総合商社の闇

 北方領土のディーゼル発電の入札疑惑で三井物産の社員が逮捕されました。かつて辻元元議員が鈴木宗男議員を「疑惑の総合商社」と呼びましたが、今度は本物の総合商社が浮上して来ました。ニュースで「総合商社の闇」という言葉を聞き、私も2年前までは総合商社の社員であったことを思い出しました。

 私が入社したのは1976年ですでに「商社冬の時代」とは言われていましたが、まだ日本経済の先兵であり、海外との取引は「ラーメンからミサイルまで」総合商社が牛耳っている時代でした。この頃を前後して、オイルショックの物不足に乗じて価格高騰狙いの在庫かくしをしたり、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件という昭和の大疑獄事件がおこり「悪徳商社」という言葉も流行しました。

 総合商社という所は営業なら商品別に何百という組織が作られており、入社した頃なら、隣の課がどんな事で収益をあげているのか、また課内でも担当が細かく分かれていれば他人の仕事内容はほとんどわからない事もあります。離れたところの部署で起こった大事件は良きにつけ、悪しきにつけ、マスメディアで知り、びっくりする事もたびたびでした。幸い私は、全く異なる部門での営業経験、そして非営業と異動が多く、労働組合の諮問委員もやったことがあるため、社内人脈が広く、後日かなりの社内情報通にはなれましたが、デマや誹謗中傷の類でストレスがたまるのも、この業界の特徴と思います。

 総合商社で機械の輸出を手がけたことのある人なら、開発途上国向けは現地の権力者とのパイプ作りが重要、そして政府の無償援助案件はおいしい、というのは伝統的な常識です。特に後者は、政府に提出する書類作りは面倒ですが、お金の回収の不安がまったくないからです。特にカントリー・リスクの高い国から多額の金額を回収するのは、一歩間違えば社運を左右してしまう可能性もあるのです。一例をあげれば、東南アジアの通貨危機以来ひっかかっている案件は各社山のようにあるはずです。

 総合商社どうしは仲が悪いか、と言えばそうでもなく、業界内でいろいろなレベルでの交流が世界中でありますし、国際入札では商社連合と称して幹事会社のもと数社共同で入札することもあります。また、過去オレンジなど輸入の割当枠があった時代は自社枠を他社へ貸して儲けるということがありました。ふだんはライバルでも利益になれば手を組むという変幻自在さも一般の人から見れば闇かも知れません。

 上述の悪徳商社時代に各社モラルの見直しが進められ、社内の監視制度なども行き届くようになりました。また、その後バブルの時代へ突入し、開発途上国も民主化が推し進められ、総合商社の不祥事はなくなったかのように見えました。一方、それと同時に総合商社以外の業種の海外進出や直接取引が急増し、バブルの終焉には「商社氷河期」を迎えることになります。総合商社という機能は日本特有と教えられ、その業態を誇りに思えた時代もありました。いつしか、もはや時代遅れのドメスティックな産業なのではないか、海外取引をしているから本人たちは国際化していると勘違いしているのではないか、と疑うようになったのも事実です。今回の事件は現在の総合商社の象徴でもあります。

2002.07.11

河口容子

ひがみといじめ

 先の連載でもお伝えしましたが、16日間でアセアン 3ケ国を駆け足で出張して戻ってきた私の目に映った日本は「閉塞感」のかたまりでした。半月以上経っても相変わらず鈴木宗男議員は議席に座り続けているのです。そのうち、辻元、加藤両議員の辞職、田中真紀子議員スキャンダルと議員とお金をめぐる騒動が次から次へとあらゆる陣営で起こっています。

 ふたつ感じたことがあります。言い古された言葉ですが、政治家の倫理観。「加藤さんは政治家としては優秀なんだけどねえ…」と言った人がいましたが、自分の周囲で流れている資金の額や種類に対して認識もできない、あるいは役特を享受しているのなら、一般の市民としても落第で、そんな人が天下国家を論じること自体がおかしいと思います。

 辻元元議員についても「お金がなかったから。」というような発言を聞きましたが、お金がなかったら強盗でも殺人でもしていいのかと言い返したくなり、「新人で何も知らなかったから。」という発言にも、そういう悪習を撤廃しているパワーと良識を彼女は持っているのではないかと期待していただけに落胆しました。最近は日本の政治家とは相当な悪人でエゴイストでなければ務まらないとすら思っています。

 それにしても次々と、なぜこうもタイムリーに目だって派手に活躍している人が槍玉にあげられるのでしょうか。まさに「出る杭は打たれる」のことわざどおりです。権力とお金はイコールでそれを握るととたんに日本人は図々しくなり、握れなかった人間には「ひがみといじめの構造」が発生します。

なぜなら、たとえば秘書の名義貸しの問題であれば、ルールを変えれば済む話です。昔は民間企業でも架空名義のアルバイトなどがいて節税しているケースがありましたが、今はまずできません。金融機関の口座も架空名義はもう作れません。同じように議員秘書にしても議員を事業主に見立て一議員につきいくらと支給してあとはその中でやり繰りさせる、あるいは秘書の勤務規則を見直し実態がなければ支払わないなど、民間ではとうの昔に当たり前にやっていることが議員の場合はなぜ野放しにされているのか、不思議なことばかりです。

マスコミを含め、解決策を考えず、スキャンダラスな部分のみほじくりあっている所が「ひがみといじめの構造」の特徴です。企業の不祥事で内部告発による発覚というのが多いようですが、これも単純な正義感から内部告発をしているケースより、たぶん処遇面などで不満をもつ内部の人間による「恨み、つらみ」が内部告発となって出てくるのではないかと推察します。

ひがみ、いじめ、恨み、つらみといった感情は一気にすさまじいエネルギーを発します。「目の上のたんこぶ」や「しゃくにさわるあの人」が失墜することで溜飲を下げているようでは、改善、改革などはとてもできません。他人を追い落とすことにより得る快感は瞬時のものであり、真の幸福感につながるわけがありません。しかしながら、そういうことに楽しみを見出す人が増えるということは、努力しても損、誠実に生きても損する社会になっているということを暗にほのめかしているような気がしてなりません。

2002.04.18

河口容子