[265]すべてはこの日のために

 ベトナムのハノイでの講演を終え、日本に戻って来ました。 5月に胆嚢の摘出手術をしてから初めての海外出張です。脂肪分摂取のコントロールと時々おこす胆石発作からは解放されたものの、小さいとはいえひとつの臓器がなくなるということは想像以上に問題がありました。消化が追いつかずすぐおなかをこわしてしまう、疲れやすい、胸にぽっかりと穴があいたような喪失感、 8月は猛暑のというのに 1月も風邪が治らず胸膜痛と戦わねばなりませんでした。 1食分を 1日でやっと食べられるかどうかという食欲の低下、人間というのは不思議なもので食べられないとうつ状態になって来るというのを初めて経験しました。
 そのような中、ひとつの目標はベトナムでの講演でした。 1年前にお約束した仕事ですし、楽しみに待っていてくださる方々の顔を一人一人思い浮かべるとどんな事があっても行かなければならないと思いました。こんな体では行けないと寝る前に 20-30分間エクササイズを始め、たとえ夜中の 2時でも 3時でも毎日続けました。おかげで10月の終わりの術後 6ケ月検診では非常に良い検査数値が並びました。術後 2週間の検査では数値がめちゃくちゃで主治医もかなり心配したくらいですから、私のベトナムへ行きたいという熱意が神様に届いたのかも知れません。
 上記のような経緯があっただけに11月初旬ベトナム大使館でのリハーサルの前日には涙がこぼれそうでした。よくここまで回復したものです。私は2005年、2006年とベトナムの政府機関の招聘で手工芸業者のためのセミナーとコンサルティングを行なっています。私が日本市場向けのマーケティングや日本の商習慣などを担当し、もう 1人工業デザイナーの先生がデザイン面での指導を行なうというプログラムになっています。今年は新規に日本から買い付けミッションも出すことにしました。ベトナムの政府機関主催のセミナーで日本人が講演を行うのはまだ年間10名以下との事ですので私としては 3年連続で大変名誉な事と感じてもいます。
 初年度は日本のデザイン関係の財団法人がベトナム大使館との窓口業務をやってくださいましたが、昨年からは私がベトナム側と折衝、工業デザイナーの方へのお願いと現地でのアテンドとひとり何役もこなさなければなりません。おかげで出発前にはよく夢でうなされます。会社員の頃から夢でうなされるほどの仕事は必ず成功するのです。今年もこわい夢を見たし、準備も万端なので絶対大成功との確信を持って日本を後にしました。
 成田18時10分発ハノイ行き。久々の夜間飛行です。飛行機は大阪、広島、福岡、上海、広東省の上空を飛びハノイのノイバイ空港に到着します。時差が 2時間ありますので到着したのは現地時間で22時25分。政府機関の若い運転手さんが出迎えてくれました。昨年もお世話になったので互いに顔を覚えており遠くから手を振りあいました。 1年ぶりですが、なんと彼はすらすら英語が話せるようになっているではありませんか。
 ノイバイからハノイ市内へは約30km。以前は夜中にトラックやバイクがこんなにたくさん走ってはいませんでした。経済成長はうれしいけれど静かなハノイが好きだったので寂しい気持ちもしました。車はリートゥオンキエット通りにあるホテルへ。大使館の多いこの周辺はさすがに車や人通りはまばらです。いよいよ翌日はセミナーです。
河口容子
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[254]在日ベトナム人の目

 2007年 8月30日号に出てくるベトナム人キャリアウーマン Nさんの今回の日本出張は長く、東京―千葉―大阪―東京と暑い中を男性の部下を連れての八面六臂の活躍でした。最後の東京でギフトショーに行くというので、会場で待ち合わせて一緒にお昼を食べることにしました。今度は私がごちそうする番だと言うと、「日本に住んでいるベトナム人女性も一緒に行くのでいいでしょうか?彼女は元ベトナム大使館の商務参事官の奥さんで、いろいろお世話になっています。」と彼女。どなたかしら?と思って待ち合わせ場所に行くと、ハノイ市駐日代表部代表の Vさんでした。顔なじみです。世の中は狭いと言うべきか、日越関係に係る層がまだ薄いと言うべきか。
  Vさんは 4年日本に住んでおり、お子さんも日本の学校に通っています。もちろん日本語にもまったく不自由しません。彼女に日本についてどう思うかたずねてみました。まず、日本人は礼儀正しすぎるのか、形式主義におちいりがち。「すみません、すみません、と言う割には笑っていてちっとも悪いと思っていない。」「ありがとう、と何度も言うがただの形式に過ぎないのではないかと思うことがある。」と鋭い指摘です。確かにこの手の口先三寸、心のないビジネスパースンは日本には山ほどおり、おまけに口の巧さを自負しているふしもあったりで、もともと歯の浮くようなお世辞は言えず、駆け引きの嫌いな私は怒り炸裂することもしばしばです。
彼女は続けます。「ベトナム人は大袈裟にありがとうと言わないけれどここぞと思う時はきちんとお返しをします。」確かによく「相手があなただからやってあげるのであって、他の人ならしない。」と言うせりふを耳にしますが、私はそんな事を言う人は信用できません。本当にそうならそれは口にせずとも当人どうしが十分わかっているからです。 Nさんも知り合って 3年目ですが、まさにそういう仲です。
Vさん、次は食物について。「日本は何でも冷凍だから料理を作ってもおいしくないです。ベトナムではみんな生だからおいしいです。」確かに肉でも魚でも冷凍保存したのを解凍して売っているケースは珍しくありません。消化器系統の弱い私は食べ物に非常に敏感です。実は外食をした場合、アセアン諸国より日本のほうが具合が悪くなる確率が高いのです。おそらく、保存料や化学調味料、使い古した油のせいだと私は思っています。
 最後にお決まりの質問「なぜ日本人はメイドを雇わないの?ベトナムならちょっとした家ならメイドを雇うので奥さんはすることがないから仕事に行きます。」これぞ香港やアセアン諸国で耳にタコができるほど聞かされる質問です。人件費が高い、メイドのなり手が少ない、という理由は皆知っています。私が思うに戦後の日本では皆平等となり、個人に雇用されるのは上下関係がつくようでプライドが許さないから報酬が高くてもなり手が少ないのだと思います。また、 Vさんの言うように日本は形式主義で人間関係もホンネとタテマエは違う。一見、仲良さそうでも、陰では悪口を言われたり、足を引っ張られたりしています。あるいはおとなしくて礼儀正しい人が殺人犯だったりします。最近は家族内でも危険なのに他人まで入れたらどうなるのかという不安もあります。
 「ベトナムも発展するのはいいことだけれど、何か毎日追い立てられているようで落ち着きません。不便でも昔ののんびりした社会を懐かしく思うことがあります。」得るものがあれば失うものがあるのは世の常ですが、日本は失ったものが多すぎて思い出しもできないような状態なのではないかとふと思いました。
河口容子
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