[325]メッセージを纏う

厳寒のワシントン、200万人の国民が感動と期待を持って見守る中、バラク・オバマ氏が米国大統領に就任しました。オバマ氏は夫人がアフリカ系米国人ということもあり、アフリカ系にアイデンティティを置いているようですが、ケニアからの移民を父とし、母は白人で、ハワイに生まれました。日本で言うところの「ハーフ」です。母の再婚相手がインドネシア人のためジャカルタで暮らした経験もあります。インドネシアは大国であり、歴史的には中国とインドの文化がぶつかり合う所で多様性の宝庫です。ビジネス界で活躍している華人たちは仏教やキリスト教がほとんどですが、国民の太宗はイスラム教、日本人に人気のあるバリ島はヒンズー教です。このアジアの複雑さと奥深さの理解と体験が今後のアジア政策に反映されて来るような気がします。
ミシェル・オバマ夫人は早くも類まれなファッション・センスの持ち主として注目されています。同じように夫以上に実力があると言われたヒラリー・クリントン国務長官がファースト・レディ時代はキャリア・ウーマンらしいファッションの印象が強く、ローラ・ブッシュ前大統領夫人は南部の良き家庭人という印象のファッションです。さて、アフリカ系米国人のミシェル・オバマ夫人は何を着る?歴代のファースト・レディがパステル色を好んだのに対し「褐色の肌にはパステルは似あわないだろう」という声や「ファースト・レディのファッションは米国人のお手本だから白人に受け入れられないのも困りもの」という声もあったと聞いています。
就任式の黄色のドレスとコートは「希望の色」それもテレビで見る限り抑えた黄色でエレガントかつ厳粛な雰囲気です。彼女の長身を包んだ黄色から国民へ「希望」のメッセージを発信したわけです。このデザインはキューバ系米国人、そしてワン・ショルダーのイブニング・ドレスは台湾系のデザイナーで、靴はジミー・チュー(セレブに人気のマレーシア人デザイナー)、教会で着ていたドレスは白人デザイナーでしたが日本の鶴をイメージしたものだそうです。鶴は千羽鶴のように祈りを運ぶ鳥でもあり、それを知っていたとしたら実に心憎い演出です。また、米国の通販ブランド J・クルーの愛用者としても知られており、自分に似あうものや好きなものと言うより、一般庶民やマイノリティへの配慮がそこかしこにうかがわれ、「世界の公人」としての決意が現れているように思いました。
世界のファースト・レディではサルコジ大統領夫人のカーラ・ブルーニさんが元スーパーモデルだけあってファッション・アイコン(お手本)としては有名ですが、ミシェル・オバマ夫人が今後どんなメッセージをファッションから発信していくのか大変楽しみです。
一方、日本の首相夫人のファッションは出番が少ないせいかあまりマスコミでも取り上げられる機会がなく、アジア全体では女性の大統領や首相がかなり出ているにもかかわらずファッション・アイコンとして有名な人がいないのはなぜでしょう。やはり、アジアではまだまだ控えめな女性像が求められているのかも知れません。特に日本では夫人同伴というイベントがほとんどなく、私は招待されてもビジネスマンとして行くわけですからビジネス・スーツで出席するわけで、ドレスも和服も巻き髪も一切縁のない世界にずっと住んでいます。
河口容子

[318]ミャンマーへ関心を寄せる日本人

皆様はミャンマーというとどんな印象をお持ちでしょうか。映画化された竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の舞台、軍事政権によるアウンサンスーチー女史の軟禁、最近では2007年の反政府デモのさなかジャーナリストの長井健司さんが射殺された所、くらいの情報しかないのではないでしょうか。
ミャンマーは旧国名をビルマといい、東南アジア諸国では一番西に位置しています。隣国は西から時計回りにバングラデシュ、インド、中国、ラオス、タイで、面積は約67万平方キロ、日本の約 1.8倍です。人口は 5,800万人弱。イギリスの統治時代は東南アジアの大国で、米の世界最大の輸出国、チークなどの木材、産油国でもありました。また、「ピジョン・ブラッド」と呼ばれる希少価値の高いルビーの産地でもあります。1988年に社会主義の計画経済を放棄し自由市場経済体制に転換しましたが、天然資源開発は自然破壊につながり、強制労働や強制移住が人権侵害とされ、米国やEUから経済制裁を受けています。
そんなミャンマーから外務省の副大臣以下のミッションが来日、都内の一流ホテルで投資セミナーが開かれました。「100年に一度の世界同時不況」などと言われている中、定員 200名を越す応募者があったとか。これには意外な驚きでした。チャイナ・プラス・ワンとして東南アジアで最も安定していると言われきたタイも2006年にはクーデター、最近は反政府運動者らによる空港占拠事件がおこりました。優等生と思われたべトナムも経済危機から脱出しようという矢先に世界同時不況がやって来、中国に並ぶ大国の新興国インドも同時テロとあっては、これから海外進出、あるいは次の進出先を考えている企業は一斉に見直しをかけているのだろうと感じました。
2008年10月31日時点でのミャンマーへの国別投資認可件数では日本は13位。お隣タイがダントツの 1位です。日本からまだまだ遠い国なのかも知れませんが、タイ、シンガポール、香港などの現地法人から出資すれば日本の統計には入らないので実態はもっと上かも知れません。その実、ミャンマーに支店を置く企業も入れれば 140社日系企業が進出しているそうです。
進出企業の事例発表がありましたが、縫製業でミャンマーの工業団地で1000人規模の工場を展開しています。同社は1980年代に韓国や中国で委託生産を始め、1990年に中国に工場を設立、1999年には国内工場を閉鎖しています。ベトナムは人件費がすぐ上がると見て通り越してミャンマーへ行ったそうですが、同時にフィリピン、バングラデシュでも工場を立ち上げており、縫製業の国際化つまり日本の空洞化を見せつけられた思いがします。同社内の比較では、「中国の半分の生産性、 3分の 1の賃金」とのこと。船で片道15日という距離は短納期の商品には適さず、輸出、輸入の申請はすべて首都のネピードへ行かねばならず、最大都市のヤンゴン(旧ラングーン)から車で7時間、輸入許可に5日間、輸出許可に4日間かかるそうです。気の短い私は聞いただけでもノイローゼになりそうですが、教育費が安いため教育水準が高く、従順、温厚で親日感情が強い国民性には惹かれるものがあります。
個人的には多くの仏教遺跡に関心を持ちました。特に11-13 世紀にミャンマー最初の王朝があった古都パガンのパゴダや寺院は2000以上、インドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコールワットと並ぶ世界三大仏教遺跡だそうで、ぜひ見てみたい風景のひとつになりました。

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河口容子