[280]続 夢を紡ぐ人たち

 「誠実」で「努力」する人を私は好きです。そして夢の実現を目指して日々精進する姿と出会うのは何よりもうれしい事で、思わず応援したくなります。
 先日お会いしたのは韓国人女性で日本に住んでもう 6年、日本市場向けの販促グッズの仕事を始めて14年になると言います。日本の顧客から注文を取り、中国の工場で作ってもらい、上海や青島周辺の工場は知り尽くしています。次はベトナムと出資者を募りベトナムに工場を作り、社長になりました。ベトナムに工場を作ったのはもちろんビジネスのための必然性ではありますが、「自分の工場を作るのが夢だった」そうです。ベトナムとものづくりが大好きな彼女は毎月10日ほどベトナムに滞在します。自分の思いを従業員に理解してもらってから定着率が上がったらしく、旧正月で郷里へ帰った従業員が友達を連れて帰って来てくれた事に目を細めて喜んでいました。成長著しいベトナムでは労働条件が少しでも良いほうへ人はどんどん流れていくのです。「今は大変だけれど、早く利益をたくさん出してあの子たちと楽しい思い出をたくさん作りたい。」女性経営者ならではのやさしさ、夢をふくらませていこうとする力強さに感動しました。
 香港のビジネスパートナーの会社に日本人男性がいます。板前さんですが、自分の店を持とうと香港に渡りましたが、仕入が難しいことがわかりビジネスパートナーの所有する日本食材の輸入会社に就職しました。まずは仕入ルートの勉強をと思ったようです。「毎日調理をしないと技術を忘れるようで不安ではありませんか」と私が聞くと「それは感じますが、トレンドは取引の中で見ているだけでもわかります。それに今やっている仕事はすべて調理すること、店を持つことにつながっているのですから、まずはマスターしないと。」と一生懸命貿易実務も勉強しています。本当に夢を持つ人のエネルギーは計り知れないものがあります。
 私の祖父は貿易商でした。敗戦までは中国から中東にいたるまで42ケ所に営業所を持っていました。天津の店の資産は当時の東京都の予算よりも大きい金額だったと言います。この話を香港のビジネスパートナーに昔話として教えたところ「何か証明できるものがある?政府筋に親しい人がいるから話してあげるよ。今の人民政府は証明さえできればちゃんと返してくれから。」「いいのです。私が儲けたお金ではありませんし、祖父たちは当時裕福に暮らせたのですから。中国の方々が有効に使ってくれたらと思っています。」「そう、それはありがとう。」香港のビジネスパートナーとの出会いと中国ビジネスは亡くなった祖父が導いてくれたもの、あるいは私の中の DNAが目覚めたとしか思えませんでした。その頃から「日本とアジアの中小企業の国際化」が明確な仕事のテーマとなり、「クライアントの夢」が「私の夢」と重なるよう努力をしてきたつもりです。
 祖父の会社は敗戦と同時にすべての海外事業所を失います。もともと国内の商売のウェイトが低かったために私が中学に行く頃倒産してしまいます。もう当時の栄華を知る人もこの世にはほとんどいませんが、私は運命的に祖父のたどった道、アセアン諸国へと足を踏み入れることになります。先日、昭和18年 4月 7日付けの大阪朝日新聞「仏印進出の日本商権」という記事を見つけました。前年の仏印経済協定の締結を契機に大量の邦人商社が一斉に渡航しその根をおろしたと書いてあり、もちろん祖父の会社の名前も出ています。65年前の日本もベトナム進出ブームだったわけです。65年の時を越えてベトナムに私が心惹かれるのも DNAのしわざに違いありません。
河口容子

