アセアン10ケ国のうち日本からの投資と言えば今はベトナムがブームのようです。日本人の特徴として「バスに乗り遅れるな」とばかり、集団で同じ国に出かけて行きます。中国もそうでした。確かに一斉に同じ国に行くと裾野産業や物流業者などサービス業も進出してくれるので便利な面もありますが、度が過ぎると進出国内での競争が激化します。
今までアセアン諸国への投資セミナーというと当該国の政府からゲストを迎え投資のメリットや誘致したい産業について講演、プラス日系企業の進出経験談というパターンで国ごとに行われてきました。複数国でそろって行われたのが2008年 1月24日号「5ケ国外相がそろったメコン地域投資セミナー」と2005年12月 1日号「南の島へのあこがれ BIMP-EAGA」くらいのものです。
最近になってやっと「比較して自社に最も適した国を選ぼう」というテーマのセミナーが開催されるようになりました。この現象は「そういうニーズがふえた」「各国への進出例がふえた」「各国がそれぞれの強みを上手にアピールするようになり、受け入れ態勢も整いつつある」証左であり、日本とアセアン諸国それぞれの国際化が進んだと思って良いのではないでしょうか。
私たち貿易人の通念とすれば、「遠い所はコスト安だが運賃と日数がかかる」「コストの高い国は裾野産業も発達しており部品調達が安易、安ければその逆」です。たとえば特殊な素材や部品を寄せ集めて作るファッション雑貨などは中国なら地場で調達が可能ですが、ベトナムではまず無理です。組み立て産業なら人件費は比較的高くても調達力でタイがまだ有利です。そのタイの下請けとしてラオスが有力です。メコン川を渡っただけで人件費が 1/3になり、タイとは文化が似ているためタイ人の管理職をラオスに派遣することが可能です。そうすれば日本人駐在員も削減できダブルでのコスト削減につながります。
少し驚いたのはカンボジアの繊維製品の価格勝負はそろそろ難しくなりつつあるそうです。思えば、会社員の頃スポーツウェアをカンボジアから輸入し始めたのは10数年前です。大量に生産されるものなら裁断した布を送って縫製をしてもらうだけですから、カンボジアからさらに安い所へ移って行く時期なのでしょう。比較的習熟が簡単で女性の職業の確保にも縫製の委託は途上国にとって経済の底上げに本当にありがたい仕事だと思います。現在、カンボジアでは官民で農業プロジェクトが行われているようです。
ミャンマーについては「眠れる獅子」状態だと思っています。労働力は圧倒的に安いものの日本まではマラッカ海峡を渡らねばなりませんので日数がかかります。また電力などインフラ面でも問題が多く、為替レートが二重価格というのも困りものです。
インドネシアは人口2億数千万人をかかえる資源大国かつアセアンの盟主でありながら地盤沈下した感があるのは、1970-1980年代の投資ブームが一巡したからとも言えます。私自身はインドネシア華僑とのビジネス経験が長いのですが「インドネシア華僑はユダヤ人よりお金に厳しい」「インドネシア華僑とビジネスができれば世界中で通用する」とよく聞かされました。そのせいか後日イスラエルの方々とビジネスをした時には天使のように思えました。
河口容子
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皆様はミャンマーというとどんな印象をお持ちでしょうか。映画化された竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の舞台、軍事政権によるアウンサンスーチー女史の軟禁、最近では2007年の反政府デモのさなかジャーナリストの長井健司さんが射殺された所、くらいの情報しかないのではないでしょうか。
ミャンマーは旧国名をビルマといい、東南アジア諸国では一番西に位置しています。隣国は西から時計回りにバングラデシュ、インド、中国、ラオス、タイで、面積は約67万平方キロ、日本の約 1.8倍です。人口は 5,800万人弱。イギリスの統治時代は東南アジアの大国で、米の世界最大の輸出国、チークなどの木材、産油国でもありました。また、「ピジョン・ブラッド」と呼ばれる希少価値の高いルビーの産地でもあります。1988年に社会主義の計画経済を放棄し自由市場経済体制に転換しましたが、天然資源開発は自然破壊につながり、強制労働や強制移住が人権侵害とされ、米国やEUから経済制裁を受けています。
そんなミャンマーから外務省の副大臣以下のミッションが来日、都内の一流ホテルで投資セミナーが開かれました。「100年に一度の世界同時不況」などと言われている中、定員 200名を越す応募者があったとか。これには意外な驚きでした。チャイナ・プラス・ワンとして東南アジアで最も安定していると言われきたタイも2006年にはクーデター、最近は反政府運動者らによる空港占拠事件がおこりました。優等生と思われたべトナムも経済危機から脱出しようという矢先に世界同時不況がやって来、中国に並ぶ大国の新興国インドも同時テロとあっては、これから海外進出、あるいは次の進出先を考えている企業は一斉に見直しをかけているのだろうと感じました。
2008年10月31日時点でのミャンマーへの国別投資認可件数では日本は13位。お隣タイがダントツの 1位です。日本からまだまだ遠い国なのかも知れませんが、タイ、シンガポール、香港などの現地法人から出資すれば日本の統計には入らないので実態はもっと上かも知れません。その実、ミャンマーに支店を置く企業も入れれば 140社日系企業が進出しているそうです。
進出企業の事例発表がありましたが、縫製業でミャンマーの工業団地で1000人規模の工場を展開しています。同社は1980年代に韓国や中国で委託生産を始め、1990年に中国に工場を設立、1999年には国内工場を閉鎖しています。ベトナムは人件費がすぐ上がると見て通り越してミャンマーへ行ったそうですが、同時にフィリピン、バングラデシュでも工場を立ち上げており、縫製業の国際化つまり日本の空洞化を見せつけられた思いがします。同社内の比較では、「中国の半分の生産性、 3分の 1の賃金」とのこと。船で片道15日という距離は短納期の商品には適さず、輸出、輸入の申請はすべて首都のネピードへ行かねばならず、最大都市のヤンゴン(旧ラングーン)から車で7時間、輸入許可に5日間、輸出許可に4日間かかるそうです。気の短い私は聞いただけでもノイローゼになりそうですが、教育費が安いため教育水準が高く、従順、温厚で親日感情が強い国民性には惹かれるものがあります。
個人的には多くの仏教遺跡に関心を持ちました。特に11-13 世紀にミャンマー最初の王朝があった古都パガンのパゴダや寺院は2000以上、インドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコールワットと並ぶ世界三大仏教遺跡だそうで、ぜひ見てみたい風景のひとつになりました。
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河口容子