アジア人から見たニッポン

 先週、知人のインドネシア人の女性が1週間初めて東京に遊びに来ました。彼女は50歳の中小企業経営者で日本の大企業の管理職並みの収入はありますので現地ではかなりお金持ちといえます。華人ですので見た目は普通の日本の中年女性です。英語も堪能で、出張、旅行と世界を飛び回っています。

 外国人の来日というといつも頭が痛いのが言葉の問題です。彼女にしても現地で知り合う日本人はすべて英語を話すため、日本では英語が通じると勘違いしてやって来たはずです。よほど特殊言語の地域に旅慣れた人でない限り、早々にコミュニケーション面で精神的にダメージを受けます。西洋人の場合は優越感があるのか言葉が通じなくても堂々とどこへでも行くし、日本人も西洋人には親切で、日本人にたかって暮らしているような人までいます。ところが相手がアジア人となると手のひらを返したように不親切です。皆が皆不法就労者や犯罪者でないにもかかわらず。

 彼女は私のアドバイスを守り怪しげなアジア人と間違われないためにカジュアルルックではありましたが、エルメスの時計に大きなダイヤモンドの指輪をつけて現れました。やはり言葉には閉口したのか「日本の高校では英語を教えないの?」高校どころか中学からやって高校までで6年勉強するのだと答えると「なんで英語話せないの?」

 彼女のカルチャー・ショックはどこまでも続きます。彼女は部下の女性と来日し、部下の姉の家に泊まっていました。この部下の姉は普通のインドネシア人ですが、ご主人はスエーデン人で日本に駐在中です。家は東京の高級住宅街にある月額50万円の借家で勤務先が借り上げたものです。察するに、そんな高価な家に住んでいるならお手伝いさんは何人もいるだろうという気安から彼女たちは宿泊する気になったのだろうと思います。ところがこの家の主婦は妊娠8ケ月で幼い男の子までいました。そして、ひとりで客人ふたりの世話までしなければなりません。知人の女性はお手伝いさん頼みの生活のため料理はおろか、洗濯機さえ使えません。

 電車の乗り換えと駅の階段の上り下りにもかなり閉口したようです。何せジャカルタでは運転手つきで通勤から外出までしているのですから。タクシーにのればこれも高い、泊まっている家まで渋谷や原宿からタクシーを使えば、現地の工場労働者の月収くらい払うはめになります。ホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差がない、むしろ職種によってはブルーカラーの方が高いという話にはまったく理解ができず、外国人労働者を研修生と称して驚くほどの低賃金で雇用する企業もあると言うとそれにも驚いていました。彼らの国では外国人というと企業経営者や外資系企業の駐在員、インドネシア企業にあっても技術指導者や管理職のイメージが強いからです。

 「収入も肩書きもなさそうな若い人がどうして高級ブランド品ばかり買えるの?」「お年寄りの1人暮らしってそんなに子どものいない人が多いの?どうして老人ホームに行かないの?」こういう外国人のシンプルな質問を私はいつもひとつひとつ重く受けとめては考えることにしています。はたして彼女はまた日本に来たいと思ってくれたでしょうか。

2002.06.13

河口容子

孫子に好かれたがる親たち

 南ジャカルタの高級住宅街にあるブティックを訪問した時のことです。店ごと原宿や青山へそのまま持ってきても遜色のないものですが、店内にリビングルームのような空間があり、高齢の男性が安楽椅子でうたた寝をしていました。この店は若い奥さんが経営をしているのですが、彼女も含め家族も笑顔でこの高齢の男性を気遣っていました。日本ではまず見られない光景です。商売のじゃまになるからと家の奥に寝かされていたり、皆忙しいのだからと病院に送り込まれるのが関の山です。

 日本では「孫に気に入ってもらう」ためのマニュアル本まで発行されたそうです。孫にお小遣いや高額のプレゼントをあげないと、つき合ってもらえない、いや自分はどうでもいいが、子どもの配偶者やその両親に対して肩身が狭いから仕方がない、という人までいます。私は祖父母と一緒に生まれた時から家族として生活して来ましたのでそういう祖父母―孫感覚というのはまったく理解できません。確かに祖父母は私を大変かわいがってくれましたが、彼らは私に気に入られようと思っていたわけではないし、家父長制の厳しい家でしたので、生活の基準すべてが祖父中心に組み立てられていました。

 ある企業経営者が言うには「会社を危機に陥れるのは下に好かれたがる管理職」。管理職は部下の指導育成という重要な仕事があります。時には部下に反発をくらうことがあっても社業の発展や部下の人間としての成長に必要なことなら鬼と思われても仕方がありません。それと同じように「国家を危機に陥れるのは孫子に好かれたがる親たち」だと思います。

 日本は想像もできなかった速さで高齢化社会に突入しています。確かに高齢者が急増すれば若い世代の負担は大きくなり、高齢者が遠慮せざるを得なくなる。数多いものは珍しくもないから関心も持ってもらえない、ということでしょうか。杖をついているようなお年寄りを目の前に立たせ、シルバーシートで寝たふりをしている若者はあたり前の光景になりました。病院に行けばお年寄りへの嫌がらせ、つまりわざと診察の順番を遅らせたり、年寄りだから治療や投薬はいらないと言われたり、が怖くて本当に具合が悪くても病院には行きたくないという声も多く耳にします。

 私の母は72歳です。政治、経済も含め普通の人よりは話題ははるかに豊富で若く見えますが、仕事と関係ない会食の場合、私の知人たちに母も一緒に行って良いかと聞くとたいてい上手に断られます。また、それ以後、私自身も二度と誘ってもらえない事もよくあります。それでも母が私に気兼ねをする必要などはまったくないと思っています。祖父は88歳で私の25歳の時に他界しました。高齢者のいる母子家庭では自由がききません。だから日本人の友達はできませんでした。そんな家庭環境の中で、いろいろ気遣ってくれるのは外国人の方がはるかに多いというのも情けない実情です。

 誰もがいつかは年を取ります。高齢化社会、それも高齢者が粗末にされる社会、これはひとつの国家的な不安材料となります。安心して長生きできるということは、その人の持つ経験や知恵が社会へと受け継がれるからです。またこの年代に偏在する富も上手に社会に還元され、良い循環を生むはずだからです。

2002.06.06

河口容子