ベトナムのホーチミン市とその郊外のビンズオン省にクライアントと一緒に行って来ました。私の出張の準備はまず留守中母が買い物に行かなくてすむように食材をはじめ消耗品を買い整えることから始まります。出張のスケジュールの組み立て、航空券やホテルの予約、客先とのアポイント取り、これはもちろん私の仕事です。
今回の心配な点は同行するクライアントの担当者が3月に骨盤を骨折し松葉杖が必要なことです。いくら旅慣れている方とはいえ、ベトナムは初めてです。「あの時行かなければ良かった。」などと後々まで悔やまれる事態に陥っては私としても大変申し訳ないことです。突然思いついたのは、松葉杖は長尺物ですし武器にもなり得るので機内持ち込みの事前申請がいるのではないかということです。案の定、旅行代理店も「よくぞ、聞いてくださった。」という感じでした。ご本人も念のため医師の診断書を用意されましたし、この事前申請のおかげでチェックインもスムーズでしたし、ベトナムでは優先搭乗までさせてもらえました。
今回行ったのは韓国系のぬいぐるみ工場の J社と P社です。クライアントはぬいぐるみを扱っているわけではありませんが、ぬいぐるみの技術が必要な製品群です。中国で数社提携工場を持っていますが、コストの上昇や一極集中を避けてベトナムでの生産を考えているのです。 J社というのは2008年 3月13日号「続 夢を紡ぐ人たち」に出てくる韓国人女性の工場です。直前にお母様が危篤でソウルに帰国されたのでしばらく会えないと思っていましたが、元気にホーチミンシティのホテルまで出迎えてくれました。彼女は毎月10日ほどをベトナムで過ごしますが、ご主人は大手日本企業に勤務する韓国人で出張が多く、中学生のお嬢さんも札幌の名門ミッションスクールに通っているので家族ばらばらです。家族内のコミュニケーションだけでも大変なのに、従業員のひとりひとりに声をかけ、きちんとお昼の給食を食べているかチェックする愛情深さには彼女の偉大さを感じました。
聞けば、ホーチミン周辺に韓国系のぬいぐるみ工場は 7-8社あり、皆仲が良くお互いに下請けをしあっているそうです。これが韓国の中小企業が続々とベトナムに単独で進出できるひとつの理由でしょう。彼女のように定住せず、ベトナムに定期的に通いながら仕事をするケースも含めると10数万人の韓国人がベトナムにいるそうです。
J社が設立後 1年も経過していないせいか、近代的な設備を持っているのに比べ、 P社は型紙作りの得意な韓国人社長が家族で定住して設立した工場。アセアンに良く見られる中小の工場でアットホームな雰囲気です。ぬいぐるみ製造そのものは衰退産業です。世界的に子どもはゲーム機などのおもちゃに流れ、ぬいぐるみの太宗はプロモーション・グッズとしての需要です。プロモーション・グッズのビジネスは大量受注は見込めるものの納期が短く、価格も厳しい。工場にとってはかなり辛くて競争も激しいビジネスです。日本では特殊なものを除いては絶滅したといってもよい産業です。だのになぜ韓国人は海外へ出て行ってまでその仕事を続けるのでしょうか。両社ともに韓国にもはや本社はありません。完全に国際化しています。彼らがいるからこそ高品質の商品を作ってもらえるので有難いことですが、日本人の国際化の遅れを感じざるを得ませんでした。
商談も順調にすすみ、 J社には韓国料理、 P社にはベトナム料理をごちそうになりました。 J社の韓国人男性スタッフは乾杯のあと横を向いてビールのジョッキを飲み干した(韓国では目上の前では面と向かってお酒は飲まないのが礼儀)ので「今時の若い方はもう横を向いて飲まないと聞いたことがありますが」と言うと女性社長は「彼は躾がいい人ですよ。」そういえば初対面の挨拶でも右手首に左手をきちんと添えていたし、スモーカーなのに私たちの前では絶対吸いませんでした。こういう若い人のマナーの良さはビジネス面では特にすがすがしく好印象を与えるものです。
P社の Sさんが「ベトナムにはワニの料理がありますけれど」と言うので「ワニの肉なんて食べたくありません。ワニならハンドバックのほうが好きです。」と答えると皆さん大笑い。ベトナム女性管理職の Dさんがメニュー選びから食べ方までを伝授してくれましたが、 Sさんは香草が苦手。英語と韓国語を操りながらコリアンダーをお皿から箸でつまみ出すのに大忙しでした。
