[132]反日運動と対中ビジネス

 中国で反日運動が激化しています。 3月 3日号の「皿回しの発想」で今年は日本と中国の関係を強めるにはタイミングが悪いと中国当局が私の香港のビジネスパートナーに耳打ちをしたと書いたのを覚えておられますか?この耳打ちのおかげで私たちは日本製品の取扱いを反日運動の様子をにらみながら調整してきたので何の被害もありませんでした。その頃、この当局の発言をある日本企業に伝えたところ、内容を重くみた経営者はこの時点で関係者 1万 2千人に注意を喚起しました。規模はともかく、 1ケ月以上も前にかかる事態を当局は予測していたということになります。
 経済発展の面だけクローズ・アップされがちな中国ですが、基本は共産党独裁でマスメディアはすべて統制されています。雑誌、印刷物すべて許可なしには配布すらできません。ですから、現地ではネットや口コミがガセネタも含め非常な力を発揮します。
 最近、中国の歴史教科書が日本のテレビなどでも随分紹介されるようになりましたが、社会主義国になって歴史が浅いだけに現代史が中心となり、それも愛国主義を植えつけるために日本に侵略された歴史を徹底的に教え込むという体制を20年もやってきました。マスメディアも統制され、最近まで外国へもなかなか自由に行けなかったわけで、中国人が教科書を信じこむのは無理もないと思います。一方、日本の歴史教育というのは、文化や社会の変遷を追うことに主眼が置かれ、政治的なこと、ましてや思想などは目的外です。双方の教科書の中味もさることながら歴史教育の意味そのものがまったく違う気がします。
 一連の反日運動による損害に関しては、日本の大企業については安全対策も取れるでしょうし、多少の損害もカバーできます。また、進出時からある程度のリスクは覚悟しているはずです。ところが、中国には中小企業、個人事業主レベルまで多々進出して行っています。反日運動が続けば、事業が立ち行かなくなる所も出てくるのではないでしょうか。一方、「バスに乗り遅れるな」とばかりに十分な準備や計画もなく中国ビジネスを考えていた企業にはいい勉強の機会になっていると思います。
 暴徒化するというのは中国にとって国際社会に大きなマイナス・イメージを与えます。事実、海外のメディアのほうが論調も厳しく、日中には歴史的にいろいろ問題はあるものの、反政府運動の矛先を日本に向けているというのも十分理解しているからです。日本のみならず先進国がこぞって投資を行い、多くの中国人が外資に雇用されている現状を考えれば、暴動を起こせばますます困るのは自分たちであることを中国も認識しなければいけません。北京オリンピックや上海万博という国際社会へのデビューも間近に控えているのですから。
 日本でも中国大使館をはじめ中国関連施設に悪質ないたずらが起きています。多くの中国人が日本で学んだり、仕事をしています。彼らが嫌がらせを受けたりしないことを心から願っています。低次元の応酬をしたところで何の解決にもなりません。日本人には理性ある行動をしてほしいものです。
先日陜西省(さんせいしょう)から投資と貿易のミッションが来日しました。もう反日運動も始まっていましたし、突然の来日で告知期間が短かったにもかかわらずセミナー会場のホテルには早朝から対中ビジネスに真剣に興味を示す日本人であふれかえりました。中国人は商売上手と言いますが、日本人のほうが粘り強さでは絶対負けないと確信しました。
河口容子
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ソルトレークで日本がわかる

 このエッセイを始めたころ、シドニー・オリンピックがありました。今度は冬のオリンピックがやって来ました。長引く不況に、増加する失業、疑惑がつのる政官そして一部の民の癒着とどこを向いても不安や怒りがこみあげる時代背景の中、ウインター・スポーツの祭典、ソルトレーク・オリンピックは一抹の清涼剤として誰もが明るい感動を期待していたはずです。ところが、ふたを開ければ、日本にとってみれば失望とオリンピックのあり方についても疑惑だけが残り、後味の悪いイベントとなりました。

 まず、長野のメダル10個が単なる偶然、あるいはホームでの有利さだけとしか思えない少なさ。私自身ははメダルの数にはこだわっていないものの、里谷選手、清水選手のふたりが長野の金を色を変えての受賞のみ。2回連続ということでこれはすばらしい記録ではありますが、次のエースに座を譲るというわけでもなく、「将来の組み立て」に苦心する日本の姿そのもののように見えました。

 マスコミのはしゃぎすぎ。彼らは日本選手の本当の実力を知っていたのでしょうか。「メダルが取れるかも知れない。」と大げさに騒ぎたて、当のご本人たちも「その気になった甘さ」があったのではないでしょうか。よく職場で見かける自信過剰の若者、いざやらせて見るとふだんその若者が軽蔑しているような簡単な仕事さえ、まともにできない、そこで今度は自信喪失に陥るといったシーンまでオーバーラップしました。私はそういう若者を見かけると親御さんが過保護だったのだな、と思います。

 あいつぐ審判の不祥事もありました。審判は公正忠実な仕事ぶりで大会を支える重要な役割をになっています。もともとフィギュアで芸術的な「印象」を点数に換算すること自体が無理で、容姿や衣装も影響するはずです。平たく言えば「好み」の世界、不公平は最初からわかっている気がします。技術力と芸術性のどこに線を引き、融合させるかが今後の課題です。また、ショートトラックでの日本や韓国選手に対する失格は欧米優位主義イコールアジア蔑視が見え見えでした。日本の経済力がもっと強かった次代ならこんな意地悪はされなかったのではないかともふと思いました。

 実は子どもの頃からずっと疑問に思っていたのはウインター・スポーツだけでどうしてオリンピックがあるのかということです。それでもいつの日か熱帯の国々も冬季オリンピックに現れるかも知れないと夢を持っていました。今の冬季オリンピックの種目はそもそも欧米のものです。しかも一定の気候条件が必要で用具も施設も必要です。日本は1億2000万の人口がいますが、この先進国でもそんな条件に恵まれた人がどれほどいるでしょうか。一方、夏のオリンピックは身体能力さえ優れていれば出場できる種目はいくつもあります。  国際大会が少なかった昔、確かにオリンピックは楽しみだったし、多くの人がスキーやスケートになじむきっかけともなったことでしょう。毎回テレビの放映権はつり上がってビジネスとしてのオリンピックになり、欧米だけでメダルを分けあって喜んでいるようなら今の南北問題、地球を一握りの北半球に住む人々が牛耳っている構図を再確認するだけのものとなってしまいそうです。

2002.03.21

河口容子