[350]マリンドゥクエに降りた神

先日、アセアン諸国の健康関連商品の展示会がありました。フィリピンのマリンドゥクエという島のハンドメイドの天然ココナッツ石鹸のブースに中年の日本人女性が立っておられ、島に石けんづくりを教えた人だと紹介されました。私は思わず「どうしてマリンドゥクエに行かれたのですか?」とたずねました。地図で見ればルソン島とミンドロ島の間にちょこんと丸っこくある島です。普通の日本人観光客はブームになればそこへ一極集中で行きますので、彼女とこの島はどんなご縁があるのか知りたかったのです。
「私は里親制度を利用して二人の養子に学費を送っていました。その子たちがこの島にいて手紙をもらったりするうちに会ってみたくなり行きました。最初はカルチャー・ショックだったけれどすごくいい島なのです。主人と定年退職したらここに住みたいね、なんて話していました。今はそこに家も建てたので、日本と行ったり来たりしています。島には石けんがなかったので、揚げ物の廃油を使って石けんを作ることを教えたのです。それは洗濯用ですけれど。」「島には本当に石けんがなかったのですか?」「ええ、皆棒で叩いて洗濯をしていました。この島はココナッツだらけだから、そのうち彼らが自分たちで会社を作ってココナッツ・オイルの高級石けんを作って売りだすことになったのです。だから私はビジネスには関与しておりません。ただ日本で展示会があるから代わりに行ってほしいと頼まれただけなのです」。
もしこの日本人女性が里親にならなかったら、この島を訪問しなかったら、彼女が石けんづくりを知らなかったら、いえもし知っていても教える気などなかったら、などと考えて行くと何という偶然の連鎖、しかも実に自然な流れに見えます。いよいよマリンドゥクエにも産業の息吹が感じられるようになり、まさに神が降りたとも思えました。この石けん会社の利益は島民に還元され、島おこしの重要な役割を担っているのだそうです。それにしても年商 500万円で従業員が40名も雇えるとは経営者にとって何と幸せな島なのでしょう。
私の胸に去来したのは
(1)打ち込める何かを見つける
(2)目標に向かって努力する
(3)じっと神の降りを待つ
(4)それでも神が降りなければ潔くあきらめる
これぞ起業や新規事業のポイントだという言葉です。夢やビジョンは持てども邪心は持たず、努力はすれども悪あがきはしない、これが私の美学のひとつでもあります。ですから最善の努力をして、後は「運は天に任せる」ことにしています。この激動の時代に一人企業を続けることは大海原にお椀の船で出ていく一寸法師のようなものですが、幸いにも大きな見えない手に守られているような気がします。もちろん照る日曇る日いろいろありますが、あまり不安に思ったこともなく、ごく自然に成長できたような気がします。
会社員の頃取引先の役員の方にこう言われた事があります。「あなたは善人だから商売人には向かない。」確かにその方は口八丁、手八丁、多少の嘘もついて世界を渡り歩いたやり手ビジネスマンでしたので、私の事を時には馬鹿正直でまどろっこしく感じておられたのかも知れません。ところが1年ほど経って「前任者の男性のほうが小才がきいてさすが商社マンと思っていたが、長い目で見るとあなたの方が本質を見抜いており、無駄のない判断をしている。その場を取り繕って気に入られようともせず勇気がある。ただし一般受けはしないから気をつけなさい。」と言われました。ほめられたのか注意されたのかよくわかりませんが、世渡りが非常に下手なタイプで損をするのは事実です。「運を天に任せきれる」のもこうした性格からかも知れません。

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河口容子

[324]インターナショナル・アジアン

香港のクライアント D氏が奥さんと一緒に東京にやって来ました。奥さんはバリバリのキャリアウーマンというご夫婦で年に 1-2回必ず日本にやって来ます。 D氏は滞在中の半日くらいを私とのミーティングに充てますが、その間奥さんは買い物ざんまいです。香港人としては珍しくおっとりと礼儀正しく、ビジネスの手際もあかぬけている D氏を支えているのはきっと奥さんの知性や行動力、理解と励ましに違いありません。
六本木ヒルズにあるホテルに泊まっている彼らを訪問した際のことです。駐車場からロビーへどう行くかわからずドアマンにたずねようとしたのですが日本語が出て来ません。どうやら頭はすっかり英語モードになっていたようです。しかたがないので英語でたずねました。ドアマンは私をアジア系の外国人と思ったのでしょう。丁重に10数メートル一緒に歩いて案内してくれました。
ロビーで待っていた D氏に「ああ恥ずかしい」とこの事を話すと「大丈夫ですよ。絶対日本人に見えませんから。」「じゃあ、どこの国の人に見えます?香港人?」「香港人じゃないなあ。インターナショナル・アジアン。」おかげでアジアのどこの国に行っても適当に同化して安全です。実家が貿易商であったため外国人と取引するのは当たり前、私の家には日本人と外国人を区別する習慣はありませんでした。そんな環境に加え、親族を見渡すと典型的なお雛様顔もあれば、アセアンっぽい顔、西洋人的な顔と種々雑多で、その遺伝子がまざっているとすればインターナショナル・アジアンに見えても不思議ではありません。
お土産マニアの D氏は香港で春節(中国の旧正月)に食べるというココナツ・ジュースの入ったババロア状のケーキを持って来てくれました。話の途中で咳が止まらなくなった D氏にマスクとトローチを買いに行き「はい、プレゼントです。」と渡すと「ケーキとの交換みたいだね。何かクリスマスみたい。いつもしゃべり過ぎてのどが痛くなるんだ。」と大笑い。
D氏は中国のこれから株式上場をしようとする中小企業のための総合コンサルタント会社を金融コンサルタントの友人と新たに作りました。なぜ上場予定の会社をターゲットにするかと言うとまず財務状況を把握でき支払能力をチェックできます。株式上場には不安要素を掘り起こし問題解決が必要です。コンサルタント費用を惜しむわけにはいきません。もちろん、日本からの技術支援、デザイン支援などはすべて私がコーディネートすることになっているらしく、頼んだ覚えもないのでまさに目パチクリです。どうやら昨年 9月の晋江でのデザイン支援がトライアルだったらしく、私自身も D氏のコンサルタント仲間にもすっかり気に入られてしまったようです。春には啓蒙のためのセミナーの講師にというお話までいただきました。
いただくお話に共感できれば損得はあまり関係なく徹底的に努力をするのが私のやり方です。その結果、いろいろな形で新しいお仕事が展開していきます。「自分探し」という言葉をよく耳にしますが、自分が自分についてわかるのは「好き嫌い」や「やる気があるかないか」だけで、潜在能力や使命については社会とのかかわりあいの中で他人が見つけ、育ててくれている、そんな気がする今日この頃です。
河口容子