辞めるも地獄残るも地獄

 リストラという言葉が日常語と化し、いつしか「辞めるも地獄、残るも地獄」という言葉も定着して来ました。当然、辞める方は新しい仕事を見つけなければならず、以前のように退職金を原資として起業する、あるいはゆっくり仕事を探したり、技能を身につけるための資金とするという方法も厳しい状況となってきました。また、リストラの対象もどんどん若い層まで拡大してきています。

 一方、運良く残った方も仕事量が増え、下手をしたら賃金も下がり、サービス残業も増えたりと辛い毎日を送っている人も少なくないようです。とにかく今の日本企業と仕事をするのは大変です。まずは担当者が忙しすぎてつかまらない、返事は来ない、やる気がないのかと思ったら忘れた頃に「ぜひやらせていただきたい。」というような返事が来ます。中には、給料も上がらないし、新規の案件は全部断る、残業もなるべくしない、というサラリーマン根性に徹したドライな人も結構います。また、いつ倒産するか、いつ辞めようかとそればかり気にかかり仕事が手につかない人までいます。

 極度なリストラは短期間では業績の改善につながりますが、士気の低下や精神面も含めた過労につながり、後輩の育成、入念な検討や開発がおろそかになり、長期的に見れば企業の存続にもかかわる問題を山ほどかかえています。ただ人だけ減らすのではなく、企業としての明確なビジョンや組織運営のしくみも変えていかねば倒産を先延ばししているのと同じです。

 倒産件数が減ったといっても、起業件数より倒産件数の方が多い昨今、全体の企業数そのものが減少しているわけでこれは景気が良くなったという証拠にはならないと思います。政府は起業数をふやそうと、法人化に必要な資本金額を引き下げることを見直しています。これは極端な話、1円でも法人は作れ、5年間に所定の資本金に増資すればいいとのことですが、財務諸表の開示など債権者に迷惑がかからない仕組みを考え、5年内に所定の資本金に満たない場合は清算手続きという案のようです。

 確かに、政府としてはお金はかからず、失業者も減り、消費や雇用が増える名案と考えたのかも知れませんが、はたしてこんな手で起業する人が増えるでしょうか。確かにごく一部の優れた技術やアイデアを持っている人、あるいは自営業から法人成りをしたい人には有効かも知れません。しかしながら、この市場そのものが縮んでいる日本で誰もが成功するわけはなく、たとえ起業件数が増えても倒産件数も増えるだけに終わってしまうような気がします。

 私自身の起業経験からすると、起業そのものは資金さえあれば簡単です。法人登記も自分でやりました。商権が何もなかったので、問題は実績も信用もない企業がいかに営業し、コンスタントに売上や利益を得るかに非常に苦しみました。初年度は試行錯誤中といっても通りますが、2年目はそうはいきません。私は簿記も法人決算も自分でやっていますのでコストダウンが図れますが、できない人はその都度誰かを雇わねばなりません。1円の資本金で起業家を量産する前に起業家の経営能力の育成や営業面でのサポートをする、起業したばかりの企業の雇用面での優遇策を考えるべきです。

2002.07.25

河口容子

こころの時代

年末に「しくみの崩壊」を書かせていただいた時、読者の方から「同感である。かなり痛い目にあわなければ克服はむずかしいであろう。」というコメントや「21世紀は今までの反動が来てこころの時代になるだろう。」というコメントをいただきました。

新世紀になって1ケ月目「こころの尊さ」を強くアピールした事件がありました。新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして犠牲になった日本人と韓国人のおふたりです。最近は正義感からケンカの仲裁をしたり、他人に注意をしたりしただけで怪我を負う、殺されるということがあまりにも多く、何が起ころうと「見て見ぬふりをすることが処世術」という風潮があっただけに、より感動的で痛ましい事故でもありました。

この事故を最初耳にした際、おふたりの勇気に感動するとともに不思議だったのが「その時駅員は何をしていたのか?」という素朴な疑問です。誰もいなかったそうです。私は私鉄のある駅でホームと電車の間隔が広いために何と1週間に2回も線路に人が転落するのを見たことがあります。そこは小さい駅ですが電車の発着時には必ず駅員がホームにいるので大した怪我にはなりませんでした。

東京は公共の交通機関の発達度、時間の正確性では世界に類を見ないほど優れた都市で通勤、通学の手段としての依存度も非常に高いはずです。昨年起きた地下鉄日比谷線の事故も振り返ると安全性に少し不安を覚えました。確かにふだんの事故は自然災害や飛び込み自殺、踏み切りを無視してトラックが突っ込んだりと「被害者」側にまわることが多く、自らの安全性に疑問を持っていないのかも知れません。

もうひとつ考えられるのは、リストラの悪影響です。鉄道のみならず、あらゆる業種でしじゅう体験しますが、自分の仕事に精一杯で他人を思いやるゆとりがない人が急増しています。ひとりでこなす仕事の量がふえているのか最低限の機械的な対応しかできない人が増えています。企業にとって人を減らして利益をあげるのは即効果があがりますが、仕事の内容ややり方もいっしょに見直さない限り時間がたつにつれ質の低下や信用の崩壊をまねきかねません。

新聞記事に出ていましたが、「昔は上司が飲みながら愚痴を聞いてくれたり、個人的な相談にものってくれた。今はそんないい人はもういない。」と。確かに私自身の会社員生活をふりかえってみても、まず「管理職の絞り込みや適性」という形で年功序列主義が崩れはじめ、ついで「リストラ」という形で終身雇用制度が消えていった気がします。これらの変化とともに確実に上司像は「ふだんは厳しいけれどいざとなれば頼りになる人」から「ハンコをもらう人」に変わっていきました。最近はロボットの開発競争がさかんですが、このままでは人間がロボット以下になってしまいそうです。

人間が人間らしくあるためには「こころの復権」が大切です。どうも邪悪なこころを見せつけられる事件が相次ぐ昨今ですが、新大久保駅の事故により多くの人が美しいこころを思い出してくれることを祈る毎日です。

2001.03.23

河口容子