[336]桜に寄せて

 今年の東京の桜は開花宣言直後に寒気が居座り、満開までじれったいほど。こんなに長く桜を見ることができたのはここ何年かの間では記録的ではないかと思います。私の自宅は玉川上水跡の桜並木や善福寺公園にも近く、またご近所には庭内桜の古木から桜の花が滝のようにあふれ出ているお宅など、常に桜に囲まれた暮らしです。
 親子三代、 100歳近い方が車椅子で、お茶会の帰りなのか和服姿の女性たちと心なごむお花見風景があちこちで見られました。不況下での「安近短」なのかも知れませんが、自然とのふれあいが戻って来たのなら不況も悪いことばかりではないと思いました。
 2009年 3月26日号「サクラ」で触れた香港の D氏に桜の写真を何枚か送りました。「本当にグッド・タイミングです。 L先生ご夫婦に刺身をごちそうになって帰ったところなんです。あなたのおかげで素敵な 1日になりました。」と返事が来ました。お花見をしながら刺身でも食べた気分になったのでしょう。実はビジネス・パートナーの L氏の夫人が香港の高校で英語を教えていた時の教え子が D氏夫人というつながりです。
 日本のクライアントの女性社員からは桜に寄せて日頃の感謝とお礼をというはがきをいただきました。イタリア留学経験のある彼女ならではの小粋さかも知れません。お礼にオフィスの窓から見える桜の写真をお送りしたところ、さっそくPCの壁紙にしてくださったようです。「ふと手を休める時や考え事をする時に無意識の視線の先にこの自然があるとは何とぜいたくな。」と彼女。
 2009年 3月 5日号「春の別れ」で触れたベトナム大使館の S商務官の送別会を取引先と一緒に都内の日本庭園で行いました。夜桜を日本の思い出として持って帰ってほしかったからです。連休明けに帰国する S商務官は引き継ぎ、引っ越しの支度と忙しい中、休日には日本の春を惜しむかのように家族連れであちこち出かけているようです。
 この日驚いたのは S商務官の日本語力です。取引先の方に英語を話さない年配の男性がおられ、目上の人を大事にするベトナム人らしく、また私たちと親しいということもあってか、日本語でハノイの桜まつりの説明までしてくれました。今まで英語でしか話したことがなかったので損をした気分です。英語と仏語の得意な S商務官は日本に赴任後スクールに通ったそうですが、日本留学経験のある夫人に上のお子さんが幼稚園に通っていれば上達するのも当然。
 「このローストビーフおいしいですね。どこの肉だろう?」と取引先の I氏。すかさず「サガギュ(佐賀牛)」と S商務官。「参りました。」と日本人全員。
 「北朝鮮のミサイルはこわかった?」と S商務官が私に聞くので「いいえ。」「どうして?」「だって逃げる暇もないじゃありませんか。」取引先の T氏は「ベトナムって北朝鮮とは仲がいいんですか?社会主義国だから交流がありますよね。」「はい、ベトナム戦争の時は北朝鮮が支援してくれましたから友好国です。」「ベトナムって米国も中国もロシアも仲がいいんですよね。そういう国に北朝鮮問題を手伝ってもらえばいいのに。」と T氏。
 「商務参事官は 2度目の日本ですから Sさんもきっとまた日本に赴任されますよね。それまで私たち長生きして待ちましょう。」と私。取引先の方々は皆私より年上、一方、 S商務官は30代。一気に明るい笑顔が広がりました。眼下にはライトアップされた大きな夜桜。「ロマンティックですね。ここへは初めてです。本当にきれい。子どもたちは日本で生まれたのでベトナムに慣れるまで大変です。」
 春は桜、桜は春。今年もいろいろな思い出を作ってくれました。
河口容子
【関連記事】
[333]サクラ
[330]春の別れ

