「過ぎたるは及ばざるが如し」と言いますが、ビジネスの場で「着る」ものはその場の空気を想像してジャスト・フィットしたものを準備しなければなりません。「過ぎたる」も「及ばざる」も恥をかく場合があります。男性はスーツがあればほぼオール・マイティなのに比べ、女性にとっては悩みの種です。
「過ぎたる」の例です。東京で香港貿易発展局の新年祝賀パーティをかねたセミナーに行った時の事です。出席者はほとんどがビジネス関係者で、女性はまばらでしたがビジネス・スーツ姿にアクセサリーをつけた人がほとんどでした。そこへ威風堂々と現れたのは花嫁が披露宴で着るような大きく裾の広がったロングドレスに華やかに髪を結いあげた中年女性でした。オペラ歌手か特別ゲストかと思いきや出番は一切なし。「デビ夫人みたいだね。」とある中年ビジネスマンは苦笑し、多くの出席者は彼女に好奇心と非難の混じった視線を投げかけていました。彼女は次第に自信を失い誰とも話すこともなく帰って行きました。どういう理由でそのようないでたちになったのかよくわかりませんがかなりの費用と時間をかけて大失敗した事は間違いありません。
「及ばざる」の例。ベトナムで商談会に立ち会った時のことです。日本から買い付けミッションでやって来た若い男性の二人連れはまるでバック・パッカーのような服装でした。政府機関主催の商談会ですからベトナム側は皆ビジネス・フォーマルで女性の中にはアオザイの正装で臨んだ人もいました。たぶん咎める目をしていたのでしょう。私をベトナム政府が招聘したセミナーの講師と知っている彼らは走り寄って来て「こんな格好で着てしまってすみませんでした。こんな立派な会とは想像もしていなかったので、いつも観光がてらに買い付けをするようなつもりで来てしまいました。」と謝りました。こんな時、男性は相手に対して失礼をしたという詫びが多く、女性には自分が恥ずかしいから照れ隠しに詫びる事が多い気がします。
TVの朝の経済番組を見た時です。コメンテーターとして女性の大学教授が出演していましたが、オレンジとも赤ともつかない悪趣味なスーツ姿に、知性の片鱗すら感じられませんでした。おとなしそうで古風な美人顔の先生にはもっと似会う服があったはずです。この番組の司会は若い女性アナウンサーで、ダークなスーツ姿もあれば夜会服のような姿で現れることもあり、自分の若さと美しさをひけらかすかのようです。先生が負けたくない、と思う気持ちは同じ女性として理解はできるものの、自分の与えられた役割や自分の強みである経験や知性をアピールするという観点から考えれば、マイナス効果どころか、女性アナウンサーとファッション対決をしようというあさましさまで垣間見えた服選びでした。
実は先日アジアビジネス情報誌から取材の依頼を受け、写真を撮っていただくことになり、めったにない話ですので空気を想像するのに苦労しました。 5月号ということで新年度のあらたまった感じを出すために選んだのはミッドナイトブルー(留紺)の無地ジャケット。一見黒にしか見えない紺色です。中にはオフホワイトの総レースの襟なしブラウス。 5月の新緑をイメージし、翡翠グリーン系の 5連の細いネックレス。 1連ずつデザインや素材が異なるものです。この辺に少しだけ流行を取り入れ、リクルートスーツとは少し違う着こなしにしてみました。大好きなイヤリングはあえて封印。老若男女の読者から見て、派手でもやぼったくもならず、国際ビジネスコンサルタントのイメージと一致するものではないか、という計算です。全部手持ちの長く使っているものばかりです。着なじんでいるもののほうが着る人との一体感があるからです。こういう時にはデパートを走り回って少しでも自分を良く見せようと必死に新しい洋服を探す人がほとんどでしょうが、そういうのが気恥ずかしくもあり、面倒くさい私の苦肉の策がこの結果となりました。
河口容子
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香港向けの新しい案件のコラボを小中学校の同級生 F氏にお願いしました。初めて出会ってから半世紀近くの時を超えて一緒に仕事ができるとは不思議なめぐり合わせと思われるかも知れませんが、私の同級生たちは社会人になっても一緒に仕事をするケースが結構あります。 F氏が最近好きな言葉は某全国紙で評論家が書いていた「可愛げにまさる長所はない」というものです。そして可愛げは天性のもので、乏しい人は「律儀」を目指せば良い、律儀なら努力で身につけられる、との事です。
いつの間にか「可愛げがある人」「律儀な人」という表現は死語に近いような日本になってしまいました。「可愛げ」とはルックスやしぐさがかわいいというのではなく性格や心がけを指して言うもので、通常同等か目下を評して言うのではないかと思います。確かにルックスもマナーも能力も完璧であっても可愛げがない人なら魅力はないし、多少のミスや欠点があろうとも可愛げがある人は見捨てられない気がします。
そんな矢先にニュージーランドに住む中国系インドネシア人の B氏から久しぶりにメールを受け取りました。(同氏については過去のエッセイで何度かふれております。下の[関連記事]をご覧ください。)東京の株価が急落した報道を受け、「たくさん株式を保有していないといいけれど。」と心配してくれたようです。 B氏と知り合ったのは1995年で私はまだ会社員、彼はジャカルタにある取引先の役員でした。能力、ルックス、マナーと三拍子そろっているものの、やはり可愛げが圧倒的にまさっています。
彼は複雑な家庭環境に育ったので「気を見るに敏」です。要は相手の気持ちを察する能力が人並みはずれてすぐれているのです。ジャカルタで私が落ち込んでいたり、ちょっと疲れていたりすると、気分転換ができるような素敵なレストランやショッピングへ黙って連れて行ってくれます。お互いに仕事で忙しくて会えなくても何時に起きたか、何時に寝たか、何を食べたか、どこへ行ったか、元気かとうるさいほどにホテルに電話をくれます。「私は子どもじゃないから大丈夫」と冗談で怒った事もあります。そんなに気を使われては倒れてしまうのではないかと心配したからです。それでも「永遠の友達って約束したでしょう?僕は友達をずっと大切にする主義なんだ。」とあくまで律儀さを譲りません。
そして感謝の心を忘れないのも彼の美徳です。何年前の事だろうとよく覚えていて「あの時はありがとう」と誰かれなく言っています。そしてどんなに遠く離れていてもいつも気遣ってくれている、そんな暖かさに包まれた気持ちにさせてくれる、これが彼の「可愛げ」の原点だと思います。
香港のビジネス・パートナーの兄弟、投資家と弁護士という理論家であり社会的地位も高い彼らが、私に時には弱音を吐いたり、八当たりしたりをするのも心を許しているからであり、忙しいにもかかわらず身辺で起きたことなどをメールで教えてくれるのも「可愛げ」があると言えましょう。
晋江に一緒に行った香港のクライアントの D氏は滞在中ありとあらゆる知人に私のことを「日本の親友」として紹介してまわってくれました。彼は夜中までよく会議をしていたので睡眠不足で疲労困憊にもかかわらずです。 D氏ほど即メールに返事をくれる人を見たことがありません。少しでも返事が遅れると「申し訳ない。」とか「すぐ返事を出せなかった自分が情けなくなる。」というような一言が必ず書いてあります。常に相手を思いやる D氏もなかなか「可愛げのある」人と感じています。
マナー本やマナーのコラムがブームですが、確かにマナーをわきまえている事は大人として必要であるものの、いくら形式を整えたところで中味がなければ仕方がない、ぜひマナー本でも「可愛いげ」や「律儀さ」について教えてほしいと思う今日この頃です。
河口容子
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