11.16

河口容子

サラリーマンのイチロー

  イチローの米国メジャー・リーグ行きが新聞の1面を飾りました。いよいよ、という感じです。オリックスのファン、パリーグのファンとしてはイチローがいなくなったらどうなるのだろうという一抹の不安?も覚えましたが、高年俸をすてても夢に挑戦したいという爽やかな野心と自信にうらやましい限りです。世は実力社会へ移りつつあるといいますが、サラリーマン社会も球界のようになるのでしょうか。

 シーズンが始まるとついつい選手の一覧表がついている専門誌を買ってしまったりします。それには推定年俸も出ているのですが、イチローのように何億円ももらえるスター・プレイヤーもいれば、何百万円の人もいます。つまり同じチームにいて経験も10数年しか違わない中で100倍も年俸差があることに加え、ルーキーがとんでもない高額の年俸をもらっていることもあります。一般企業なら新入社員から社長まで年俸は10-20倍の間、経験にすれば30-40年くらいの差のはずです。しかもいくら実力主義の会社でも新入社員が数年先輩の10倍というような年俸はもらえないでしょう。

 評価そのものは、野球なら防御率や打率、本塁打数などとありとあらゆる数字を駆使して能力をはかるものさしを作れますが、ホワイトカラーの場合は数字では計りきれない部分がかなりあります。また、同じ会社でも部署によってものさしを変える必要が出てくると配属の運不運や不公平感も出てきそうです。また、プロジェクト・チームのように組織で動いている場合はひとりひとりの評価を厳密にすることはむずかしそうです。

 次にドラフト制はあり得るのか。優秀な学生をいち早く確保する動きは昔からありました。ただ、終身雇用制の上での「長期にわたって間違いのない買い物」という観点とプロ野球の「即実践で使える」という観点とは少し違う気がします。学校で勉強した事がそっくり使える職種ならまだしも、「学業優秀な学生」イコール「できる社会人」とも言えません。ただ、今後はベンチャー的な動きをする学生もたくさん出てくるでしょうから、大企業や投資家からスカウトに行くというケースもあるかも知れません。

 フリー・エージェント制はどうか。何年か勤務して転職権を得る、というのも労働市場の柔軟性を生み出すためには良いと思います。企業側も個人も社会全体の仕組みの中で適材適所の配置が行える気がします。フリー・エージェント権を行使して自分の真価を世に問う、労働条件が良ければ堂々と転職できる、のがメリットでしょう。また、企業側も優秀な人をいかに上手に使うか考えるようになります。今は不要な人材を見つけていかに辞めさせるか考えることにウェイトが置かれがちで、これは不要にしてしまった企業側の責任があまりにも問われなさ過ぎる気がします。

 最後にイチローのように会社が転職先を見つけて契約金を会社の利益とする方法。その会社で身に付けたノウハウというのは今までは無体財産として持ち逃げというのがサラリーマン世界です。今後は個人が得たノウハウは個人のものか会社のものかという観点も出てくれば、特に自己都合で転職する場合、退職金は逆に個人が会社に払うという発想もあり得ます。

 「年功序列制の廃止」は企業のリストラにとっては好都合でした。人件費削減の効率が上がり、年齢というくくりはある意味では平等だからです。問題なのは、そのあとに来るという実力社会については論議がなされていない点です。プロ野球選手とサラリーマンを比較するのは極端だったかも知れませんが、さて、近い将来サラリーマン界のイチローは登場するのでしょうか。

2000.11.09