[318]ミャンマーへ関心を寄せる日本人

皆様はミャンマーというとどんな印象をお持ちでしょうか。映画化された竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の舞台、軍事政権によるアウンサンスーチー女史の軟禁、最近では2007年の反政府デモのさなかジャーナリストの長井健司さんが射殺された所、くらいの情報しかないのではないでしょうか。
ミャンマーは旧国名をビルマといい、東南アジア諸国では一番西に位置しています。隣国は西から時計回りにバングラデシュ、インド、中国、ラオス、タイで、面積は約67万平方キロ、日本の約 1.8倍です。人口は 5,800万人弱。イギリスの統治時代は東南アジアの大国で、米の世界最大の輸出国、チークなどの木材、産油国でもありました。また、「ピジョン・ブラッド」と呼ばれる希少価値の高いルビーの産地でもあります。1988年に社会主義の計画経済を放棄し自由市場経済体制に転換しましたが、天然資源開発は自然破壊につながり、強制労働や強制移住が人権侵害とされ、米国やEUから経済制裁を受けています。
そんなミャンマーから外務省の副大臣以下のミッションが来日、都内の一流ホテルで投資セミナーが開かれました。「100年に一度の世界同時不況」などと言われている中、定員 200名を越す応募者があったとか。これには意外な驚きでした。チャイナ・プラス・ワンとして東南アジアで最も安定していると言われきたタイも2006年にはクーデター、最近は反政府運動者らによる空港占拠事件がおこりました。優等生と思われたべトナムも経済危機から脱出しようという矢先に世界同時不況がやって来、中国に並ぶ大国の新興国インドも同時テロとあっては、これから海外進出、あるいは次の進出先を考えている企業は一斉に見直しをかけているのだろうと感じました。
2008年10月31日時点でのミャンマーへの国別投資認可件数では日本は13位。お隣タイがダントツの 1位です。日本からまだまだ遠い国なのかも知れませんが、タイ、シンガポール、香港などの現地法人から出資すれば日本の統計には入らないので実態はもっと上かも知れません。その実、ミャンマーに支店を置く企業も入れれば 140社日系企業が進出しているそうです。
進出企業の事例発表がありましたが、縫製業でミャンマーの工業団地で1000人規模の工場を展開しています。同社は1980年代に韓国や中国で委託生産を始め、1990年に中国に工場を設立、1999年には国内工場を閉鎖しています。ベトナムは人件費がすぐ上がると見て通り越してミャンマーへ行ったそうですが、同時にフィリピン、バングラデシュでも工場を立ち上げており、縫製業の国際化つまり日本の空洞化を見せつけられた思いがします。同社内の比較では、「中国の半分の生産性、 3分の 1の賃金」とのこと。船で片道15日という距離は短納期の商品には適さず、輸出、輸入の申請はすべて首都のネピードへ行かねばならず、最大都市のヤンゴン(旧ラングーン)から車で7時間、輸入許可に5日間、輸出許可に4日間かかるそうです。気の短い私は聞いただけでもノイローゼになりそうですが、教育費が安いため教育水準が高く、従順、温厚で親日感情が強い国民性には惹かれるものがあります。
個人的には多くの仏教遺跡に関心を持ちました。特に11-13 世紀にミャンマー最初の王朝があった古都パガンのパゴダや寺院は2000以上、インドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコールワットと並ぶ世界三大仏教遺跡だそうで、ぜひ見てみたい風景のひとつになりました。

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河口容子

[311]危機を克服するベトナムと新しいハノイ

 先日ハノイ市への投資セミナーが開催され、在日ベトナム大使の講演がありました。2008年 7月 3日「ベトナムを襲う経済不安」で触れたように急成長と世界的な原料高により異様なインフレが進み、通貨、株式、不動産の急落とアジア通貨危機の再来の懸念さえありました。
 大使の講演では政府のとった方策として
(1)金融の引き締め(政策金利の引き上げ、預金準備率の引き上げ)
(2)財政支出10%削減(公共事業の縮小、凍結、延期、歳出削減)
(3)生産、輸出の促進(輸出税の引き下げ)
(4)輸入の管理
(5)物価の安定(生活必需品と公共料金の据え置き)
(6)証券市場の安定(違法行為の取り締まり)
(7)福祉の確保(特に弱者への支援)
(8)情報公開による国民の信頼確保
を説明されました。ベトナムのトップの方には詳細かつ率直なお話をされる方が多く、つい親近感を覚え思わずエールを送りたくなります。これらの政策が功を奏し、 IMF、世銀、アジア開銀などは経済危機ではない、政策の効果も出てきていると評価をしています。
 私自身が感じるのは、ベトナムは産油国でありながら製油所がなく(シンガポールで精製)従って石化プラントもない、製鉄所もありません。よって産業の基盤となる素材はすべて輸入に依存せねばなりません。原料高の直撃を受け、貿易赤字も膨らむという構造になっています。それでも 7パーセント台の経済成長を維持し続けた、海外からの投資が増え続けたというのは、周辺諸国に比べ政治の安定性、地政学的な優位性、国民性に優れているからとしか言いようがありません。また、チャイナ・リスクのおかげもあります。発展途上国にインフレはつきものですし、急成長すれば必ず途中で修正局面はあり、中長期的に見れば問題はないと私は考えています。目先の損得だけで動く人はそれだけリスクも大きい、これは当然のことです。
 大使によれば「日本は敗戦で焼け野原になったが50年で世界第 2位の経済大国になった。これは人材育成に力を入れたからである。ベトナムも人材育成に力を入れたい。」とおっしゃいました。在日ベトナム人留学生 3,000人。研修生、実習生として日本で働くベトナム人 1万 7千人。このセミナーでも隣に座ったのが日本で働くベトナム人男性。男性の場合はスーツを着ると日本人となかなか見分けのつかない方が多く、女性の場合はメイクのしかたや服の着方が違うのか案外すぐ見分けがつくのが不思議です。
  8月にはハノイが隣のハテイ省などを併合し新しい大きなハノイ市となりました。その面積は3,346km2で東京都の約 1.6倍、世界で17位の都市に生まれ変わりました。 GDP成長率は何と12%です。2010年の「ハノイ遷都1000年」を前にこじんまりとした政治の街から南のホーチミン市に匹敵する大都市としての体裁を整えようということでしょう。百人一首で有名な奈良時代の唐の留学生である阿倍仲麻呂がハノイに任官していたのは 760-767年だそうでハノイが遷都される前ということになります。古都であり、旧宗主国フランスや共産主義の先生である旧ソ連といったヨーロッパの香りもする小さな都市ハノイが好きでした。また、私の初めての講演はハテイ省で行いましたので心情的にはハノイもハテイもそのままであってほしいという気持ちが強いのですが、こんな個々人のちっぽけな感傷を飲みこみながらどんどん拡大していくのが今のベトナムのようです。

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河口容子
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