[316]粉ミルクと幻の酒

 ある日、香港のクライアントD氏が「日本の赤ちゃん用の粉ミルクの輸入総代理店になれないかな。その先は中国向けブランドのライセンス生産をしたいのだけれど。メラミン混入ミルク事件以来、日本製の粉ミルクを買いたいという人が急増して、おそらく日本の小企業や個人が小売店や問屋から買って送って来ているのだろうけれどそんな量では追いつかない。」と言いだしました。
 私は、日本は少子化で粉ミルクはマイナーな商品であること、利用者の数はわかっており一人が急に 2倍も 3倍も飲むものではないので生産調整もきちんとなされているであろうこと、原乳を供給する酪農家が減っており、また値上げもしにくい製品ゆえ政府が補助金を出している、従って急に増産ができないばかりか、日本国内でのニーズを輸入に依存せざるを得ず、輸出どころか中国のミルクの被害にあっているくらいだと返事をしました。日本の粉ミルクメーカーは皆大手企業で中国に拠点を持っていますのでビジネスになるならとうに始めているだろうし、大手企業がビジネスなり寄付なりで動いている様子もない、つまり品薄なのは誰も思いつかないのではなく、それなりの理由があるのだ、と強調しました。
 すると、D氏は中国では一人っ子政策なので子どもを大事にする、安全性の高い日本製の粉ミルクを買いたがるのになぜ売らない、となおもしつこく食い下がります。「日本製の粉ミルクを買えるのは一部のお金持ちだけでしょう。それよりも政府がきちんと管理・指導をして安全な中国産ミルクを作ることに専念するのがまっとうな考えかたではありませんか?中国の工場に日本の技術を導入するというビジネスの発想に切り替えるべきです。」
 以前にも「中国製の化粧品は信用できないから日本製など外国製を買いたい」というアンケート結果が出たのを見たことがありますが、自国製を堂々と「信用できない」という国民性にはいつもびっくりします。「日本製品は好きだけれど日本人は嫌い。」と言う人も多く、正直なのか身勝手なのかと戸惑います。
 こんな話をしているうちに日本の大手企業が中国の食の安全をビジネス・チャンスとばかりに生産、加工、物流のネットワークを作ろうと動き出しました。日本製粉ミルクも販売されるようです。何と 1缶 4,500円。中国産が 1,500円から 3,000円でこれは日本で売られている日本産とほぼ同じ価格帯で、粉ミルクは中国では案外高価な商品だということがわかります。日本メーカーとしては高級品でブランド力を高め、そのうち現地生産の普及品を作っていくのではないでしょうか。
 一方、香港の日本酒ブームはいよいよ限定酒にまで及んできました。限定生産、いわゆるレアもので、プレミアムがついて 1本何万円もするものもありますが、小売店によっては 2倍以上の値差があったりもします。開店間近の日本レストラン(香港人経営)があり、限定酒をずらりとそろえたいのだとか。日本人にとって日本酒というのはそもそもその土地を想い浮かべながら飲むもの、それができない香港人はどこに差別化を感じるのかとずっと疑問でしたが、入手しづらいから高価格、というのは確かにわかりやすい差別化ではあります。
河口容子
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 今年の春から日本酒を香港に輸出し始めた事は2008年 4月17日号「新たなチャレンジ」で書いた通りです。不思議な事に香港人が経営している日本食レストランからの注文であってもどこからそのような情報を得るのか「指名買い」、中には JANコードまで発注表に書いてあったりします。まずは酒造メーカー名を調べ、電話をし、直接売ってもらえるかどうか、代理店(問屋)から買わなければいけないのならその連絡先を聞く、という段取りで仕事はスタートします。この代理店とていろいろな酒造メーカーの銘柄を取り扱っているわけではないので買いつける銘柄が増えれば増えるほど交渉相手がふえます。
 さらに輸出は免税取引ですので輸出申告時に酒税の免税取引の申請書を酒造メーカーごとに作成し、申告後税関印をもらったものを酒造メーカーに送付するという作業が発生します。酒税というのは酒造メーカーが負担するもので代理店は一切関係ありませんから、代理店から買っても酒造メーカーともやり取りをしなければなりません。香港はもともと人口が少ない上に、大量にお酒を飲む人はあまりいません。しかも日本酒が定着している訳でもなく、少量多品種の展開にならざるをえません。手間暇を考えると大企業ではコストにあわず、小企業であっても複雑な輸出業務や税務をいとわないという所でなければまずやらないでしょう。
 酒造メーカーと連絡を取るうちに驚くべきことを発見しました。酒造メーカーというと地場産業の代表選手、オーナーは地元の名士であったりと古き良き日本の「静」のイメージですが、今は自社でコンテナ単位の輸出をしているところもあり、輸出手続きについても実に簡単に話が通じて不思議な気分になることがあります。
 以前に比べ家庭で日本酒を飲む人は少なくなり、外食時も日本酒を選ぶ人は減ったような気がしますが、その分海外で日本酒ファンがふえるのは実にありがたいことです。私自身はどんな銘柄が好まれるのか興味しんしんで「日本で人気があるもの」なのか「中国人が好む名前」なのか「たとえば新潟など特定の地域なのか」など傾向を香港のビジネスパートナーに聞いてみました。ワインにたとえると「ライト・ボディでフルーティなもの」ということです。基本的には大吟醸、吟醸の 720ml瓶以下のサイズが売れ筋のようです。梅酒、ゆずのリキュールなどフルーツものにも関心があるようです。最近はラベルデザインもおしゃれなものが多く、お猪口や枡に入れるのではなく、リキュール・グラスに注いでフランス料理などにも楽しめるのではないかと思ったりもします。
 別の香港クライアントから出てきたオファーは日本の冷凍水産物です。「おいしい」「安全」というのが狙いでしょうが、こちらは日本食ブームとは関係なしに一般の香港人向けの商品です。水産物はコンテナ単位で動きますが、私は「食べるだけ」のまったくの門外漢、幸い10年ほど前まで築地の仲卸に勤務していた小中学校の同級生が現在は自営業で時間が自由になるためサポートをしてくれることになりました。彼は水産学部卒で、日本食のお店も経営していたことがある料理人でもあります。川上から川下までのスペシャリストという強い味方を得ました。
 世界の同時株安で、通貨は円の独歩高。輸出ビジネスは厳しいと言われますが、考えてみれば20%の円高で売れなくなるような商品は競争力がないと言えなくもありません。上記の日本酒にせよ、水産物にせよ、円高だから数量を減らすとか、見合わせるという話は一切ありませんでした。さすが香港は医食同源、予防医学の長寿国(地域)だけのことはあります。
 日本酒は日本の誇り、米と水の競演です。微妙な温度や湿度を感じ取りながら丹精込めて作られるものです。水産物は漁師たちが時には命をかけて採って来るものです。いずれも額に汗して働いた成果です。これは評価されて当たり前だと思います。一方、実態経済から遊離し、マネーゲームと化し、世界を巨大な賭博場にしてしまったヴァーチャルな金融の世界は崩壊が始まっています。
河口容子
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