[334]占い通りの新しい春到来

 「あなたは占いをどう思いますか?」と聞かれ「人の心理をついたうまい商売だと思います。当たるも八卦当たらぬも八卦と言うからにはクレームはないでしょうし。」と答えると「あなたは生まれついてのビジネスマンですね。」と言われたことがあります。血液型なら4通り、星占いなら12通りなど地球上の人類がこれだけのパターンの性格や人生しかない事自体がおかしいではないですか。新聞や雑誌の占い欄などを冷静に読めばだいたい誰にでも当てはまるような事が書いてあります。
 ところが奇妙なお告げがぴったり当たることが私にはあります。2003年 7月 4日号の「インドネシアの歴史に触れる」の冒頭にある「世界遺産と関係がある」というかなり具体的なキーワードです。大胆な事を書く占い師だと感心していたところ、インドネシア出張の際、同国政府のはからいで突然世界遺産を訪れることになったのです。 2-3時間前には想像もしていなかった事でした。
 今年の運勢で「良いパートナーが現れる」というのをあちこちで見かけました。どんな人が現れるのだろう、どうせ当たらないでしょうに、と思っていたところ香港のクライアントの D氏から友人の C氏と一緒に設立するコンサルタント会社のパートナーになってほしいという突然の依頼がまいこんだのです。
 うまい話にはやすやすと乗らない性格ですので、法的な立場や責任などを確認した後、 D氏とは何件もプロジェクトをこなしたので気心は知れているものの、 C氏も同じように思ってくれているのかと聞くと、「もちろんです。新会社を代表して私がお願いしているだけですから。」という答えに加え、 C氏からも「一緒に加わっていただけると嬉しいです。私たちには明るい未来があると信じていますから。」とメールをいただきました。実は C氏とは昨年福建省晋江でのファッション・ショーで D氏の MBA時代の友人として紹介されました。お顔とお名前が一致しないほど多くの方を紹介されましたが、今から考えればそういう交流の中から彼らはパートナー候補を探していたのかも知れません。
 私の引き受けた日本人によるデザイン・コンテストのコーディネートは日本では考えられないほど準備期間が短く、相手の中国企業もまったく初めての試みで質問をしても返答に困るというありさまでした。実は誰も実現できるとは思っていなかったらしく、私は「不可能を可能にした女」として一躍有名になったようです。準備期間が短いならそれなりのメリットもあります。このプロジェクトに係わった日本人は約20名ですが、短期間のほうが多少無理をしてでもモチベーションを維持することができます。十分な期間があれば120%や150%の出来を期待されますが、短期間ならできる事だけに集中しそれを最大限に見せる工夫をすれば良いのです。これは相手にとってもコスト削減につながります。日中関係者各人の「気」を読み取り、良い流れを作る努力をしたのが成功原因だと思っています。
 それにしてもパートナーシップというのは日本人どうしでは非常に難しいものを感じます。一緒に仕事をしても縦関係のつながりを求める傾向が強く、「相手を支配する」あるいは「相手に依存する」という関係になりがちです。お互い対等な立場で仕事をするにはまず各人が独立したプロフェッショナルでない限り、相手の能力を認め尊敬することができません。また、バランス感覚、発想力や行動力を必要とします。日本人がこれらを苦手とするのは終身雇用制度が長く続いたため特定の組織や条件の中でしか通用しない能力や経験に偏っていることや分業主義による「木を見るだけで森は見なくてもすむ」習慣によるものだろうと思います。また、異性間のビジネス・パートナーシップというのもまだまだ社会的な偏見があるように感じます。日本人もこんな所から変わらなければ活力が生まれないとつくづく思います。
河口容子
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 今回の出張が決まってからふと見た星占いに「世界遺産と関係がある」と書いてありました。その後、インドネシアでの日程がジャカルタだけだったはずが急遽中部ジャワの古都ジョグジャカルタへも行くことになりました。ジョグジャカルタは世界遺産ボロブドゥールのお膝元です。星占いもまんざら嘘ではないと思いつつ、ぎっしり詰まった仕事のスケジュールにとてもボロブドゥールへ行くことはあきらめざるを得ませんでした。ところが、ジョグジャカルタでの最終日、仕事が早く終わり政府機関の担当者が「ボロブドゥールに行きましょう。」と言ってくれたのです。これで星占いは大当たりとなりました。
 ボロブドゥールは世界最大にして最古の石造りの仏教寺院です。 8-9世紀に建立されたと推測され、誰が何のために作ったかは未だに謎です。安山岩の高さ 35mのピラミッドで 9層の回廊の総延長距離は約10kmとなります。第 4回廊までは方形をしており、第3回廊までは石レンガに釈迦の物語が精緻にレリーフとして延々と続きます。上部の円壇は無色界、ベルの形をしたストゥーパ群の中に仏像が安置されています。そして最上階には解脱を表し大きなストゥーパの中は無です。現代のような建設機械や工法もなく、設計技術もない時代にどうしてこのような巨大にして精巧な建物が作れたのでしょう。何という壮大な想い。ひょっとしたら人間は退化しているのではないかとも思いました。そして立体曼荼羅とも取れる意味の深さ。夕日が仏像の頬に金色の筋を投げている写真を撮ることができました。
 この日は午前中に 2社と面談、政府機関とのミーティング、昼食、車で 1時間かけてボロブドゥールに行き、ハイヒールで回廊を歩き登り、そしてジョグジャカルタ空港へ直行、首都ジャカルタへ飛行機で戻るという過密スケジュールでしたが心洗われる気分を味あわせてもらいました。それにしても参道を歩く私たちを追うように次々と現れる土産物売りと身障者も混じっている物乞いの異様な多さはこの国のまぎれもない現実の姿です。悲しいため息が出ます。
 ジャカルタでの翌日は、休日でした。現地の友人におねだりをして歴史好きな私としては北ジャカルタのコタ(旧バタビヤ街)に連れて行ってもらうことにしました。オランダの東インド会社ゆかりの地です。もともと華人の多い地域です。人口のたった数パーセントの華人が富の 8割を握るインドネシア経済です。1955年あたりから華人の徹底的な差別主義をこの国の政府は取っており、中国姓を名乗ることも中国語を話すことも中国の伝統行事を行うことも長らく禁止されてきました。しかしながら、アジア通貨危機以来、華人の資本引き上げがこの国の経済に打撃を与え、現在ではしだいに中国の伝統行事も認められるようになり、今回の出張では蘇州のランタン祭りの会場や新聞記事を目にすることができました。
 1998年のジャカルタ暴動では華人の商店街が襲撃され大きな被害をこうむりましたが、時が止まったかのようにシャッターをおろしたままの商店もたくさんあります。さて、お目当てのジャカルタ歴史博物館は1707年に建てられたバタビヤ市庁舎跡。大砲や当時の政府に抵抗した人々を収容した牢も見ることができます。続いて伝統芸能のワヤン(影絵、人形劇)の博物館、そして植民地時代の高等裁判所跡の美術・陶磁器博物館。中国や日本の古い陶器のみならず現代のインドネシアの芸術家の作品をたくさん見ることができます。そしておしゃれな内装で知られ外人観光客でにぎわうカフェ・バタビアでの昼食はチーク色に囲まれた伝統ある国際都市の姿です。
 インドネシアの奥深さは民族、言語、宗教の多彩さのみならず、富と貧困、西洋と東洋という対極のものが歴史的に混じりあう中、アジア的なバイタリティとなって南国独特の景色の中に溶け込んでいるという所にあるのかも知れません。
河口容子