[278]価格交渉の裏にあるもの

 日本のクライアントがアジアで生産を行なう場合、その提携工場を探すのも私の仕事です。今回はベトナムという国の指定があったのですが、もともとその産業に関しては純粋なベトナム系の工場は皆無に等しく、中国、香港、台湾、韓国のメーカーでベトナムで操業をしているところを探さざるを得ません。各国あわせて 2,400社ほどの企業概要をチェックすることからスタート。その中で 7-8社が候補に残ったのですが、興味を示してくれたのは韓国の 2社だけでした。誰か知り合いに紹介してもらう、そんな甘い考えではとてもできない作業です。
 日本から商品見本を送り、それをもとに試作しての見積作業となるのですが、 A社は B社より 40-60%高い価格でした。「何でこんなに高いんでしょうか。やりたくないから断ってくれということでしょうかね。」とクライアントの担当者。確かに日本では断ってほしい時にわざと高い見積を出すことがあります。引合を出していただいたからお断りするのは失礼なので形式上見積は出します、という感じのものです。私自身はこんなもってまわった事はせず、お断りしたい時は率直に言うことにしています。私にとっては見積を作る手間が省け、わざとらしい見積を文書で保存されることもなく、相手も私の見積を待たずして他へ当たることができるからです。
 海外の工場はたいてい私と同じような考え方です。前述の候補 7-8社に取引の概要を説明してもほとんどは返事も来ませんでした。アジアの工場は日本市場向けの商品製造を依頼されることを必ずしも喜ぶわけではありません。技術移転や投資が伴うものは別として、「品質にうるさい」「少量多品種展開で手間隙がかかる上に発注金額が小さい」そして最近は「品質改良とコストダウンを次ぎから次ぎへと要求する、良いものは高いに決まっているではないか」とブーイングの嵐です。
 日本企業は慎重でまずは少量で取引を開始し、徐々に拡大していく傾向が強く、一方米国の大手量販店チェーンなどは細かいことは言わず、種類もシンプルで莫大な金額の発注をしていきます。こういう実態を知っているだけに日本向けを引き受けでくれる工場は本当にありがたいと思ってしまいます。ただし、品質が良いという証拠づけに日本からの発注がほしい、という工場もあります。一時中国では最初は日本向けに専念、日本側が細かな要求をするようになったら利益が薄くなるので欧米向けに切りかえるという工場がふえました。ところが日本側が「発注してあげなければ中国の工場は困るくせに」などと完全に勘違いしているうちに商品供給源を絶たれて断崖絶壁に立たされたという話もあります。
 さて、上記 A社には「現状の価格ではビジネスにならない」ことを伝え、どのような条件なら価格を下げてもらえるか、あるいは材料や仕様の見直しで価格は下がるかと問いかけました。 1日たって 5%ほど無条件で価格は下がりました。通常値下げには条件をつけるか、恩着せがましい一言がつくものです。そうでなければ最初の価格はわざと高くしたか、いい加減に出しているのかのどちらかだと露呈するからです。これは受け取る側としてはあまり気分の良いものではありませんが、もっと踏み込めばずるずると価格は下がる可能性はあります。
 かつてフランスのあるブランドとロイヤルティの交渉をしたことがありますが、何度か交渉を重ねるうちに当初の価格の半分以下になってしまいました。ここでそのブランドとのビジネスはやめることにしました。理由は最初から 2倍の価格をふっかけるという企業は信頼できないこと。そして、だんだん値段が下がったということは競合相手が誰もいないと読んだからです。当時はブランドブームで日本企業間で取り合いになるのが普通で、そうではないのはよほど売れそうもないか、問題含みとしか思えなかったからです。この決断は大当たりでこのブランドは日本に上陸することなく消えました。
 私自身は国内外の公的機関も民間企業もクライアントに持っていますが、価格交渉にもつれこんだことは一度もありません。イエスかノーかだけです。おかげで時間の無駄や感情のこじれもほとんどなく良い仕事をすることのみに邁進できます。
河口容子
【関連記事】
[84]契約のマナー
[60]これが日本の空洞化
[45]ノーは親切、論争は親近感
[12]貿易というお仕事