[108]あの時のひとこと

 イチローがメジャー・リーグの記録を塗り替えたニュースにはわくわくしました。文字通り「世紀」の大記録です。何かの本で読んだ記憶がしますが、子どもの頃、毎日お父さんと練習する姿を見て、近所の主婦たちが「あんなに練習してもどうせプロなんかになれないのに。」と噂していたそうです。それを耳にして、イチローは「絶対プロになってやろう」と決意したそうです。どこにでもありそうなこの主婦たちの会話が今のイチローを作ったかも知れません。
 20年ほど前のことです。会社の後輩が忘年会の席でいつもの明るさをふりまきながらお酌をしてまわっていました。ある上司が「キーセン(妓生)みたいな事はやめなさい。」と言いました。彼女は激しく泣きました。下町っ子で面倒見がよく多少のきつい冗談にもお笑いで返す性格だっただけに、一同びっくりして座がしらけたほどです。数ケ月たって、彼女は結婚しました。新郎は在日韓国人だったのです。「知らないで冗談のつもりで言ってしまった。」と忘年会で彼女を泣かせてしまった上司は反省することしきりでしたが、忘年会の頃は日本人と結婚する予定だった彼女が、幼馴染の新郎との結婚を決意させたのもあの一言ではなかったかと私は思っています。またそういう心意気のある女性でした。事実、彼女のお色直しはチマチョゴリ(韓服)の正装でした。
 これもその頃の話ですが「中国語やロシア語といった特殊語学のできる女子社員が通訳として海外出張することはあっても、英語の通じる国にわざわざ女子社員が出張することは僕の在籍中にはないだろうね。」と 5歳ほど年上の男性の先輩に言われたことがありました。私はこの一言にひどく腹がたち、絶対出張してやろうと思いました。ただの会社員でしたから、頑張ったところで必ず行かしてもらえるものでもありませんが、 1-2年してチャンスは到来し、米国と英国に出張しました。先輩の一言で「やっぱりだめか」と思う性格であったならきっとチャンスはめぐって来なかったと今でも思います。

 やはり同じ頃、雑誌のインタビューに「20代は社内人脈づくり、30代は社外人脈づくり」と偉そうに答えました。当時30歳になったばかりで、その後年を重ねるごとにこの発言を思い出し「じゃあ40代は海外人脈と言わざるを得ず大変だ」と漠然と思っていました。心配するには及ばず、現在おつきあいしている海外の友人たちはほとんど40代で知り合った人たちです。そして会社の枠で行動するのは早めに卒業して、ライフワークとして自分の枠でありながらもっと広い視点で仕事ができないかと現在に至っています。
 カチンと来る一言は勇気や頑張りをもたらせるために神様がくれたものです。がっかりして終わってしまったら負けです。何気なく言った目標も完遂するように神様が思いつかせてくれたものかも知れません。他人からみれば何気ない一言も受け止める人によっては人生を変えたり、支える一言になっていることがあるものです。このエッセイを読んでいるうちに不思議なことに海外に関するビジネス情報がどんどん集まるようになったとおっしゃる方がいます。おそらくご自分が積極的に海外情報に目を向けるようになったためだと思います。
幼い頃、「物書きになりたい。」と言ったところ、「そのくらいの才能なら誰でも持っているし、運に恵まれないと自立はできないから、本業を持ちながら続ける方法を考えなさい。」と母に一蹴されました。幸い、会社員の頃も社内外で書くチャンスをたくさんいただきました。そして今も好き放題エッセイを書かせていただいておりますが、もう 5年目を迎えました。
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河口容子

サラリーマンのイチロー

  イチローの米国メジャー・リーグ行きが新聞の1面を飾りました。いよいよ、という感じです。オリックスのファン、パリーグのファンとしてはイチローがいなくなったらどうなるのだろうという一抹の不安?も覚えましたが、高年俸をすてても夢に挑戦したいという爽やかな野心と自信にうらやましい限りです。世は実力社会へ移りつつあるといいますが、サラリーマン社会も球界のようになるのでしょうか。

 シーズンが始まるとついつい選手の一覧表がついている専門誌を買ってしまったりします。それには推定年俸も出ているのですが、イチローのように何億円ももらえるスター・プレイヤーもいれば、何百万円の人もいます。つまり同じチームにいて経験も10数年しか違わない中で100倍も年俸差があることに加え、ルーキーがとんでもない高額の年俸をもらっていることもあります。一般企業なら新入社員から社長まで年俸は10-20倍の間、経験にすれば30-40年くらいの差のはずです。しかもいくら実力主義の会社でも新入社員が数年先輩の10倍というような年俸はもらえないでしょう。

 評価そのものは、野球なら防御率や打率、本塁打数などとありとあらゆる数字を駆使して能力をはかるものさしを作れますが、ホワイトカラーの場合は数字では計りきれない部分がかなりあります。また、同じ会社でも部署によってものさしを変える必要が出てくると配属の運不運や不公平感も出てきそうです。また、プロジェクト・チームのように組織で動いている場合はひとりひとりの評価を厳密にすることはむずかしそうです。

 次にドラフト制はあり得るのか。優秀な学生をいち早く確保する動きは昔からありました。ただ、終身雇用制の上での「長期にわたって間違いのない買い物」という観点とプロ野球の「即実践で使える」という観点とは少し違う気がします。学校で勉強した事がそっくり使える職種ならまだしも、「学業優秀な学生」イコール「できる社会人」とも言えません。ただ、今後はベンチャー的な動きをする学生もたくさん出てくるでしょうから、大企業や投資家からスカウトに行くというケースもあるかも知れません。

 フリー・エージェント制はどうか。何年か勤務して転職権を得る、というのも労働市場の柔軟性を生み出すためには良いと思います。企業側も個人も社会全体の仕組みの中で適材適所の配置が行える気がします。フリー・エージェント権を行使して自分の真価を世に問う、労働条件が良ければ堂々と転職できる、のがメリットでしょう。また、企業側も優秀な人をいかに上手に使うか考えるようになります。今は不要な人材を見つけていかに辞めさせるか考えることにウェイトが置かれがちで、これは不要にしてしまった企業側の責任があまりにも問われなさ過ぎる気がします。

 最後にイチローのように会社が転職先を見つけて契約金を会社の利益とする方法。その会社で身に付けたノウハウというのは今までは無体財産として持ち逃げというのがサラリーマン世界です。今後は個人が得たノウハウは個人のものか会社のものかという観点も出てくれば、特に自己都合で転職する場合、退職金は逆に個人が会社に払うという発想もあり得ます。

 「年功序列制の廃止」は企業のリストラにとっては好都合でした。人件費削減の効率が上がり、年齢というくくりはある意味では平等だからです。問題なのは、そのあとに来るという実力社会については論議がなされていない点です。プロ野球選手とサラリーマンを比較するのは極端だったかも知れませんが、さて、近い将来サラリーマン界のイチローは登場するのでしょうか。

2000.11.09