[330]春の別れ

 気候としての春は寒暖を繰り返しながら除々にやって来ますが、社会的には暦で仕切られた年度末で別れと出会いの交錯する季節が春です。
 先週号でベトナム投資セミナーの様子をお伝えしましたが、ちょうど私の席の前列に座っていたベトナム大使館の S商務官が振り返って「仕事のお話があるので来週お時間はありますか?」と私に聞きました。周囲の日本人が一斉に注目したので「はい」と短く答えると「それではのちほどメールをさしあげます。」 S商務官も大使館勤務が長いのでそろそろ帰国するのではと先日知人とその話をしたばかりです。
 S商務官は2006年と2007年のベトナムでのセミナーの日本側の窓口で、また東京でベトナム関連のセミナーをやらせていただいた時も大使館を代表してスピーチをしてくださいました。その他、アセアン諸国やベトナム関連の催しでも私の姿を見つけると母親に走り寄る子どものようにやって来ます。ご自分でも「完全主義」と言うくらい何事にも丁寧、迅速、正確に対応され、風貌は賢そうで物腰も上品ですが、どこか要領の悪いところも垣間見せ、その意外性に驚くこともありました。
 大邸宅を想わせる大使館へ行ったのは雨で寒い日でした。正門から前庭を通り階段を登って正面玄関にたどりつくのですが四季折々の植物の風情が楽しめます。ベトナム人にとって寒さがこたえるだろうと思い「今日は寒いですね。」と S商務官に言うと「雪になるかも知れないと予報で聞いていたので良かったですね。春は絶対来ますから大丈夫ですよ。」と逆に私を励ましてくれました。
 通してくれたのは「アサヒの間」。格子戸の外枠が赤に塗られ、ベトナムの伝統家具の置いてある応接間でした。「普通のお宅でもこのような伝統家具は使われていますか?」「はい。私はモダンな家具が好きですが、両親はこのような家具を使っていますよ。」そこでやっと S商務官は商業省へ帰任することを切りだし、以前からお願していた案件を現地でもフォローするので引き続きよろしくということでした。「ハノイへいらしたら絶対お電話くださいね。事前にメールでも知らせてくださるほうがいいですけれど。」ベトナム人はあまり見えすいたお世辞は言わないので本気なのでしょう。「ええ、もちろん。」
 先週号でもふれた製油所の話になり「あれは私のふるさとです。」「ズンクアットご出身でしたか?それはおめでとうございます。」「紆余曲折があり困難なプロジェクトです。それにしても、何であんな所に建てたのだろう?まあ、中部は貧しい所ですから産業が必要ですが。」「南部の油田から遠いからでしょう?でも中部なら物流面で真ん中だからいいじゃないですか。」ベトナムは南北に長い国で特に中部はくびれたウエストのように幅がありません。北のハノイ、南のホーチミンシティに比べ、中部は産業の発達が遅れており、教育がさかん、子どもを官僚にするのが出世の早道と聞いたことがあります。
 皇太子殿下のベトナム訪問、雅楽のルーツのひとつはベトナムにあること、アセアン10ケ国で最も親しみを感じるのは漢字を使っていたことや箸を使うことなど、 S商務官と出会ってから 3年半くらいになりますが、雑談をこんなにしたのが最初で最後になろうとは。「日本にはどのくらいいらっしゃいましたか?」「 4年半です。」「正直言って日本を離れたくないです。でも夫婦二人で日本に来たのに子供二人がこちらで生まれ四人で帰るなんてね。」「メイド・イン・ジャパンのお子さんたちですか?ベトナムのご両親たちには素敵なお土産ですね。あなた方ご一家は日本とベトナムの良い架け橋になれます。」大使館員は日本人に比べても特権階級。しかも日本で子どもが生まれれば病院設備からベビー用品まで至れり尽くせり、ベトナム庶民からしてみれば夢のまた夢。
 後任には2007年12月13日号「ハノイで味わう」に登場する貿易促進機関の若手職員 M氏が来るそうで、上司の H氏は大阪に着任するようです。ご両人ともにハノイで大変お世話になりました。私とベトナムのご縁もよほどのものです。 S商務官とはまだ寒い春の別れとなりましたが、 M氏や H氏と日本で再会する頃には本格的な春になっている事でしょう。
河口容子
【関連記事】
[329]今が狙い目のベトナム
[286]春の嵐と宿命
[267]ハノイで味わう
[247]一気に脚光を浴び始めた中部ベトナム