会社員時代はなぜか韓国とはあまりご縁がありませんでしたが、これで私の2006年9月7日号「トインビーの予測」の世界の一員になれた気分です。
河口容子
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[282]日越ビジネスフォーラムにて
ここ 2-3年、ベトナムに関するセミナーは満員御礼どころか、だいたいは抽選で当たれば聴講できるのが普通です。先日はグエン・フー・チョン国会議長が70名のミッションを率いて来日、日越ビジネスフォーラムに運良く出席することができました。出席の盛大な拍手(出席していたベトナム人は全員起立)の中現れたチョン議長は白髪で小柄、やさしげで品の良い方でした。私自身、ベトナムに行くたびに感じるのは組織のトップの方にはやさしくて品の良い方が多い事です。有能かつ人格的にもすぐれた人がトップになるのは当然と思うものの、日本ではそういう基本的なことは忘れ去られているような気もします。
チョン議長がスピーチの中で日本との長い交流の歴史を強調されていましたが、2008年3 月13号「続 夢を紡ぐ人たち」の最後で触れたように65年前の日本もベトナム進出にわきました。当時の新聞によると大資本輸出入業者は近代的産業(造船、精米、木材、採油、化学合成、倉庫業など)へ、中級輸出入業者は開拓、綿花や麻の栽培へ、中小輸出入業者は続々と小売部門に参入とあります。ある企業はベトナム人経営のレコード会社に対し資本、技術面で参加し南方における唯一のレコード製造基地を確保したとも書かれています。日本の敗戦、ベトナム戦争とともに潰えた繁栄の復活を願う気持ちがきっと日越双方の人々に脈々と受け継がれているに違いありません。
日本からの投資額は順調に伸びています。ところが他のアジア諸国からの投資が急増、1988年からの累積投資許可額では韓国、シンガポール、台湾に次いで日本が 4位となり、投資実行額では日本が 1位、つまり実効率の高い優等生としての面子をかろうじて保っているという按配です。
たとえば在留邦人の数は 4,700名あまりなのに対し、在留韓国人は34,000人です。私自身、ベトナムの韓国系メーカーといくつもコンタクトをしていますが、中小企業でも勇猛果敢に単独で進出しています。日本の中小企業にあっては今までそこまで貪欲にならなくてすんだ「幸福」が転じて国際化が遅れた「不幸」をかみしめている気もします。
ベトナムは日本を唯一の「戦略的パートナー」と公言している以上、日本への期待も大きく、欧米とは違う視点でのリーダーシップ、つまりアジア文化と先進工業技術の共存、 ODAによるインフラ整備・制度支援、民間企業による資金・技術・経営ノウハウ、人材育成、日本市場の解放を求めています。日本国内は問題山積で大きな期待にへこたれ気味ですが、ベトナムは2006年にはズン首相、2007年にはチェット国家主席、今年はチョン国会議長と大物を日本送り続けています。さすが米国と中国の両大国を追い返しただけの粘り強さと戦略的頭脳です。
実はこの日、私が会場に着いたのは開会直前でほとんど席がありませんでした。やっと見つけた席の隣の若い女性に「この席は空いていますか?」とたずねたところ愛想良く「はい、空いています。どうぞ。」と答えてくれました。プレゼンテーションを聞いている最中やおら彼女は携帯電話と PDAを書類カバンから取り出し、左手に携帯、右手に PDAを持って同時に操り始めました。「ひょっとして日本人ではないのかしら。」と思ったのですが、先ほどの日本語の対応といい、メイクや服装といいまったく違和感はありません。そのうち隣の初老の男性との会話がもれ聞こえて来ました。彼女は日本で働くベトナム女性だったのです。その日本語の巧みなこと。となれば同じ列のラップトップPCをひざにのせてせかせかと打っていた女性もベトナム人だったのでしょう。ベトナム人は昭和30年代の日本人の気質と似ていると言われています。若い世代が圧倒的に多い人口比率のうえに、しかも理系の能力が高く、 ABU大学ロボットコンテストでは 6回中 3回優勝(日本は 1回のみ)、数学オリンピックも上位の常連です。彼らは少子高齢化、子どもたちの理科離れの進む日本を救ってくれるかも知れません。
河口容子