[338]ゼネラリストというスペシャリスト

 先日アジアビジネス情報誌のインタビューを受けた際「国際ビジネスにおいて、日本人が抱える問題は?」という質問がありました。これについては分業化の弊害とお答えしました。確かに大量生産の現場では分業が効率的な場合もありますし、高度な専門技術や知識が必要とされる職場ではスペシャリストという形での分業にならざるを得ないのかも知れません。ところが今は何でも仕事を分業化し、人は人間らしさを失い、パーツ化しています。
 10数年前に米国系の日本法人が取引先だった頃の事です。人事はすべて米国の本社スタイルで、各人がジョブ・アサインメントの下に担当する業務が割当られていました。おまけに他人の仕事は上司の指示がない限り、決して手伝ってはいけないというルールでした。ですから電話をして本人が不在であれば同じ課の人が出てくれることもなく、同じ課内でも他の人がどんな仕事をしているかよくわからない、隣の席の人ともメールで連絡をするような有様でした。社内に検品後の不良品を処理する規程がなかったため倉庫に山ほど在庫が積み上がり、それをたまたま役員が目にし、大騒ぎになったという笑い話があるほどです。倉庫の担当者は不良品の報告をせよ、とは指示されていないので何もしなかったというわけです。
 実はこんな事がいずれ日本でも起こるに違いないと当時思ったのですが、バブル崩壊後の中高年社員の大量リストラにより、仕事と仕事の隙間を埋めたり、上下左右の調整弁が働かなくなり、昔では考えられないような事故が連発しています。どんな仕事であれ経験は大事だと思います。経験がなくては正しい判断ができないこともあるからです。特にリーマン・ショック以降はひとり一人が分業の枠にしがみつき、ミスをしない事だけに注意を払い、息をひそめているという感じです。これでは仕事を通じての人間形成などなされるはずもなく、「なるべく楽をして賃金をもらおう」というスタイルになり、個人はもちろんの事、会社、ひいては社会全体まで活力をなくしてしまいます。
 逆にアジアでは工芸品の職人がデザイナーであり、そのうち販売したくなり自分の会社を興し、貿易まで始めるというケースがたくさんあります。このようにスペシャリストが必然的にゼネラリストになっていくのは大変な努力を要すると思うのですが、「好きこそものの上手なれ」なのか「いくつも山を超えた自信」なのか実にパワフルかつおおらかです。
 2002年10月31日号「気がつけば華人社会の住人」で書いたように私の会社は華人たちのビジネス・スタイルからアイデアをいただいた「何でも自分でやる」方式。おかげで会社員の頃最も苦手だった経理も法人税務を自分でやることににより「税理士になれるかも」と思うほどです。
 現在は香港のクライアントの新会社にパートナーとして参加させていただき、いろいろと準備で忙しいのですが、私自身はお金を余分に儲けることよりも、すぐあきらめてしまう中国語の勉強のきっかけになれば良い、そして中国の最新の金融事情を学ぶことを期待しています。香港のクライアント D氏もその共同創立者の C氏も香港中文大学で MBAを取得、ニューヨーク大学にも留学した仲良しのようですが、複数の仕事をこなしながらの起業で実に働き者です。単にお金儲けというよりは自らの能力に賭ける、共に支え合いながらお互いの専門領域を広げていこうというその姿勢には今の疲弊した日本人が反省し、学ぶところが多いにあると思います。
河口容子
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